〔週俳10月の俳句を読む〕
さいばら天気
どんどんおもしろさを増し
蛤に残る雀の空腹感 後閑達雄
雀が蛤となるとき、まずは外観上の相似を思う(蛤に雀の斑あり哀れかな・村上鬼城)。色や模様が残る。ほかに何をもって雀と蛤とを繋ぐかで、いろいろな句ができるようだが、掲句は「空腹感」。
空腹という、かたちのない渇望、不足・欠落にまつわる感覚が、空と海とを貫くことを思うと、なにかこう、大きな世界というものを感じたりする。で、ちょっと切ない。
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林檎タルト映画は悪の勝つてゐる 酒井俊祐
映画館も最近は洒落た売店があったりするので、林檎タルトくらいは売っているかもしれない。飲み物はスプライトくらいか。そんなことはどうでもよかった。あるいは自宅のDVDで、冷蔵庫から林檎タルトを出してきて、ちびちび食べながら観ている。あるいは、映画のなかのテーブルの上に林檎タルトが置いてある。ぜんぶどうでもいいことだ。
映画はまだ途中である。林檎タルトもまだあるのだから食べ終わっていない。いまは悪が勝っているようだが、結末は? 予定どおり善が勝つのか。
ところで、さっき、DVDで借りた「トリコロール/白の愛」(クシシュトフ・キェシロフスキ監督・ 1994年)を観た。善悪の話ではないから、どちらが勝つというのでもない。で、DVDプレーヤを止めてテレビ画面に映ったのが「ダイハード」(ジョン・マクティアナン監督・1988年)。いったい何百回目なのだろう、この映画のテレビ放映。こちらは善と悪がはっきりしていて、結局は当たり前のように善が勝つ。これもぜんぶどうでもいいことだった。
一方、作者はどうだろう? 善に勝ってほしいのか? 答えは「どうでもいい」だと確信する。べつに映画がどう展開しようと、どうでもいい。時間が来れば終わる。それだけだ。
ところで、どうでもよくないことが書いてある俳句は、数秒は感心するかもしれないが、数秒後は退屈になったりする。掲句は、〈どうでもよくないこと〉が少しは書いてあるが、それほどでもない。林檎タルトと品は変わるが、かなり「カウチポテト」な句だ。そういう句は、繰り返し読むうちにどんどんおもしろくなってくる。実際、いまもまさに私のなかでどんどんおもしろさを増し続けている。
■後閑達雄 コスモス 10句 ≫読む
■酒井俊祐 衛生検査 10句 ≫読む
■菊田一平 盆の波 10句 ≫読む
■中村与謝男 熊野行 10句 ≫読む
■正木ゆう子 無題 10句 ≫読む
■太田うさぎ 泥棒 ピーターとオードリー 20句 ≫読む
2009-11-08
〔週俳10月の俳句を読む〕 さいばら天気
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