林田紀音夫全句集拾読 084
野口 裕
蝋涙の嵩しばらくは酸性雨
平成四年、「花曜」発表句。紀音夫の年来の愛玩物に蝋燭がある。
蝋涙のこころつらぬく夜気の中(『風蝕』)
蝋涙に他処のちちろの声沈む(『風蝕』)
蝋涙の昔から弾痕をもつ頭蓋(昭和三十五年「十七音詩」、「風」)
白蝋の流失を耕牛に見る(昭和四十年「十七音詩」)
蝋涙は昼も祈祷の暗さ負う(『幻燈』)
蝋燭の火が揺れすべてけものの影(『幻燈』)
蝋涙のさめざめと夜そして昼(昭和五十三年「花曜」)
蝋涙の終日雨は杉に降る(昭和五十六年「海程」)
蝋燭の火に降る雨の揺れ少し(昭和五十九年「海程」)
兵火として蝋燭の火に重なれる(昭和五十九年「海程」、「花曜」)
蝋燭の火に吹く風の何処より(昭和六十一年「海程」)
蝋涙のかなしみばかり重なれる(昭和六十一年「花曜」)
蝋涙のその一刻の風の嵩(昭和六十二年「海程」)
何回も同じ物を句に取りあげる彼の性向からして、鉛筆や遺書が頻出しても良さそうなものだが、鉛筆や遺書はあの句以降見かけない。あの句に自殺願望があるかどうかは判然としないが、あったとしても結核・無職の時代だけの話で、それ以後の死にまつわる想念はあくまで死一般に向かう。句集以後の句に、仏事の割合が多くなる原因もそこにある。結果として遺書や鉛筆は消え、蝋燭あるいは蝋涙の句はことあるたびに作られていく。
またこの時期に、「酸性雨」の句が散見される。
酸性雨その夜昼を川流れ(平成四年「海程」)
何時よりの仮泊かきょうの酸性雨(平成五年「花曜」)
酸性雨はたらく者の昼と夜に(平成六年「花曜」)
社会的事象に対して彼の目は常に開いているが、知見ではなく、体験として社会的事象を認識したときに句が発動する。例の、「黄の青の赤の雨傘」の句も、句集の前に置かれた句は、
原爆症死なほ赤い雨傘の行方も濡れ(『風蝕』)
であり、昭和三十二年「青玄」発表時には、この句のあとに、
放射能雨かつくばふ子らに砂濡れ出す
が続く。雨にまつわる社会的事象は、彼にとって句を発動させやすかったはずだ。蝋涙と酸性雨の結びつきは、彼にとってひとつの達成として認識されていたのか、この句以降に蝋涙に関する発表句はない。
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2009-09-13
林田紀音夫全句集拾読 084 野口裕
Posted by wh at 0:39
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