葦の角 石地まゆみ
紺青の風を湖北のさくらかな
さざ波は鎮魂のこゑ葦の角
朝ざくら百戸の浦は銀泥に
辛夷の芽空に溶けたる光悦忌
はるけきは雲を見るとき蕗のたう
つくづくし茎に眠れる水を摘む
奥津城は土足を禁ず遠雲雀
糸取りの里ひそやかに養花天
小指なき仁王の右手鳥の恋
花樒亀のほつほつ乾きゐる
道連れは山へと入りぬ百千鳥
春光やベンチ毀れてゐることも
花の中嘘つく指となりにけり
春の鯉己があぶくを己が食み
桜満つ白紙といふはうつくしく
堕天使の風切拾ふさくら冷え
雲雀落つ勢ひの果てはゆるやかに
烏の巣一刻もてあましたる朝よ
乾し物の湖へなびきて豆の花
桜散る名物コロッケ揚がるまで
水温む竹細工師の指の胼胝
謳うては喉の埴色つばくらめ
蓮如忌の漁具と手鍋と並べ干す
船室の椅子は緑の目借時
春の鹿真昼の鬱を残しけり
苧環の猫伸び切つて失せにけり
くわんおんの雨聴く八十八夜かな
浮き苗を植ゑては蝌蚪の国乱す
筍の闌けて傍若無人かな
くひな鳴く前頭葉はどのあたり
網解いて綿菓子のやう五月来る
夏の蝶島に遊子のよく出逢ひ
老鶯に老鶯こたへ四足門
すめらぎも鳰の浮巣も匿へり
庭石菖言ひ置いてもう現れず
千重波に小さき帆立てて水馬
じやがいもの花真ん中は明るい子
二階には女の集ひ鯰喰ふ
夏の陽に笑ふがごとく竹瓮籠
日の暈やつばらつばらに小鮎の目
振り放つものを持たざり草蜉蝣
相論のむかしや小田の紅卯木
田植機を褒めて腐して田の翁
麦の穂の天を戒めかぐはしき
重なりの奥のちちいろ白牡丹
波に陽のたはむれ描きよ小判草
軽口に漁り小舟のうなぎ筒
髪の芯やうやう乾く青葉木菟
水や空残れるものに鵜の十字
あはうみは音の浄土や桐の花
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2009-11-01
テキスト版 2009落選展 石地まゆみ 葦の角
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1 comments:
小指なき仁王の右手鳥の恋
「片手」だったら、ああ、指が一本欠けてるな、という立場を保てるのですが。「右手」は、とても「身」に近いことばなので、まるで我が身の小指が欠けているように思われる。そのやや切実な空白と、「鳥の恋」ということばの(声だけ聞こえる)鳥の不在が、照応している。興梠さんの句についても書きましたが「鳥の恋」という季語は、どうしてこんなにさびしいんでしょう。ものが〈仁王〉だけに、ちょっと「幸福な王子」のようでもあります。
桜散る名物コロッケ揚がるまで
琵琶湖周辺を舞台に、しっとりと情緒豊かな50句。なぜか、何度読んでも、この句に立ち止まってしまう。その土地があらかじめ持つ興趣とはまた別の、「来てみたら、あった」という偶然感があるからだと思う。
ググってみると、ほんとにあるんですよ、名物コロッケ。
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