2009-07-05

林田紀音夫全句集拾読 074 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
074





野口 裕





一刷毛の雲の真昼に葬花立つ

昭和五十五年「花曜」発表句。同年の「海程」発表句に、「一刷毛の雲の経木の薄さほど」がある。比較して、「葬花」の方に深みを感じる。どちらの句も、一片の雲から仏教習俗に転じるのだが、経木と葬花では展開される景のインパクトが異なる。

なんだか「経木の薄さ」が六林男の斧正を受けて「葬花立つ」に変わったという、勝手な妄想が起こってしまうが、たぶんそれはないだろう。


珈琲館新聞の死を折りたたむ

昭和五十五年「花曜」発表句。「隅占めてうどんの箸を割損ず」から遠く来た。

 

行商の軍手の指をはみだす指

昭和五十五年「花曜」発表句。紀音夫の句は、基本的にモノローグだと思う。したがって、他人の姿を造形してゆく傾向の句は少ない。この句は珍しい例外に属する。軍手は防寒具というよりも作業着の延長か。軍手をしていた方が荷物の取り扱いを楽にこなせるのだろう。はみだしてある指は、物を売ったときの金銭勘定を容易にするためか。仕事を効率よくこなすため、万全の装備をしている印象を伝えて余りない。

 

風の一月白髪を身に絡め

昭和五十五年「花曜」発表句。自画像。彼の写真によく似合う。


扇風機翅現われて眠りの刻

昭和五十五年「花曜」発表句。扇風機にタイマーのついたのが一九七〇年の頃。
http://www.senpu-ki.jp/03history.html

昭和五十五年は一九八〇年だから、十年がたち、タイマーの付いている扇風機は当たり前の時代に入っている。そんな時代に入っていてこそ、この句は生きる。

すでに眠りについているはずの時刻に扇風機を見ていると、暗い部屋の中で無骨な扇風機が生き物のように見える。「翅」の字が絶妙。

音になる雨へ林檎の皮垂らす

昭和五十五年「花曜」発表句。紀音夫得意の朦朧体の成功例。林檎を剥いていると、雨音が聞こえてきた、というこれだけのことが、一瞬にして詩の世界へ飛んでしまう。雨音を「音になる雨」と倒置させて、読者に違和感を残したまま、さらに林檎を皮とたたみかけ、最後に選んだ動詞の「垂らす」が作者が現実世界に対して感じている違和感を伝える。句はひとつの景を提示しているが、それにとどまらない謎を残す。

鑑賞を書けば書くほど、つまらなくなることを承知で書いてみた。味わうだけで、誰も何も言わずに通り過ぎてしまいそうな句なので。

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