2009-06-21

〔古誌を読む〕デタラメの肯定 太田うさぎ

〔古誌を読む〕
デタラメの肯定

「ホトトギス」昭和12(1937)年5月号

太田うさぎ


雑詠欄の巻頭が汀女の「咳の子のなぞなぞあそびきりもなや」 。青畝・茅舎…と続いて5ページも下ったところに素十の「大榾をかへせば裏は一面火」があり、その間に風生、たかし、草田男、水竹居、爽雨等々、素十のあとに素逝、杞陽、とまあすんごいラインナップ。

松本たかしが既刊号の句評をしているのだけれど、これが面白い。

 浪引けば沖高く冬の海凹む 池内友次郎

これを「デタラメ」といいながら、そのデタラメを肯定している。

「もともと僕には俳諧デタラメの説といふのがあるのだ。それは、創作は、その一々の場合が必ず新しい出発を基としなければならず、従つて便るべき何の基準もない、然らば詩人は唯デタラメに詠ふより他に行(ヤ)り方がない、といふやうなものだ。」

「或る句を作つた場合の方法論を、その次の場合にも應用することは出来ないのである。而し何とあり合せの方法論に便つて、小心翼々と或るシステムから外れることを恐れてゐるやうな作品の多いことか!」

「成功してゐるらしい作品でもちつとも尊敬出来ないのがあり、不成功でも大いに興味をそそられるものもある、その不成功に同感し何か云つて見たくなる類のものである。僕は論なく後者に賛成する方だ。僕はほんとの所は真に完成された玉のやうな作品を好むが、一方作者が見事な過程を示しつつ、そして何時も作者の現在居る過程そのものが価値をなしてゐるやうな、未完成の作品も好もしい。」


意外でしたねー。

たかしって自分でも言ってるけど、珠のやうな句を美学としている印象を持っていただけに、デタラメって言葉に驚いた。

でも、言っていることは70年経った今でも句会なんぞでみんなが口にすることで、てえことは、芭蕉なんかの時代でもおんなじことを門弟の誰かが言っていたに違いない。

1 コメント:

獅子鮟鱇 さんのコメント...

なろほど。
勉強になりました。
太田うさぎ様、ありがとうございました。

      漢俳・君子頻豹變

  子規啼月邊。臨機君子頻豹變,孟母更三遷。
            (中華新韻八寒の押韻)
  子規 月辺に啼く。機に臨めば君子は頻に豹変し,孟母は更に三遷す。