2009-08-09

〔週俳7月の俳句を読む〕茅根知子 これっぽっちの幸せ

〔週俳7月の俳句を読む〕
茅根知子
これっぽっちの幸せ


花南瓜見れば必ず焦土思ふ  今井 聖

人は、戦争を「記憶」として知る者と「記録」として知る者に分けられる。毎年この時期には戦争を詠んだ俳句が必ず登場するが、記憶と記録の圧倒的な違いを思う。戦争の記録(文章、写真、絵・・・)には温度も匂いもない。しかし、戦争の記憶には、あの時の匂い、温度、音のすべてがある。記憶を持つ者は、1枚の写真を見れば、その中に入ってゆくこともできる。

掲句にはリアルな焦土はない。焦土の記憶もない。体験もない。しかし、作者は人の記憶から「リアルな記録」を獲得し、〈花南瓜〉を見て〈焦土〉を思い浮かべた。それを俳句に詠むことによって、読者はその風景を思い描くことができる。こうして風景を語り継ぐことの意義は大きい。

後年、記憶は確実になくなる。そのとき、愚かな人間が愚かなことを繰り返さないよう、「リアルな記録」として伝えてゆく必要があるのだろう。愚かなことに流されてしまいそうな、さらに愚かで臆病な人間は、ただただ不安に思い祈るだけである。

大仰なことを言うつもりはない。かぼちゃの花が実になること、かぼちゃを食べること、また種を蒔くこと。この穏やかな繰り返しをいとおしく思う。夕餉に甘く煮たかぼちゃが並ぶ、これっぽっちの幸せ。当たり前すぎて見えないもの。それが、どれほど大切なものなのか――掲句を読んだとき、かぼちゃ畑の中に立つ先人が、そう言っているような気がした。



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