2009-08-16

〔週俳7月の俳句を読む〕古谷空色 なぜ「歓喜」なのか

〔週俳7月の俳句を読む〕
古谷空色
なぜ「歓喜」なのか


九字切つて入る小屋無人夏帽子  山口珠央

「九字を切る」のだから修験者か。山奥での修行の途次、崩れかけた小屋に行き会うこともあるだろう。入りながら九字を切ったのは何かの気配でも感じたのか。しかし中は無人だった。ただならぬ雰囲気のみがあたりに漂っている。なかなか怖い句だ。しかし季語「夏帽子」はいかがなものか。せっかくの修験の場が観光地と化してしまう。

橋のなき町新牛蒡洗ひけり

橋に言及しているし新牛蒡を洗っているのだから、ここには川が流れているのだろう。「橋のない川」は住井すゑの小説だがなにか関係があるのか。一句として読ませてしまうのは調子がいいからだろう。しかし俳句のおもしろさからはややずれているようだ。


海底に拾ふ象牙や涼しかる

きれい。これはあれでしょう、大昔、象牙細工を積んだ船が近くで沈んだんですよね。嵐かなにかで。ただ、「象牙」と言ってしまうと、未加工のままの長いあれになってしまわないか。長いあれでもいいのだけれど、長いあれは「拾ふ」という感じではないし。どんな細工物なのか欲をいえば書きたい。


百貨店地下三階の熱帯魚

地下三階まで店舗が続いている百貨店ってあるのだろうか。地下駐車場の管理室で飼われている……というわけでもなさそうだけれど、、世の中広い、なかには地下三階で熱帯魚が売られている百貨店もあるのだろう。意外なものを発見したと言えるが……。


水涸れて谷やみづなほ香る石


水の匂いがする石なのか。まだ濡れているということなのか。「香る」と書いてあるがそんな石は生臭いんじゃないのか。嗅いでいるとか、もう少し具体的動作を出したい。どの句もアイデアはおもしろいんだけど具象にまで行き着いていない気がする。


睡蓮の肺腑にひらく夕かな


実際に開いたら死ぬので、イメージで作っているのだろう。なぜ踵や脾臓でなくて肺腑でなくてはならないのか。そのあたりの切実さに欠けるのでは。


国会議事堂羽蟻の夜にはゴジラ来る


これまたなぜゴジラなのか。なぜ羽蟻の夜なのか……。普通にアリクイがいいと思う。


法被着てビートルズとや梅雨晴間


そういえばそういう写真があった。季語は梅雨晴間でいいのだろうか。季語が決まらないのはたぶん作者の立ち位置がわからないから。ビートルズという存在をどう思っているのか。何らかの気持ちがあれば、それに従って季語も決まるはず。


黄もて塗る潜水艦や蛸の庭

「イエロー・サブマリン」と「オクトパス・ガーデン」とでリンゴ・スター尽くしですね。これも海底の風景なんですよね。シュールにきれいだけど、ビートルズの世界にもたれかかりすぎか。


人魚唄ふ歓喜の歌や野分雲


人魚が歌うと嵐が来るという言い伝えでもあっただろうか。しかしなぜ「歓喜」なのか。人魚の気持ちなどわからないではないか。たとえば「満面の笑み」と書いてあれば、実際に人魚の顔面にそういう現象が誰にでも見えるかたちで起きているのだから納得できる。人魚が「歓喜している」のと「笑んでいる」のとではまったく違う。前者は目に見えないけれど後者は見える。野分雲と人魚との取り合わせは非常におもしろい。


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