2010-01-10

〔週俳12月の俳句を読む〕長嶺千晶 思いを伝える

〔週俳12月の俳句を読む〕
長嶺千晶

思いを伝える




新しい晴れの年を迎えるために、年末には必ず、重大ニュースや物故者が回顧される。人の死を悼むということは、人間に残された最後の想像力かもしれない。それだけ人の死に鈍感になってしまっている。電車に乗れば、人身事故での遅延は日常茶飯事だし、テレビから放映されてくる殺人事件現場の画面を平気で物を食べながら凝視していることを恐れることもない。自分を守るために、聞かなくてもよいニュースは、聞きたくない気がするが、その無関心な態度が逆に、ひとの痛みを思いやる気持ちをなくしているのではないだろうか。思いをひとに伝えるとは、それを受けとるとは、どういうことなのだろう。


たとふれば枯葉のごとく言葉あれ   長谷川櫂

川崎展宏氏の死へ捧げられた「追悼」10句である。〈息やめてしまふが別れ掛布団〉の眼前の死をみつめながら、葬儀〈悴みてかくも小さく心かな〉。追悼句は故人への思いの丈なのだから、何も言わず、しずかにその思いを共有すればよいのだけれど、掲句に虚子が碧梧桐への追悼句とした〈たとふれば独楽のはじける如くなり〉の上五を想起した。虚子の非情ともいえる物言いは、およそ追悼句というにはドライな感じがするし、「枯葉のごとく言葉あれ」にも一瞬、乾いた枯葉の質感を、感じはするのである。俳人にとって、言葉は言の葉であり、ロゴスであり、生き続ける魂のひかりのようなものであったはずである。逆説的に「枯葉のごとく言葉あれ」と言わしめた嘆きが、川崎展宏氏という巨星を失った喪失感をつたえてくる。言葉で語りすぎることの虚しさがつのってくる。



穴掘ったがどうしたものよ花踊   鳴戸奈菜

〈初しぐれ喪服の人形いつまでも〉〈抓みあげ冬蠅のこれがその死と〉等々、死というものが飄々とポエムになっている。詩人には、常に死が通奏低音としてあるものだけど、その親しさは、心に養っている、時に厄介なペットのようなものであろうか。この「花踊」10句にもはからずも生と死が詠みこまれ、〈父は母かこのメビウスの春の道〉など不可思議な幻想は生々流転の夢のようなぬくもりを帯びている。掲句の「花踊」とは安良居祭のことだと知った。角川の合本歳時記には、「京都の今宮神社摂社の疫(えやみ)神社の祭礼で、赤と黒の大鬼が笛・鉦・太鼓にあわせ踊る京都の奇祭」とあったが、「穴掘ったがどうしたものよ」にはその言い回しにも、このおおどかな祭りの雰囲気を伝えてくれるものがある。この穴の意味はそれぞれの解釈に任されているけれど、もしかしたら墓穴?!と思わせるブラックユーモアが、春爛漫のひかりのなかで、ぴりりと効いている。



水洟や人の集まる川向う   高橋雅世

〈鉄塔と鉄塔遠し十二月〉〈枝影のぐんと伸びたる古暦〉〈電球の額を照らす寒さかな〉。「遠景」10句には、歳末の日常が、新鮮に立ちあがってきて、生き生きと日々を暮らす手ごたえがうれしく感じられた。川向うでは何が起こっているのだろうか。人が集まっているだけで、何となく期待感にあふれ、自分も行ってみたいと思う心理は何なのだろう。十二月の川風の冷たさは身を刺すようなのに。水洟の季語が面白く付いていて、寒さの中でも元気いっぱいの人々の生態が良く捉えられ、その元気をわけていただく気がした。

 

すこやかな日をしまひけり毛糸玉   藤幹子

〈マスク売り相模大野に妻子あり〉〈寒菊やぴりっと漢方薬の封〉こんなことを句にできるのは並々ならぬ感じがする。意味付けをしようと意識しないところの面白さというのだろうか。それに反して、毛糸編みにしあわせというゆとりの日々を象徴させて、それを片づけてしまった作者はどこへいくのだろうか。〈南無四面楚歌大菩薩寒波来る〉には、冬来たりなば春遠からじと祈りたい。



汀まで人家ありたるクリスマス   村田 篠

人がみな蠅に見えたる港かな   山口優夢

しろながすくぢらのやうな人でした   さいばら天気

それぞれの7句より、好きな句を並べたら、何となく海辺の風景が見えてきた。村田氏の「汀まで人家ありたる」は夜景となって、灯が点ったことで気づいた風景かもしれない。山口氏の「人がみな蠅に見えたる」はどことなく他者に対して醒めた感じに若々しさを覚えた。「港」という現実感の中に、新しい風景が見えてくる。さいばら氏の「しろながすくじらのやうな人」はおおらかさにあふれている。自分のことを人から、「○○のやうな人でした」と過去形で言ってもらえるようなら、良きにつけ悪しきにつけ、うれしいだろうなと思う。昔がよみがえっては、またすぐ過去になってしまうのが12月なのかもしれない。

ひとに思いを伝えるということで、作品を追ってきた。作者が伝えたい思いは、散文とちがって俳句では、正確には伝わらないものだろう。だから読み手にも解釈がまかされるわけだが、作者と読み手には、同じ水の中を寄り添って泳ぐ二匹の魚のような距離感が必要なのかもしれない。思い入れ過ぎると作品をこわしてしまう―そんなことを学んだ。


長谷川櫂 追悼 10句  ≫読む
鳴戸奈菜 花踊 10句  ≫読む
高橋雅世 遠景 10句  ≫読む
藤幹子 すこやかさん 10句  ≫読む
村田 篠 数へ日の 7句   ≫読む
山口優夢 がらん 7句   ≫読む
上田信治 おでこ 7句   ≫読む
さいばら天気 くぢら 7句   ≫読む
井口吾郎 2009回文秋冬コレクション 一万馬力  ≫読む
長谷川 裕 仲良し手帖  ≫読む

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