2009-07-19

スズキさん第20回 つるさんはまるまるむし(下)中嶋憲武

スズキさん
第20回 つるさんはまるまるむし(下)

中嶋憲武


承前 つるさんはまるまるむし(上)


横羽線へ入ってしばらくすると、横浜のインターコンチネンタルやランドマークタワーが視界に入ってきた。道路は空いていて、まったく混雑したところがなかった。横浜まで1時間ほどで来てしまった。横浜港が視界に広がると、ここでスズキさんはヘリコプターに乗ったことがあると言った。

「懸賞に当たってね。乗ったことがあるんだよ」
奥さんと乗ったのだと言う。
「こう、くるっと湾内を廻ってね。15分くらいだったけど、たのしかったよ」
「そうすか。ヘリコプターって、全面ガラス張りみたいだから、こう……」
と、俺が言い終わらぬうちに、スズキさんは話を引き取って喋りはじめた。

「そうそう。足下がすぐ空だからちょっと怖いワケよ。でも爽快だったよ。めったに出来ない経験だからね」俺は、スズキさんが奥さんとふたりでヘリコプターに乗っているところを想像した。想像のなかの空は冬のよく晴れた空だった。
「ふつうは湾内一周4500円らしいよ」
「よんせんごひゃくえんすか」
「いや、5000円だったかな」
15分で4500円だか5000円が一体全体安いのか高いのか、まるで見当がつかなかった。
「こういうのをね、利用すべきなんだよ、ナカジマ君」
「こういうのって……」
「女性をさ、誘うんだよ。乗らないかって誘うんだよ。キッカケ作りよ。大事だよ」
「キッカケっすね」
「そう、キッカケ。キッカケが出来たらあとは会話ね。ナカジマ君はあんまり会話、得意じゃなさそうだけど、みたところ。そんなことない?」
そんなことありませんとは言えないのだった。黙ってスズキさんの話に耳を傾けた。すでに狩場線に入っていた。
「ぼくはお見合いだったんだけどね、ぼくも会話はあんまり得意じゃなかったんで、お見合いして初めてのデートの時なんか、どこへ連れていったらいいのか分かんなくてねえちゃんに聞いたよ」

ねえちゃんというのは、社長のお母さんである。毎日店の帳場に座っている。
「ちょうどそのころ、菖蒲の見頃だったんで菖蒲園がいいんじゃないかって言うんで、菖蒲園へ連れて行ったよ。相手がきれいねって言えば、ああ、きれいだねって言って立ち止まって、菖蒲だけじゃなくて木なんかも生えているわけだから、この木の葉っぱはおもしろい形してるねって言えば、相手もああそうねていう具合で、そういうふうに会話ってのが出来上がっていくんだよ。相手がいま何に興味惹かれてるのかなって観察しててさ、あの花だなって思ったら、その花の色がどうとかいう話をすると、向こうも乗ってくるじゃない。まあ、そういう気配りも大切だよね。ナカジマ君もいつまでも独身でいるわけじゃないだろ?」

スズキさんは会話が得意ではなかったと言っていたが、いろいろと気の回る人なのである。他人を気にかけてどうしたらいいかいろいろと気働きする人は、それが言葉となって出て来るのだ。投げられた言葉を受け取った人は、その言葉を自分の言葉にして投げ返す。そこへ行くと俺なぞは、いままで自分本位のものの考え方をして来すぎはしなかったか。スズキさんが突然結婚の話をしだしたので、いささか面食らっていたが、俺があまりにもものを考えていないふうなので、日頃からヤキモキしていたのではないかしらん。スズキさんの話しぶりにそういう気配が僅かに感じられた。スズキさんには、俺という男がたぶん恐ろしく人間性に欠けていると映っているのではないかと、ふと考えた。事実その通りなのだが。

「結婚前は両目を開けて、結婚後は片目をつぶれってことだよ」
と、スズキさんは続けた。どこかで聞いたことがあるような気がしたが、その内容ははっきりとした輪郭をあらわさなかった。

「結婚前はね、相手のことをよく観察するんだよ。ま、向こうもこちらを観察してるしね。いろいろとものを食い散らかすなとか、残すなとか、意外とだらしないところがあるなとかね。よくみるワケよ。結婚後は、もうお互い分かって結婚したんだから、少々のことは我慢するんだね」

結婚は我慢だよとだれかに聞いたし、結婚は人事だよともだれかに聞いた。要するに結婚は墓場だ。と、こうはやばや結論づける俺はまだ結婚に幾ばくかの夢をみていたのだ。
「両目をあけて、片目をつむるか。なるほど」と俺は感心してみせた。まんざら嘘でもなかった。
「最初はグループで交際してみるのもいいかもしれないね。3対3とかさ。誰かいないの?」
スズキさんに問われて考えてみたが、そういう存在は皆無であったので、いませんと答えると、そうかあ、いないかあとスズキさんは軽いため息とともに言った。

若宮大路を右へ折れて江の電の線路を越してすこし行ったところに、その店はあった。間口は狭いが奥行のある店だ。奥が工場になっている。工場のちょうど二階が倉庫になっていて、そこへ荷物を運び込むのだ。

荷物はホテルのダブルベッドの枕ほどの大きさで、わりあい重かった。全部で50もある。荷台からいったん台車へ下ろし、そこから持って行くことにした。
「じゃあ、3つずつ持って行こうか」スズキさんは言って、枕ほどな大きさの荷物を3つ持って、すたすた歩き出した。

3つ持ってみたが、ずしりと重い。中身が菓子を入れるための小袋なので、安定感がない。店のなかには店番をしている女性ひとりきり。挨拶をして、奥のドアから二階への狭くて急な階段へ向かう。奥のドアは半開きになっていて、造作の都合でそれ以上開くことが出来ず、荷物を抱えて蟹歩きして入ってぎりぎりの空間だった。

二階はコンクリート打ちっ放しの二間になっていて、手前の部屋は従業員の休憩に使われているのか、コンクリートの床より一段高くなったところに畳が敷いてあり、卓袱台が置かれてあった。奥の四畳半ほどの広さの部屋には段ボールやら袋やらが所狭しと置かれてあり、部屋の一番奥の棚へ荷物を入れるのだと、向こうからやってきたスズキさんが、すれ違いざまに言った。引越業者のように荷物を丁寧に扱い、ものとものの間をそろそろと通った。重い荷物はそろそろと扱うとますます重くなる。棚の手前に荷物が置かれているので不自然な体勢で荷物を入れた。

3つずつ持って3往復もすると、蒸し暑さのせいもあってかかなり疲れた。荷物は車の荷台にまだまだ山と積まれてある。俺は2つずつ運ぶことにした。棚へ荷物を入れて階段の手前あたりですれ違うスズキさんをみると、3つずつ運んでいる。気合が入っている。今日の俺の気合はまるで駄目だ。こんな時に無理して3つ運んで、うっかり落しでもしたら商品に傷がついてしまうかもしれない。無理することはない。と、心のなかで言い訳をして最後まで2つずつ運んだ。

すべて運び終え、受領書にサインをもらって車に戻ると、スズキさんと俺は汗びっしょりで喉がからからだった。店からすこし離れたところまで走り、自動販売機でペットボトルの茶を2つ買った。帰りの旅の仕度は整った。車はもと来た道を引き返した。

横浜横須賀道路を調子よく走っている。ラジオからスチャダラパーのラップが聞こえている。

ツイてねー
マジでツイてねー
ツイてねー
マジでツイてねー
ツイてねー
マジでツイてねー
もう ええっちゅうぐらい ツイてねー

スズキさんはチューナーをくるっと廻した。女性歌手の演歌が聞こえたところで回転を止めた。七五調の歌詞がゆるい。往きは全く空いていてすいすいと鎌倉に到着してしまったが、帰りも空いていてスズキさんはびゅんびゅんと走った。

「空いてますね」と言うと、
「空いてるね。月曜なのに変だね」と言った。
「そのうえ、ゴトー日っすよ」
「そうだね。変だね」
前にも後ろにも、乗用車ばかりが目立った。
「運送の車がいないもの。不況なんだよ」と、スズキさん。
高速道路の継ぎ目を走るとき音が、往きよりも軽くなっているのに気づいた。
「そういえば車、軽くなりましたね」
「荷物、下ろしたからね」
違う女性歌手が、違う演歌を歌っていたが、さきほどの歌手と同じように聞こえていた。

湾岸道路に入ったとき、スズキさんが横浜ベイブリッジを渡ってみようかと言った。いいっすねと俺は言った。もうドライブ気分になっていた。

横浜ベイブリッジを渡っているとき、スズキさんの横顔をちらりとみた。今日半日ほどこうして、運転するスズキさんの横顔をちらちらみていたわけだが、あるイメージとスズキさんの横顔が重なった。「つるさんはまるまるむし」という字描き歌がある。「つる三ハ○○ムし」と描くと、人の顔にみえるのである。その顔に似ている、と痛切に思った。その発見にわくわくし、居ても立っても居られなくなって、スズキさんにもうすこしで「スズキさんは、つるさんはまるまるむしの叔父さんに似てますね」と口走ってしまうところだった。だがすんでのところで思いとどまった。仮に俺が、誰かに「ナカジマくんは、へのへのもへじに似てるね」と言われたとしたら、どうであろうか。人間でも動物でもないものに似ていると言われて、ひとはどう思うであろうか。俺は憮然とするかもしれない。そういったことを慮って発言を控えたのであるけれど、窓の外をみながら「つるさん」と低く呟いた。

今夜、近所の公園に穴を掘ってそのなかに言ってしまおう、と見晴らしのいいベイブリッジのうえで、うすぼんやりと考えた。

1 コメント:

ameuo さんのコメント...

夏ですね。スズキさんとナカジマさんの夏ですね。

で、結局、ナカジマさんはクルマを運転されたのでしょうか?