2010-01-10

〔週俳12月の俳句を読む〕青島玄武 落語『ネオ初天神』から

〔週俳12月の俳句を読む〕
青島玄武
落語『ネオ初天神』から




先日、久しぶりに寄席に行ってゲラゲラ笑ってきました。

三遊亭遊雀の『初天神』は本当にすごかった!  笑いを越えて、どよめきのようなものが客席から湧いていました。わたくしも思わず「すごい」と声を上げてしまうほどでした。
『初天神』という噺は『じゅげむ』や『時そば』のように、前座時代に習ってベテランになってもやりこなされるため、しょっちゅう高座にかかる噺で、落語ファンのなかにもこの話が好きという人はけっこういます。
正月の天神様のお縁日。息子の金太郎を連れてお参りに来たはいいが、男は参道沿いのあちこちにある団子屋や飴屋などの出店の前でいつダダをこねはじめはしないかと心配でならない。いちおう、息子には「男の約束」としてダダをこねたりしないことを約束して入るのだが……
この噺、むろん皆様お気付きのように、息子の金太郎はダダをこねはじめ、結果、男は参詣が終わるまでに、団子、飴玉、凧を買わされてしまいます。ほとんどの噺家は、男が団子を買わされてしまい、団子屋相手に実に大人げない態度をとってしまうくだりで適当に話を切って終わりにしてしまいます。
というのも、寄席の決まりで噺家は一席20分という制限時間が設けられているため、実際やると長くなってしまう噺は適当に切ってしまわなければならないのです。

三遊亭遊雀という人の噺は、本当にひと味もふた味も違いました。古典落語の通例として団子屋との対話の途中で話を切るようになっているのを完全に無視して、団子屋の前でダダをこねる息子の様子を、ただひたすら15分やり通しきったのです。
一般の噺家さんならば、このダダをこねるくだりはものの3分程度で済ませてしまうのですが、適当な枕からすぐに本編に入り、それからずっとダダをこねる息子の描写一点張りという力技。
文章でこう書くだけならばどこが面白いのかと思われる方もおられるかもしれません。具体的に記すとこうなります。息子の「縁日のにぎわいに喜ぶ」にはじまって「たしなめにかかる親を小理屈で反駁する」から「嘆き」→「落ち込み」→「啜り泣き」→「嗚咽」→「号泣」→「絶叫」→「ブチ切れ」→「半狂乱化」という子供が大人の言うことを聞かなくなっていくプロセス(?)を、実につぶさに描写したのです。

「写生が笑いにつながっている」

俳句をたしなみとする自分がそう思ったのは言うまでもありません。
むろん、遊雀師匠が実際にこういう子供を見てこの『初天神』を着想したという証拠もありませんし、そうだったとしても、相当デフォルメしている部分はあると思います。でも、古典落語の定番ともいえるこの噺に、独自のメスを入れて再構成し、20分という制限のなかでまとめようとする行為は、どこか俳句にも通じる何かを感じずにはいられなかったのです。

俳句の場合は、写生が必ず笑いにつながるというわけにはいきませんが、「その先に何かがある感」を大事にしたいと思っております。素敵な一句にはできるだけ快哉を挙げたいし、自分もそういう句ができようにありたいです。


鉄塔と鉄塔遠し十二月   高橋 雅世

寒々とした十二月の景色が思い浮かびます。実際にその現場に立たされたような臨場感。間近に見える鉄塔と、遠くに見える鉄塔。遠くに見える鉄塔のほうが、もちろん小さく見えるはずですが、どこかより圧倒的な存在感で見える。自分に近いほうの鉄塔のほうが、影が薄くてもろい感じ。鉄塔のイメージが強いため、十二月という淡い季語との取り合わせが絶妙。



寒菊やぴりつと漢方薬の封   藤 幹子

普通の製剤所でもらう薬でなく、漢方薬の封。錠剤などでなく、粉薬でしょう。封を破った途端に独特の薬臭さを感じたとおもいます。寒菊の存在感が余計にその薬臭さを際立たせてくれます。この寒菊は幻想のものとも実際の物ともとらえられますが、わたくしは実際に庭や花立てに活けてあるようにと取ったほうがより漢方薬臭さを感じるとように思いました。



裸木の下にマイクを使ふひと   村田 篠
汀まで人家ありたるクリスマス

先述した寄席から数分のところに上野公園があり、日曜になると青空カラオケ教室が開かれています。些細な青春を謳歌するお年寄りたち。おかしくもあり、はかなげであり。
家のなかのクリスマスの様子を描いた句は山とありますが、外から、しかも海辺の景色を詠み込んだ句は見たとこがありませんでした。家々に対する優しいまなざしと同時にこちらもどこか、はかなさを感じます。



封筒に微量の空気ふゆざくら   さいばら天気

何もない封筒に「微量な空気はある」とする実に繊細な描写を持ってくるあたりがうまいですね。「ふゆざくら」が絶妙の俳諧味。微妙の空気も全体の雰囲気も淡いピンク色。



文化の日剥くから掻くムヒの患部   井口吾郎

熊本に住んでいると、十一月の蚊のしつこさに悩まされます。気がつくと袖口の中など、とんでもないところが刺されていて、すぐに「ムヒは~?!」と自分で探す前に人に探させたり……。回文俳句なのに、妙に実感のある句でびっくりしました。そういうところが、回文俳句の面白いところなのでしょう。


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高橋雅世 遠景 10句  ≫読む
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上田信治 おでこ 7句   ≫読む
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