2009-09-06

連作俳句の試み 中村与謝男

連作俳句の試み
八田木枯「世に棲む日々」10句を読む

中村与謝男

八田木枯 世に棲む日々 10句  ≫読む

今回の八田木枯氏の作品は、前半の5句を、蠅、蠅除、蠅帳などの季語を使った作品、後半の5句は、チンドン屋を主題に無季で書くという構成を取って、連作俳句的な試みとなっている。

蠅はともかくとして、蠅除、蠅帳についてはほぼ過去の風景になってしまった現代にあって、過去のにおいを放っている。

これらの作品を読むに当たって、ひとつ頭に入れておかねばならないのは、木枯氏の生年が1925(大正14)年であり、氏のみならず、その時代に生まれた男が、徴兵制の下で、免れがたく兵役に就き、戦争に赴く義務を負っていたということだ。

国に恩売りしことあり蠅叩く

冒頭の1句は、氏の師・長谷川素逝の戦場詠、「月たかく小さく叉銃して寝まる」「たんぽぽやいま江南にいくさやむ」「おぼろ夜の頬をひきつらせ泣かじ男」「かをりやんの中よりわれをねらひしたま」などを思い起こさせる。

「国に恩売りしことあり」という、刺激的な初5・中7は、「蠅叩く」という卑近な動作で収束させられる。

蠅除のうすあさぎいろなだれたる

蠅帳のなかで死にたる蠅ありき

夜に入りて蠅帳の目の峙ちぬ

「蠅叩く」に続く作品には、谷崎潤一郎の陰翳礼讃とも通じる、古き時代の光と影が交差する。ところがその作品の間に、

蠅打つて滅私奉公してをりぬ


の1句が挿入されることで、僕はふいを突かれたように立ち止まる。

中7に当然のように胡坐をかいた、滅私奉公の一節は、戦前の教育における正義にまっすぐに従った、少年の戦争ごっこを意識した行動にさえ見えてくる。「蠅叩く」と対になると、蠅を打つことの正当性を今一度検証せねばならないような気さえ起こさせる。

後半の作品に詠まれているチンドン屋は、木枯氏のこれまでの記憶にある回想を輪郭としていることは間違いない。「チンドン屋枯野といへど足をどる 楸邨」「黍噛んで芸は荒れゆく旅廻 静塔」の世界と通じるが、楸邨や静塔の句が、枯野や黍といった季語の賛助を得ることで、一瞬の光景からの世界の広がりなのに比べ、木枯氏の句は季語を置かず、映画撮影のフイルムの長回しのように、執拗にチンドン屋の動きを追いかける。

チンドン屋片足あげて勤行す

チンドン屋末法の世の鉦を打ち

チンドン屋踊りくねつて世を拗ねて

踊らねばならぬと踊るチンドン屋

チンドン屋踊る生生流転かな

展開されるチンドン屋の業のような日常は、生生流転という成句をもって小結を迎える。

10句の中に映し出される光景は、過去のことのようで、でも行われていることは現代人にとっても無縁とは言えまい。この作品群は、今という時代と戦中戦後の時代との世の移り変わりを見詰めながら、今も昔も、本質的には何も変わらないのではないか、というメッセージを込めた、あるいは作者自身の感慨を披歴したものだろうと思う。八田木枯の今回の作品は、その意味で、したたかにホログラムとなっている。

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