2009-11-22

豊里友行 戦争

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私は沖縄戦を体験していない。 それなのに私がこの戦争にこだわってしまう。 勿論私の戦争俳句など笑われて捨て置かれるモノかもしれない。 そう俳句文学も体験という檻に閉じ込められてしまう。 だが私の血潮を熱くする祖先の列がこうして私まで続いているのだ。 沖縄戦では沖縄県民の半数以上が戦死している。 俳人には死者の声など感じ取れないのだろうか。 戦跡や戦争体験者との交流などで追体験する私の心が感じた戦争を詠む。 生き残れた祖先の奇跡を私は戦争文学として詠いたいのだ。 また花鳥諷詠に終始せず俳句を言葉の海に泳がす。 そうすることで俳句文学の地平を開拓して行きたい。

週刊俳句第135号 2009-11-22 豊里友行 戦争
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2 comments:

なお さんのコメント...

こんにちは。
難しいテーマですね。
戦争を体験していない世代だからこそ「体験の檻」囚われないですむ・・・。
ですが体験という実感を詩的に昇華させるために豊里氏は「戦跡や戦争体験者との交流などで追体験する」ことをなされている。
今年(沖縄)戦後64年経ち戦争体験者がご高齢だし、こういった戦争の追体験者が語り部となることを切に願います。
それにしてもずっしりとくる戦争俳句は少ないものです。


 戦争のみんな巻き込む囀りか

戦争は「みんな巻き込む」に沖縄戦の老若男女の住民を巻き込んだ教訓が伺える。
鳥たちの囀りまで疑わざるを得ないきな臭さを現代社会に見出す俳人の怖さ。

  
 戦跡の百足語尾から消されて行く

沖縄では教科書から沖縄戦の記述が削除される「沖縄教科書検定問題」に対して民衆隆起が起こった。
人の訪れることのない寂しい戦跡にいる百足の象徴性。語尾から消されて行くことへの警鐘を鳴らす俳人がどれだけこの俳句界に存在するだろう・・・。

などなど拙い俳句鑑賞で失礼しました。
「蝉」と「蛍」は旧漢字がよろしいのでは?

豊里 さんのコメント...

なおさんへ

こんにちは。
沖縄の俳人で写真家の豊里友行です。
戦争をテーマにするとなかなか読み手が集まらない。
俳句を作るのはつらいです。
コメントとしての文にある追体験のため洞窟(ガマ)に入るのも危険と隣り合わせです。
昨日も国吉勇さんお墓に這いつくばってその中に造られた陣地壕を見学してきました。
正直に言うと怖いです。
それでも戦時中は米軍の無差別の攻撃に怯える住民は洞窟(ガマ)に逃げ込んでいます。
沖縄県の糸満市では一家全絵滅の家多すぎて村が組織できなかった集落もあります。
沖縄戦の犠牲を日本国民全体の傷みとして感じられるように私は俳句文学に心血を注いでいます。