中村苑子遠望 6
少年は百合のように
松下カロ
百合剪つてくれし少年尼僧めく 『吟遊』
百合には様々な種類がありますが、犯しがたい処女性を感じる人が多いようです。真直ぐな茎。俯いた蕾。白の、あるいは朱色の花弁が遠慮がちに開き始める時のひめやかさ。しかし、いったん開ききってしまうと、めしべおしべが奔放に伸びて、匂いには、あらあらしい野性が漂います。
中村苑子の句に繰り返し現われる少年たち。
淫祠に見入る少年虫の顔をして 1954
木登りの少年は老い切株に 『四季物語』
少年とゆらゆら揺れて春の湖 『吟遊』
少年と犬と五月の雲灼けて
蛇を飼ふ少年静止せる故郷
百合剪つてくれし少年尼僧めく
美保祭り棹歌むかしの美少年
少年美し雪夜の火事に昂りて 『花隠れ』
むかし吾を縛りし男の子凌霄花
上の句群から、
淫祠に見入る少年虫の顔をして 1954
少年美し雪夜の火事に昂りて 『花隠れ』1996
百合剪つてくれし少年尼僧めく 『吟遊』1993
作句の時系列ではありませんが、この順番で読み進みたいと思います。三句は、まるでひとりの少年の数年間の変貌を表現しているかのようです。少年たちには、もうひとつ、共通点があると考えられるのですが、それは、句を読みながら明らかにしたいと思います。
淫祠に見入る少年虫の顔をして 1954
淫祠。女性、あるいは男性を象徴した石や古木などをまつった小さな「ほこら」が、山間の雑木が小高く茂った一角、海辺などに残っています。花や小さな供物が置かれているのを見ることもあります。辺りに人影は無く、神は古びた木屋のなかで鎮もっています。
虫の顔。何かに夢中になっている時、子供は、憑かれたような、人間を離れた表情になるものかも知れません。ほの暗い林の中、祠の小さな扉を透かし見ている少年の吸い込まれてゆくような表情。十歳くらいか、何にでも興味をそそられてたまらない、といった年齢です。見入っているばかりではありません。少年は、古い祠をいま暴こうとしているのです。扉を開こうか、どうしようか、ためらっている手は汗ばんでいます。もう一度、まわりを見回して、誰もいないのを確かめた後、そっと壊れかけた扉に手を伸ばす…。欠けた鏡か、木片か、それとも祠は既に侵されて、中は空っぽか…。見てしまったあとの失望は、句のすぐ外側にあります。
俳人は、空中から少年を俯瞰しているようにも、また彼の表情が、手にとるように見える場所に立っているようにも感じられる不思議な位置に自分を置いています。
少年美し雪夜の火事に昂りて 『花隠れ』
少年の頬には、炎に包まれた家屋の影が、あかあかと差しています。上句は八音。この句には、どうしても「美し」という言葉が必要なのでしょう。「昂る」という言葉から、彼は、祠を覗き込んでいた頃より、すこし成長していることが解ります。
夜の火事には、野次馬が押し寄せます。私達は、何故か、破壊されてゆくものに不思議な興奮をおぼえます。思えば哀れな人間の習性ですが、雪が降りしきる夜、燃える建物は、本能に訴えるように美しいのも確かです。
三島由紀夫の小説「金閣寺」の主人公は、貧しく、コンプレックスに打ちひしがれた青年です。暗い生い立ちと閉塞する生活の果て、彼は、ただ美しいもの、滅びゆくものに生涯をかけて縋り、憧れの対象、金閣に火を放ちます。
焼け落ちる国宝を遠く眺めながら、彼が「生きようと思った。」ところで物語は終わります。中村苑子の「昂る少年」は、燃える金閣を青年とは反対側、凋落を知らない無辜の淵から見つめているようです。
淫祠の少年は、昆虫採集の延長のように無邪気に、性的な意味を秘めた祠に近づきました。そして、雪夜の少年は、炎の中、華麗に滅んでゆくものに心を奪われる…。俳人は周到です。禁忌を含んだ状況こそ、この年齢の少年たちを描くに相応しいものとして、選び取られています。
淫祠の少年は、秘められた神の場所を侵し、雪夜の少年は、破壊を愛し、道徳を侵す。
では、三句目の少年は、何を侵すのでしょう。
百合剪つてくれし少年尼僧めく 『吟遊』
侵すべきものを持っていないようにも見えますが…。
優しく百合を剪り取ってくれた少年は、まるで尼のよう。セクシュアリティーから一歩身を引いた、硬質でいながら、どこかあやういその美しさ。彼は今、人生にほんの一時しかない両性的、あるいは中性的な時間を生きています。
尼僧は女性です。少年は男性です。二者を「百合」によって結び付けることで、
中村苑子は、いとも簡単に、性を乱し、翻弄しています。百合の少年は、自らが自らの性を侵しているのではないでしょうか。三人の少年は、それぞれが何かを侵し続け、最後の句で、少年時代は終わりにさしかかります。
謡曲「菊慈童」で使われる面(おもて)は、十代の少年の貌です。その「滅び」の面差しには、かたちが現れた時、既に消えかかっているような、はかない美しさが漲っています。
美少年春の正午をいそぎけり 柿本多映 『夢谷』
ひるすぎの美童を誘ふかたつむり 『花石』
美少年かくまふ村の夾竹桃 『蝶日』
柿本多映の少年句にも、「ほんのわずかな時間」に変容する少年の刹那の姿が鮮やかに写し取られています。多映の少年は、苑子の少年よりもっと引っ込み思案な性格のように思います。苑子の少年には、ちょっとダークな酷薄さ、多映の少年には、腺病質な素直さを感じます。これは、ふたりの嗅覚すぐれた俳人が、少女期に出会った少年の個人的な差によるものなのかも知れません。
少年の無邪気でやんちゃ、という陽の面の裏側に、男でも女でもない不思議な陰性の美しさをみる芸術家は多いようです。
トーマス・マンもそのひとりです。ヨーロッパ近代の知性の行方を追及し続けた大作家の中期の名作、『ヴェニスに死す』。ここには、栄達した初老の作家が、休暇中ヴェニスで出会った美少年に焦がれ、何もかも投げ出し、命さえむしばまれてゆく有様が息苦しいほどの写実筆致で描かれています。
「語るように、うちとけて、愛嬌をこめて、そしてあからさまに、タッジオ(少年の名前)は彼に向ってほほえみかけた。・・この微笑を受け取ったその男(作家)は、何か宿命的な贈り物のようにそれを抱いて、急いでそこを立ち去った。… 『きみはそんなふうに微笑してはいけない。いいかね、誰にだって、そんなふうに微笑してみせるものではないのだよ。』 …彼(作家)は愛慕のきまり文句をささやいた。 『わたしはおまえを愛している。』…」(『ヴェニスに死す』岩波文庫 実吉捷郎訳)
天性の「堕天使」といった趣。
百合をくれた少年を「なんて親切な・・。」などと思っていてはいけません。
百合剪つてくれし少年尼僧めく
上五と中七が下五へ素直に係る流麗な構造。古画を見ているような様式美を感じます。少年の句を詠む時、苑子は慎重になります。所謂『俳句評論』風の、理の勝った、幾らかぎこちない方法は、あっさりと手放してしまいます。意識的な方法は、使って良い時だけ、誤解を恐れずに言えば、句友のパターンの剽窃をもいとわないほど大胆に取り入れています。
貌を探す気抜け風船木に跨がり 『水妖詞館』
行きて睡らずいまは母郷に樹と立つ骨
解りにくいことすら計算の上のパフォーマンスの性格が濃い作品。今読むと、昭和末期のアヴァンギャルドな傾向が滲んで見えます。この種の句を詠む際、俳人は散文の方向に視界を開き、切れや俳句の伝統作法にはあっさりと無頓着です。
一転、少年を詠む時は違います。
「絵」を手際よく読者に提示し、思い通りのイメージに肉薄しようと努めます。こうした場合、彼女は決して独りよがりにならず、むしろ従来の写生法に忠実な作り手となるのです。「古画」の美しさを手に入れるためには、是非にも古典技法が必要だからです。表現に於ける変わり身のはやさは見事と言うほかありません。彼女は方法の一貫性など、どうでもよいものであると考えていた気配が強いのです。『俳句評論』の作家達が、第一義に取り組んでいた方法について、実はその中枢にいた苑子は冷淡であったのではないでしょうか…。
対象に、もっとも効果的に迫ることのできる手法。彼女には美しいと感じて詠じたいもののほうが先にあり、「自分だけの手法(スタイル)を創出すること」よりも大切でした。さらに言えば、中村苑子は「方法」を信じていませんでした。「美しい句」が、面前にあり、他のことは、放棄していました。こうした究極の「句エゴ」(?)な態度につきあたると、苑子が、どのような気持ちから、『俳句評論』の発行人となり、四半世紀にわたって同誌の世話人でありつづけたのか、本心に到達することは困難であるとつくづく思います。
中村苑子は、『水妖詞館』上梓記念会の席上で、伴侶、高柳重信について、「私は高柳に俳句を習わない。俳句の周辺を習った。」と語っています(『俳句評論』)。
彼女の真意はよく解りません。高柳の「ある部分」が必要であったということでしょうか。
俳人は利己的でした。俳句は彼女の審美に奉仕するべきテクニックであったのです。苑子の少年句に触れると、それがよく解ります。
では、少年が成長し、青年、また男になると、句はどんな変化を見せるのでしょうか…。それはまた、別の機会にお話しましょう。
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2009-11-08
中村苑子遠望6 少年は百合のように 松下カロ
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