2009-12-06

〔週俳11月の俳句を読む〕宇志和音 寒色と暖色

〔週俳11月の俳句を読む〕
宇志和音
寒色と暖色


外套の汲めども尽きぬあをさかな 櫂未知子

北海道での句でしょうか。

さて、この句の外套は、どんな「あを色」なのだろう。この「あを」をそのままの寒色系として捉えるならば、そこには、内地とは違う北海道の冬の厳しさと人々の生活が浮かび上がってくる。地下鉄から、ビルから、バスから次々と涌き出てくる外套の人々。みな深く暗い「あを色」のなかに閉じこもり、黙々と厳しい冬と対峙している。「あを色」が北海道の冬をかたち作っている。

一方、暖色とは言わないものの、この「あを」を、例えば、トルコブルーのような鮮やかな「あを色」と捉えたらどうだろうか。寒色に埋め尽くされた冬の街に、こんこんと湧き出る泉のような「あを色」。この鮮やかな色の外套と冬の深遠とした静けさが、対立した上で見事な立体感となり響きあってくる。単なる濃紺の外套ではない。北海道の厳しい冬の中を漂っても、色あせない「あを」。むしろ主張している「あを」。果てしない北海道の冬を知り尽くした人々の、冬に負けない息遣い、たくましく生きる生命力を「あを」という色が、せつせつと謳いあげている。そこには、寒色でありながら、冬の灯のような、あたたかさがある。


母を出でゆく赤きあれこれ雪降りぬ 櫂未知子

一見では、少し分かりづらい句かもしれない。先日、作者の母の入院のお話を聞き思い至った。母から出でゆく赤きもの。それは血液、真赤な血潮である。しかし、それは治療や手術のためだけの血ではない。「赤きあれこれ」の一言が、その思いを十二分に語っている。この「赤きあれこれ」とは、母の青春であり、情熱であり、苦労であり、人生であり、そして子供らを育て上げたというすべての思いである。それが赤き色として流れ出てゆくのである。

手術台に横たわる母の小さき姿。それを規則正しくに取り囲む医療機械の音。メスの音。点滴の音。あとは聞こえるはずのない窓の外に降る雪の音。そして、この赤色という、激しくも切なき色。それはとりもなおさず、生を祈る希望の色でもある。ここでいう赤色とは、どれほど深い赤色なのだろうか。そして、その思いを、くっきりと浮き立たせる雪の白さとの対比。「赤」という暖色の発する様々なイメージが複雑に交錯する。



冬の月差す射す刺すと変換す 吉田悦花

言葉遊びとしても、とても面白い。月の光の時間的描写と心理的描写。まず月影が静かに差す。やがて月影が肌を射す。そして月影が心を刺す。冬の夜の紡ぎだす寒さと冬の月が生み出す透明感。「差す、射す、刺す」のそれぞれの言葉が、寒さのバロメーターとして、透明感のバロメーターとしてみごとに働いている。活躍している。

寒色の世界なのに、色を通りこした世界観がある。言葉遊びの楽しさを越えた写生でもある。


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