2009-09-13

「船団 初秋の集い」レポート 久留島元

「船団 初秋の集い」レポート

久留島 元


坪内稔典氏を代表とする俳句グループ「船団」では、毎年「初夏の集い」として会員集会を開催している。今年も例年通り、五月末日の土日が予定されていたのだが、例の新型インフルエンザ騒動のあおりをくらって延期になってしまっていた。
それから約三ヶ月。世間が再びインフルエンザの感染拡大に神経を尖らせているなか、「初夏の集い」改め「(初)秋の集い」が、先週土曜(2009年9月5日)、京都で開催された。

今回のイベントは「百年後、俳句に風は立つか」と題され、前後二部、それぞれ外部からのゲストを迎えて行われた。
前半は、14時から、歌人・道浦母都子氏と坪内稔典氏とによる対談「女うた・男うた」。予定を10分ほど過ぎ、15時10分まで。
後半は、20分の休憩を挟み、15時半から17時半まで、シンポジウム「百年後の俳句」。
パネラーは、高山れおな氏、高柳克弘氏、三宅やよい氏、塩見恵介氏という顔ぶれ。

前半では、つきあいも長いベテランふたりの「掛け合い漫才」(道浦氏)であって、歌人と俳人の視点の違い、老いの問題、など短詩型にまつわるさまざまな問題が指摘された。
後半でも、まったく異なる俳句観を有するパネラーたちがコメントを交わしあい、興味深い議論が展開された。限られた時間で互いに問題点の示唆に止まったのが残念だった。
懇親会、二次会では昂奮さめやらぬ会員たちが、いつまでもパネラーを囲んで議論を続け、くだを巻く光景が見られた。遠方から来られたゲストの方々は夜中まで酔っぱらいに絡まれて大変だったろうと思うが、参加側にはとても面白い一日だった。

さて、以下は「船団 初秋の集い」のいち参加者によるレポートである。
まず、本稿の構成を述べておく。本稿は3つに分かれる。
(1)(2)手許のメモをもとに、当日の議論をできるだけ簡潔に紹介することを意図する。
ただし記憶とメモだけが頼りなので、正確な再現ではなく、印象的だった事柄を箇条書風に整理して略述する形になる。ご理解願いたい。
(3)ではイベントに参加した稿者の、個人的な興味に基づいて勝手な感想を書かせていただく予定である。


(1)対談「女うた・男うた」

当日資料として、A4一枚に、両者の略歴と近詠10作が掲載されたものが配布された。
まず、坪内氏から道浦氏の紹介。かつて『女うた・男うた』の連載をしたコンビで、自宅も近いので馴染みは深いが、話し合うのは久しぶりとのこと。
以下、対談に入る。なお文中、坪内氏、道浦氏の敬称を略させていただく。

坪内 俳句と短歌との違いは、なんだと思うか?

道浦 俳句は楽しい、短歌はお通夜、だと言っている。
二十年前、俳句人口が膨張したが、人数が増えても質の底上げにならない。
最近、短歌人口が増えてきて、俳句と同じ状況になっている。短詩型は入りやすい。

〔レジュメ、道浦の近詠10首(*1)を坪内が紹介。〕

道浦 坪内さんはよみ方が全然ダメ。短歌は調べが大切。

〔道浦、自身で朗読。会場から拍手。〕

坪内 (苦笑しつつ)老いを詠んだ歌がいくつかあるが、老いをどう捉えているか。

道浦 還暦を迎えるので、体力や健康など老いを意識している。
2000年頃、鬱、パニック症になった。人前で話すことが苦痛だった。八年かけてつきあってきて、元通りではないが、戻りつつある。

坪内 僕は短歌的人間/俳句的人間ということを唱えているが、道浦さんは短歌的人間。
僕には、そもそも戻るような「もとの自分」というものがあるのかどうか疑問である。
いい加減で、人に出会ってそのたびに変わっていくのが自分だと思う。
短歌は、表現の欲求がつよく、自己主張が激しい。年を重ねて主張しつづけられるのか?

道浦 短歌は青春の詩とされる。死ぬ間際にもいい歌が詠めるといわれるが、長い中年期をどう過ごすのか、自分にとっても課題。俳句のほうが「老い」には向いている。
私は、本来いい加減な性格だと思うが、勉強した『未来』がストイックな団体だった。

坪内 『未来』はアララギから続く短歌の王道。
『未来』の岡井隆は前衛短歌のトップランナーであり続けているが、しかし僕は岡井氏の難解な歌の魅力がわからない。

道浦 私は、発表するならわかりやすい言葉を使う。読んでもらいたいからである。

坪内 一方、歌壇と別に活躍する穂村弘のような存在もある。

道浦 短歌では俳句と違い、短歌協会が一元化していてヒエラルキーがはっきりしている。
穂村氏は同人誌出身で、いわゆる「歌壇」からは自由だが、短歌協会の仕事も引き受けている。アウトローではない。

坪内 道浦さんはやはり短歌が好きだと思う。短歌の何が好きなのか?

道浦 短歌は嫌い(笑)。長いので考えなくてはならない。
詩は本来、考えてするものではないと思う。言葉がむこうからやってくる、その言葉を自分のなかに入れて、自分の体温を与えて外に放つ行為。

坪内 やっぱりロマンチック(笑)。そんなに世の中うまくいかない。
俳句は昔から「ヒネる」といわれる。工夫する、考える文芸である。

道浦 俳句は考えるの? たとえば、ここに小西雅子『雀食堂』(創風社出版・2009年3月)がある。
こういう句ならどんどん作れそう、考えていないように見える(笑)。
いわば「フリー」の領域の技法。短歌でも、俵万智以降、フリーが増えた。
しかし短歌では、デッサンが基本になった上で使う技法、という認識がある。

坪内 デッサン、といってしまうのが短歌(笑)。坪内は写生が基本とは言わない。
さきほどの「老い」の話でもそうだが、短歌は「きちんと」受け止めようとする。
しかし、年を取ってもちゃんとして全てを受け止め、見続けようとするのは無理。
ボケて、自分を笑いものにする句、自分でもわからなくなっていく句が面白い。

道浦 農業をしている人が、目の前にある、一瞬一瞬の自然のうつろいを丁寧に切り取って見ている、そうした「きちんと見る」視点の歌に感動を覚える。

坪内 農業をしている人が、目の前の日常をそんなにちゃんと見ているのか?
われわれは、もう自分の目も信じられないので眼鏡を使っている。
手ぶらで自然に対してもなにもわからない。別の物を通して自然を見ようとする試み。
もっとたくさんの眼鏡を持つこと。僕にとってはカバであり、柿であった。

道浦 やはり自分の眼で見たい。短歌はどこまでも自己陶酔。自分にしか興味がない、
どこまで自分の内部に切り込んでいけるか、自分探しの旅だと思っている。

坪内 俳句は題詠を使って思いがけない発想をする。
たとえば僕の句、「かまきりと結ぶ友情星月夜」(*2)
かまきりと友情を結ぶんです。バカげてますか?(笑)

道浦 いえ、バカげてはいません。
完結した世界で、七七をつけても短歌にならない。短歌ではできない世界。

坪内 先日、佐佐木信綱氏と対談したときにも触れたが、短歌は実名の世界。

道浦 短歌は、作者の名前も含めて一種の作品と捉える。

坪内 短歌は、実名の自分を探す旅。俳句とは旅の仕方が違う。
僕は、旅をしながら変わっていくのが自分だと考えている。

道浦 短歌の形式は、一千年以上続いている。その大河の一滴が歌人たちで、歌人は形式に血を吸われて消えてしまうもの。その大河のなかで名前が残っていくかどうか。

坪内 最後に、これからどんな歌を詠んでみたいか。

道浦 恋の句!
坪内氏がかつて「現代短歌は片歌的」と言っているが、歌の王道、相聞をしたい。

坪内 まず相手を探さないと(笑)


(2)シンポジウム「百年後の俳句」

当日の資料は、B4一枚。パネラーの略歴と、シンポジウムプログラム。
第一部は「俳句、この百年」として、「現代の俳壇にも関わる、最も現在の自分の作句上、重要と思われる俳論」と「その俳論にまつわる具体的な例句」。 
第二部は「100年後の俳句技法」として、「100年後、自分がいたら詠みそうな一句と、それについてのパネラーの鑑賞」。
第三部は「100年後の俳句界」として「仮想俳句社会」を議論。

以下、議論に入る。登壇者の敬称は略させていただく。

司会からパネラーの簡単な紹介があり、今回の企画について一言ずつ発言。紹介は略。

高山 百年後という題だが、正直にいって考えつかない。また、自分は生きていないだろうし、責任のとりようがない。
実作者としての原則論を言えば、常に「今なにを詠むか」ということが重要視される。
百年後の俳句について楽観的か悲観的か、という問いをもらったが、どちらでもない、としか答えられない。

高柳 高山さんが言うとおり、百年後の未来、というとSFの世界。
リアルに想像すべきなのか、ファンタジイと捉えるか、悩むところだが、楽観か悲観かということであれば、楽観的に捉えたい、という立場である。

三宅 谷川俊太郎の言葉だったと思うが、「いつだって今だもの」という言葉がある。
百年後は、やはり環境も変わっているだろうし想像しがたいが、一方で井上ひさし氏が、「清少納言だって、冷蔵庫は手で開けるんですよ」と発言していたことがある。
月並だが、百年たって変わるものもあるが、変わらない感覚もある。

塩見 もともとこの企画は、僕が『船団』の特集案として出したものだった。
しかし坪内さんに、「百年後なんて生きてないし、興味ない」と言われて却下されたのを、食い下がって「初夏の集い」としてセッティングしてもらった企画。
今日は東京から三人をお迎えし、大風呂敷を広げて楽しい時間を過ごしたい。
第一部に入る。ここでは、「現代の俳壇にも関わる、最も現在の自分の作句上、重要と思われる俳論」と具体的な例句を挙げてもらった。
のっけから司会が話すので恐縮だが、正岡子規「俳諧大要 第七修養第三期」を挙げた。
以前、冨田拓也氏が、芝不器男賞受賞作の出版記念パーティで次のように発言していた。
「僕たちは遅れて生まれてきた。僕たちが俳句を始めたとき、あらゆる試みは終わっていた」
現在の俳句は、いろいろな結社が細分化され、多様化の名の下に自分勝手、ばらばら。
自分と近い考えの仲間が結社を作って、大きな波を起こせればいいのだが、多くの人は波を起こすことができない。結社ごとの小さな波、流行に乗るのはうまいが、波が来ないと乗れない、波を起こすこともできない、という人が多い。
前半の対談とも通じるが、作品を発表する以上、多くの読者に共感されたい欲求がある。
俳句の百年は、形式美にのって共感されたい欲求と、新しいことを表現したいというオリジナリティ尊重、のせめぎ合いだったと言える。
ところで『俳諧大要』だが、これを読むとどんなバリエーションが出て出尽くしたように見えても、俳句にゴールはないのだ、と思わせてくれる(*3)
技法云々以前の問題として、俳句に対して自分がどのように関わっていくのか、という姿勢こそ問われるべきではないか。

高柳 藤田湘子「私詩からの脱出」(*4)を挙げた。
湘子は私小説風の俳句が蔓延し、俳句がモノローグになってしまうことを危惧していた。
この当時、それまで兄事していた波郷と決別し、境涯俳句、生きること即ち俳句、という考え方からの脱却を試みている。この翌年、湘子は現代俳句協会に入る。
実生活だけでなく、想像力によって二物を衝撃させる、イマジネーションの復権。
しかし現在でも俳句は「私」の生活を切り取った、日記風の作品が主流。
そのため、批評でも作品の背後に作者の生活をみて、作者の人生を想像しながら批評するという立場が一般的。近年話題の『鑑賞 女性俳句の世界』でも同じ。
しかし、先ほども名前の出た冨田拓也氏や、佐藤文香氏の句の「私」性はもっと自由。
自分の肉体とは別に「ことばの世界」を作っていると感じられ、興味深い。
一方で、老齢の俳人にも興味深い「私」性の発露がある。
深見けん二氏、後藤比奈夫氏のようなベテランの伝統派俳人の近詠では、「私」が溶け出して周りと一体化しているかのような、生活俳句とは別種の世界が展開している。
今後の俳句の「私」性、という問題点から、藤田の論は今も有効と考える。

三宅 坪内稔典『俳句のユーモア』(*5)を挙げた。
私は俳句を始めた時期が遅く、四十歳を超えていた。
俳句か短歌を始めてみたい、と考えたとき、なにか特別なルールがあるらしいとはわかったが、入門書や実作手引を読んでも、季語やら切れやら、全然わからなかった。
もっともわかりやすかったのが、坪内氏の本だった。とにかくわかりやすい。
俳句の最大の魅力は垣根の低さ。
難解なものから易しいものまでいろいろあるが、普段通り、どんどん作れる句がいい。
坪内氏に教えられた魅力は、口承性と俗の力。例句にある商品名は俗語の代表。
時代感情を喚起し、俳句に親しんでいない人にも開かれる。
外へ外へ、どんどん開かれていくことが俳句の魅力。」

高山 関悦史「全体と全体以外―安井浩司的膠着について―」(*6)を挙げた。
評論というよりも、安井浩司ありきで選んだ。
安井浩司論は難しいが、今まで読んだ安井論のなかで出色である。
安井は、俳句でどこまで行けるか、という境地であり、安井以後なにを作るか、と問い続ける存在。今回他のパネラーの例句を見ても、安井が一番。敵わない。
安井のすごさは何か。季語の大系とは別に、自然を詠む様式を作っているところ。
自然とは何か、という大きな謎に対し、哲学でなく俳句で答えたのが安井浩司だ。
充実したリアリティがありつつ、不条理、理不尽な世界。
「われわれは何故生まれ、何故生きているか」という理不尽さ、不条理さの世界。
安井の句は難解で共感を得にくいが、今回挙げた例句は比較的理解しやすいもの。

三宅 (高山に対し)安井の句は読者を選ぶのではないか。やはり難解である。

高山 難解といわれているものも、時間がたって評価が固まれば受け入れられる。
ピカソの絵をわれわれは名画として鑑賞するが、当時は大きな反発を招いた。
安井の句は、たしかに安井自身の評論の難解さもあり、難解なイメージが先行する。
受け入れやすい簡単な句だとは言わないが、現代詩の世界などでは評価が高く、難解さを超えて愛読者がいる。俳句を超えたテーマを扱っているといえる。
「百年後」を考えると、おそらく今とは社会がまったく変わる。
季語や環境が変化して、俳句のルール、用いられる語ががらっと変わってしまっても、読めるのは安井のような句ではないか。

道浦 (会場から)坪内さんが俳句にしきりと俗語を取り入れている。
短歌の場合、単語の賞味期限を注意する。
ひとつは今回のような商品名、流行語の摂取。もうひとつは、時事詠、社会詠である。
こうした俗語や、時代感情を喚起するテーマ、言葉は、同時代には共感を得るが、時代を超えて訴える力を持つことが難しい。その問題をどう考えるか。

塩見 問題が大きいので、社会詠の問題は司会から簡単に。
今回のイラク戦争や、かつての湾岸戦争など、短歌の世界では時事詠が多かった。
俳句の世界ではそれほど顕著ではないのではないか。時事詠は得意ではない。

高柳 語の賞味期限の問題について。
今回のような単語レベルのことであれば楽観的。注釈を付けられるからである。
われわれは古い句を読むにあたって注釈を使っている。同様に現代の句も、丸大ハムにアスタリスク(*)がついて注釈される日が来るだろう。
もっと心配なのは内容の賞味期限である。
たとえば僕は中村草田男の青春俳句、明治の青年が抱いた感慨に共感できない。
単語レベルでなく理解できない、読まれなくなる句がありうる。

塩見 高柳氏の言った、若い人たちの「私」性という問題。
俳句に限らず、短歌などを含めた全体のムーブメントではないか。
以前『船団』で「新しいわたし」という特集を組んだ(*7)
女性が句のなかで「僕」という別の人格を作ったり、また普段の会話でも「自分的には」など自分を突き放したような、客観したような言い回しをしたりする。
若い世代は、自分のなかに自分ではないニュートラルな人格を意識しているのではないか。

高柳 女性が僕というのは歌謡曲などの影響もあると思うが、短歌や詩の同世代との共通性とは感じなかった。

高山 「私」性が薄いのは、もともと連歌俳諧の特性ではないか。
波郷のような境涯詠、個人の生活を全面に出す俳句が、例外とは言わないが別種。
虚子の句などを読んでも抽象的というか、超人格的だ。

塩見 たちまち説得されそうになって困る(笑)。
第一部がのびたが、急いで第二部「100年後、自分がいたら詠みそうな一句」に入る。
また司会からで申し訳ないが、「古池や蛙飛び込む水の音  芭蕉」を挙げた。
百年後に自分が詠めるような実力があるわけではないが、いつもこの句の力を意識している。それは一般的にもっとも知られている句、ということである。
専門でない一般の人が、俳句といえばこの句をあげ、支持している。
もっとも大衆に支持される句だが、一方で、蛙が何匹飛び込んだとか、そもそも飛び込んでないとか、いつまでも議論の対象となり、鑑賞しつづけられている。
いつまでも俳句のモノサシとなっており、自分自身も俳句を考える指標である。

三宅 「湧く風よ山羊のメケメケ蚊のドドンパ  白泉」を挙げた。
かつてこの句の鑑賞を書いたことがある。鑑賞では時代背景など注釈的なことも書かなくてはいけないが、メケメケ、ドドンパ、と当時の流行語を用いながら、音や見た目だけで意味が分からなくても充分インパクトがあり、山羊、蚊の擬音にも重なる。
時代の息吹を盛り込みながら、かつ時代を超えて鑑賞が許される句が理想的。

高柳 「鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中  敏雄」を挙げた。
読もうと思えば、地球のなかの人類とか、寓意に偏って読むことも可能。
寓意に誘いこみそうでいて、表現は鉄バクテリアそのものについてしか詠っていない。
解釈の多様性が許される、表現の強さ。」

高山 「チタンから来るあれは黄金虫、胸が壊れ歩く羅漢達  福田尚代」を挙げた。
いったい何だ、と思われただろうが、実は回文である。
作者は本職の俳人ではなく、美術作家として高名な人。
世の中に回文を愛好する集団がいて、私と同じ『豈』にも宮崎二健氏がいるが、はっきり言うと少人数だし、なにが目的なのか、わからない。
言葉の組み合わせを楽しむという面では俳句と通じるが、俳句以上に作り手の側は圧倒的に拘束されている。俳句は作り手と読者とが共有できるルールがあるが、長い回文は回文と言われなくてはわからない、つまり面白さが共有できない。
作り手の側だけが圧倒的に拘束されている。これは、俳句の作り手と受け手の問題を考えるときになにか参考になるのではないか。
本作は回文とわからなくても、詩の一片としても出来の良いものだと思う。

塩見 時間が迫っているので第三部に入る。

三宅 (百年後の俳句社会の問題として)結社の問題を挙げた。
私が俳句を始めたころ、転勤が多く、ひとつの句会に行きつづけることができなかった。
知り合いもいないので、結社や句会に入ることも敷居が高く、怖かった。
そんななかでメーリングリストやインターネットを活用し始めた。
ネットを利用すると、結社を超えて、いつでもだれとでも句会ができる。
最近、話題になっているのは結社に入らず、尊敬する俳人と一対一でやりとりをしている若手俳人の存在。ネットを利用するからできる。
結社の閉鎖性が打ち破られたことは喜ぶべきだが、結社制度という縦の規範がないまま、横のつながりだけが広がっているのは不安でもある。
時代は逆行しない。今後、結社も様変わりしていくしかない。

高柳 有季定型の立場から、季語の問題を挙げた。
百年後というと、いまの季語がどこまで残っているか、という問題になる。
先日、現代詩のイベントで、吉本隆明氏が、「ゼロ年代の想像力」として、
「若い詩人の詩は無だ。なにもない。なぜか。自然がないからである。
といった発言をしていた。
俳句にも、自然を喚起させる力のない季語の使い方が増えているのではないか。
季語を神聖視するあまり、季語に飲み込まれた句は空洞である。
雪月花など歴史のある季語は特に、季語の美意識に飲み込まれる。季語の本意を拡充し、いま生きている視点から大胆に読み替えていく覚悟がなければ季語は生きてこない。

高山 季語の問題を続けたい。
レジュメでは「100年後の東アジア」としたが、苦し紛れに出しただけなのでやめます。
高柳さんは有季の立場から季語がなくなるという危機感に言及した。
私はもっと気楽な立場なので、季語が滅んでもいいと思う。
だからこそ安井浩司、と言いたい。
冒頭から「百年後の俳句」問題には本気になれないと述べたが、なぜ本気になれないか。
俳句は詩歌のいちジャンルに過ぎない。
小説、といったって近代ヨーロッパにうまれた一つのジャンルに過ぎないが、詩は全世界的に人類が必ず有している。
谷川によれば、詩は歴史より古い。
百年という単位は大きい。いままで季語が俳句の大きな要素と考えられていたが、百年後は、季語をまったく考えない価値観があらわれるかも知れない。
むろん、俳句が季語を失えば大きく力を失うが、価値観が変われば新しい詩が生まれる。

塩見 100年後の東アジア、についても是非意見を伺いたかったのだが(笑)。
100年後の八月十五日、と問題を出した。実は八月十五日は私の誕生日である。
日本中がしんみりと慰霊するなか、私はケーキもなくつまらない誕生日を過ごしてきた。
むろん、これはまったく個人的な感傷だが、八月十五日は日本中がまったく没個性的になる日である、といえる。
農耕文化を基本とする日本人は春と秋を大切にするが、いまの都会人にとって一年の区切りは盆と正月。戦争の記憶が薄くなっても盆は来る。
八月十五日には、たとえば総理大臣や天皇が「季節を詠む」俳句に託して慰霊の気分をあらわす、というような時代が到来するのではないか。
今年の八月は、ぼんやりそのようなことを想像していた。

塩見 若干時間があるので、フロアからの質問をうけつけたい。

 (会場)今回、若い人もいるので、俳句の国際化ということについて意見を聞きたい。
いま海外でも、また日本でも外国人の俳句愛好家がかなり増えているという話を聞く。
大相撲のようにさまざまな国の俳人が俳句をするようになったら面白いと考えている。」

高柳 日本文化が広がるのは嬉しいが、国際化を手放しで喜ぶ気にはなれない。
国際化も含め、今までの右肩上がり路線、大衆化路線がいいのか、考えるときだ。

高山 外国でのハイクには俳句とはいえない、三行の短詩である。
そもそも、それぞれの国でどの程度のレベルにあるのか、その国の文化の中心にインパクトを与えられるだけの力を持っているのか、という疑問が残る。

塩見 壇上の人間はみんな、国際化にはちょっと距離を持っている人ばかりだと思う。
手に余る、といったこともあるのかもしれないが。

堀本吟 (会場)『豈』の堀本吟です。
今回、安井浩司の句が難解だとか、全体的にアウェイなので高山の弁護をしたい。
理論的ではないが直感的に安井句集は百年後にも評価される、と感じる。
難解、という声が多いが、難解でわからないからゴミ箱へ入れて顧みない、という態度はあまりにもインテリジェンスに欠ける。コトバが進化しない。

塩見 今の発言は、権威主義に陥る危険がある。
わからないことをわからないと言える素人の意見を無視することがいいのか。
わかる、わからない、も結局は想像力を働かせる作法であり、専門の俳人だけが正しい読みを知っている、奥義のようなことでいいのか。

堀本 誤解を招く発言は撤回したいが、わからないから捨てる、という態度はいけない。
よくわからないコトバの悪戦苦闘のなかから坪内稔典も誕生したのだ、と思っている。

塩見 ありがとうございました。ここでシンポジウムを終わらせてもらいます。


(3)「船団 秋の集い」を終えて

坪内氏が自分の句のことを、
「バカげてます?」
と聞いたとき、道浦氏は即座に否定した。
前半の対談で、「短歌」と「俳句」との違いがもっとも明確になった部分だったと思う。
「俳句」を「バカげたもの」と捉える(可能性を示した)坪内氏に対し、それを「バカげてない」と即答してしまう真面目さ、は、道浦氏個人のキャラクターでもあろうが、明確に作品を表現手段として認識する短歌ならではの応対だったのではないか。

とはいえそれも坪内流の俳句に馴染んでいる人間だから、そう思うのかも知れない。
そういえば、懇親会場で
「『船団』の俳句って、やっぱり軽いと思います?」
と尋ねられた高柳氏が、
「いいえ。むしろ俳句の根源的な俗のパワーに向かっていく、力強さを感じます」
と答えていたのも印象的だった。
道浦氏も高柳氏も、すごく真摯に答えてくれたのだが、「船団俳句」は、もしかしたらもっと馬鹿馬鹿しく、もっと軽やかに、なる可能性、ないし必要性があるのかも知れない。

俗へ向かうパワー、ということは、たしかに『船団』の一つの原動力だ。
後半のシンポジウムでも、ほとんど潔癖なほど「俗」「大衆」へベクトルを向ける『船団』会員(含フロア参加者)と、外部ゲストふたりとの間に、妙な緊張感があったようだった。

後半シンポジウムは、時間の関係上議論が熟さず、結果的にはあまり具体的、建設的とはいえなかったが、いろいろと興味深い問題点が数多く示唆されて面白かった。しかし参加者からはしきりと「わからない」「むずかしい」という声があがっていた。

例えば、「百年後の俳句」というテーマで、どんな議論が想定されるだろうか。
ひとつは、百年後の世界で俳句が残っているのかどうか、残っているとすればどんな形式なのか、つまり「百年後に作られている俳句」という視点。
もうひとつは、百年後の世界でも読まれる俳句、読まれる俳人はどういったものだろうか、つまり「百年後に残る俳句」という視点。
ほかにもいろいろありうるだろうが、当日はこのふたつの視点が重なり合いながらすれ違い、出たと思ったら引っ込み、結局、刺激的で面白そうだけどかゆいところに手が届かない、消化不良な議論になってしまっていたのかもしれない。

百年後の俳句、について「楽観的に捉えたい」と発言した高柳氏。
高柳氏は有季定型の立場から、「季語」の読みを不断に更新し、現代的感覚の「自然」を俳句に取り込んでいこうとする姿勢を示した。
一方で、高柳氏は、フロアとの質疑のなかで、これまでのような大衆化、拡大路線に対して疑問を投げかけた。
いや正確には、国際化に賛成する意見に対して疑問符を付けただけなのだが、あえて意地悪く高柳氏から「大衆化」に距離を置くスタンスを読み取っておこう。

正直なところ、今回のシンポジウムで驚いたのは、パネラーの多くが「百年後」に俳句が生きている、という前提で話を進めていたことだった。
唯一、高山氏が、詩は歴史より古い、という言葉で、俳句が滅びても詩が滅びることはない、という発言で、その可能性を示したといえる。
高山氏の言うとおり、小説novelでさえ(先行するさまざまなモノガタリの影響下にあるとはいえ)近代に生まれたいちジャンルだが、詩は世界的に存在し続けている。

しかし、近代に(先行する俳諧の影響のもとに)誕生した「俳句」は、同時期に日本に導入された「小説」に較べて、なんと影響力の小さいことか。
以前テレビのクイズバラエティで、「次の有名な俳句の空欄を埋めて完成させよ」という問題があったが、芭蕉、蕪村、一茶ばかりで、子規「柿食えば」が唯一の近代俳句だった。
「大衆文芸」とされる近代俳句は、なにを、どこに残したと言えるのだろうか?

暴論であることは承知の上で、「百年後の俳句」というテーマにおけるパネラーたちの意見を、「拡充」というキーワードでまとめてしまいたい。
「俳句」を知らない人に「開いていく」こと。
「俳句」の言葉で「季語と異なる自然詠の様式」を確立すること。
「俳句」をつねに現代的視点から「読み直し」「拡充」すること。
たとえば安井浩司氏の「大きな謎」を「俳句」の言葉で語る姿勢や、三宅氏が白泉の句から見る「流行語をとりこみつつ、それを超える表現」は、いずれも一時の「座」のなかで消費されてしまうような「俳句」を、「拡充」する試みだ。
パネラーたちの議論は、当人たちが思っていた以上に重なり合っていたように思える。

俳句は、生まれてまだ百年しか経っていない。
まだまだ、さまざまな要素を取り込んで、「拡充」する時期なのではないか。
「俳句は敷居が低い」のは、初心者のためだけの言葉ではないと思っている。
短く、どんどん作れる俳句は、だからこそ、どんどんいろんな挑戦をしていけるのではないだろうか。
今後、「百年」。
俳句が生き残るには、もっともっといろんなことが試みられて、いい。


(了)


以下、註はすべて当日配布の資料に拠る。

註*1
道浦母都子歌集『花やすらい』(角川、2008年)より十首
  おずおずと沖へ去りゆく引き波のように静かに来ている老いが
  『時雨の記』閉じたるのちを昭和の日あたため合いし恋を思うも
  言葉失くし声を失くすということの生きる日にあり山茶花の白
  沈鬱な時代気分の表象か新書のタイトル『死にたくないが、生きたくもない。』
  踏み切りに鳴る警報機の音あましふとしもひとを呼び寄すような
 「不孝の手紙」束ね燃したる高三の秋に始まるちぐはぐの生
  ファックスとメールで済ませ人間と声を交わさぬ一日終わる
  不意に鳴る楽器となりしちちのみの父のあやかし傘を離さず
  冬ごもりルーペに頼り読む伝記一人の一生二時間で足る
  母の忌は如月九日必ずや雪降る必ずざらめの雪が

註*2
坪内稔典句集『水のかたまり』(ふらんす堂、2009年)より十句
  雪が来るコントラバスに君はなれ
  化石掘る十一月の終わりの日
  おとなりはハイネ氏一家柿落葉
  ころがして仏頭を彫る冬の虹
  冬の日の男とアメリカバイソンと
  綿虫の三粒に会って戻ったよ
  時雨来て湖心の魚の目のつぶら
  秋の日のベンチあなたのいた窪み
  頬杖と水平線の秋の窓
  かまきりと結ぶ友情星月夜

註*3
正岡子規『俳諧大要』「第七修養第三期」
『俳文学大辞典』によれば、この部分は「『空想と写実を合同して非空非実の大文学』を提唱。伝統美の幽玄と新時代の写実との止揚で、のちの平坦味論への緒とした」ところに俳論的意義がある。そうした俳句の文芸理論にも有効であるが、むしろ、俳人以前の人格修養、「俳人の品格」を見事に表し、俳句に携わること、俳句に生きることはどういうことにつながるか、を示している点に、若い読者は励まされる、人生論でもある。百年間、この書をひもといてきた俳人はいつも「あなたはどの星を目指しているのか」と問われてきた。
【例句】糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

註*4
藤田湘子「私詩」からの脱出(「俳句」)
…見えるものだけを見て、感じ、そして俳句をつくるという単純作業が、かなり幅広く今日の俳壇を覆っていることは間違いない。こうしたいわば一方通行的なプロセスは、必然的に俳句をモノローグの詩へと傾斜させていく。そして、モノローグと季語というムードのしあわせな結婚。いわゆる伝統俳句と呼ばれる一群の作品は、このままではいつまでも「私」を中心とした湿潤な世界の中で、カビのように細かく細々と生きていく命運をたどることになるであろう。
【例句】枯山に鳥突きあたる夢の後

註*5
『俳句のユーモア』坪内稔典
①口承性と俗語 商品名は俗語中の俗語というもの時代の息吹をもっとも湛えた言葉である。俗語を活かしてきた俳句の伝統に沿う限りこれを活かさないという手はない。
②俳句は作品をいとも簡単に覚えることのできる文芸
③自己の表現によって他者(読者)を説得したり納得したりするのではなく、自分の表現をもとに、他者とともに自己を開いていく。
【例句】春の坂丸大ハムが泣いている

註*6
関悦史「全体と全体以外~安井浩司的膠着について」:『俳句空間―豈』第27号掲出
ごく簡単にまとめてしまえば、安井浩司は、俳人は「もどき」としての霊性を担った俳句づくりを目指すべしと言っているのではなく、「もどき」である俳句の悪意を介して(あるいは使役して)全体性そのものを目指すべしと言っている。のちの『汝と我』(昭和六十三年)後記にある「私はもはや世に謂う詩人でも俳人でもなくてよいと思い始めている」という一説は、そうした自覚の深まりをあらわしていると取れる。
【例句】万物は去りゆけどまた青物屋

註*7
『船団』58号(2003年9月)

4 コメント:

Unknown さんのコメント...

 久留島 元さま、貴ブログにもご挨拶しましたが、丁寧なご報告、を読ませて頂きました。私の意剰って言葉たらずの発言についても、趣旨を押さえたまとめ方をしていただきありがとうございました。先日の論調の流れ方をよみとっていると、全般に俳句界は、離合集散の再編期にあるようです。

求める表現が成り立つような回路のきりひらき、できれば、その理想が良い文化的土壌となるらばどのような意見も実作も全てよし、と言う具合にコンセンサスがとれたら、いちばんいいとおもっています。
 この後の一百年や国の春   高濱虚子
 千年やそよぐ美貌の夏帽子  攝津幸彦
 千年とひと春かけて鳥墜ちぬ  同
 山嶺の百年の家銀木犀    坪内稔典
  
こういう都合良くきりの良い数字は、個人史にとっては、どうでもいいのですが、表現の意匠としてはおもしろいです。五七五の文節の切れ目みたいで。吟

岡村知昭 さんのコメント...

失礼いたします。
当日はもしかしたらご挨拶したかもしれませんが、はじめまして。

丁寧にまとめられたレポート、当日の雰囲気がよく出ていて、今後の参考に十分なるものです。読み返しながら自分のなかでの「百年後」
について、そして自分の俳句を考えるきっかけになると思います。

もし今度お会いできることありましたら、そのことも含めてじっくりお話できたらと思ってやみません。今から楽しみにしております。

お疲れ様でした。

久留島 さんのコメント...

遅ればせながら、掲載ありがとうございます。だらだら長い文章になってスミマセン。ところで読み返してみたら、「*7」を附け忘れていることに気づきました。失礼しました。

*7
『船団』58号(2003年9月)「特集 新しいわたし」

です。

>吟さま
ありがとうございます。
数字を上手く使う俳人は魅力で的ですね。同時に、議論でも数字が効果的に提示されると明確で魅力的です。
実質の意味はともかく、
「近代俳句百年」、「虚子没後五十年」の年に「新しい百年」を考えられたことはよい機会だったと思います。

>岡村知昭さま
ありがとうございます。
当日は、会の終了後に越智の近辺でお会いしたような気がいたします。
また何かの機会にお話しできれば、よろしくお願いいたします。

tenki さんのコメント...

(*7)の件、仰せのとおり調整しておきました。

気づかず、申し訳ありませんでした。