2009-08-23

髙柳克弘 ねむれる子


週刊俳句第122号 2009-8-23 高柳克弘 ねむれる子
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3 comments:

匿名 さんのコメント...

うっかりテキストの方に投稿してしまいました。改めて、こちらに書き込みます。削除可能ならば、テキストの方と、以上の文とを削除して下さい。
「風細く吹きゐる蛇の卵かな」
素材が面白い。「蛇の卵」。ちなみに「蛇」ならば、夏の季語だけれど、蛇の卵自体 はどの季節を背景とするのだろうか。ある蛇の産卵は4月頃、孵化は7月頃のようなので、それを一般化出来るかどうか、ちょっとわからないけれど、春から夏となろうか。そして、「蛇」という季語の制約から季節は夏ということになるのだろう。「風細く吹き」とあるので、微かに風が吹いているのだろうけれど、「細く」と表現することで、自ずと風の景に蛇体が複合的にイメージされるようだ。しかも、どちらかというと仔蛇の姿。仔蛇の様で風が吹き付けるとするか、「ゐる」と連体形ではあるが、そこに僅かの間をおいて、風の景(動)と白い幾つかの小さな卵の景(静)との取り合わせ、あるいは対比と見た方がよいのか。それにしても、さほど蛇が得意でないせいか、読みながら内心ひやひやしたものを感じてしまう。微妙な部分で、生理的嫌悪を或る種の美的体験に転化しているところに、作者の手腕を感じる。

匿名 さんのコメント...

「蚊遣豚一番星を待つてをり」
夏の夕方の景。現在の、というよりも二昔前の縁側の情景ふう。つまり、割と類型化された景のように思います。ただ、そこに「一番星」を持ってきたところが、個人的には上手いなと思います。明るくも暗くもない夏の夕方の広々とした空を思い浮かべたりします。その空の景は、我々にとって普遍性を持つ情景の一つのように思ったりもします。蚊遣豚自体が、そもそも滑稽なフォルムをもった物ですが、それが口にあたる丸い部分から、一筋の煙を立てながら、ぽつねんと夜来を「待つてをり」という擬人的表現が、さらに滑稽な感じを加味するようです。もちろん、今風なマンションの一室のちょっとレトロな飾り物としての蚊遣豚でも良いし、一筋の煙が上がってなくてもいいのですが。
ただ、高柳氏の作には、ある種の古風さが潜んでいるように思われるので。

匿名 さんのコメント...

「原つぱの狐こち見る露台かな」
実景ではないけれど、俳句的情景としては例えば蕪村などの古典的世界を踏まえたリアルな景といって良いのだろう(北海道のどこかの場所でのキタキツネの姿、とかいう可能性もあるかもしれないけれど、それならば逆に面白くないように思う)。内容的にはほとんど何もないといってよい句だろうけれど、その踏まえた世界の広さ・深さがこの句に価値を与えているように思う。そう言えば、若手の俳句研究者として、「柿衞賞」を受賞されたA氏の昭和レトロ風の句作群(と言っても、全くご存じないとは思うけれど)などを思い出したりもする。知識というより、教養の書かせた一句と言ってよいのだろうか。