〔新撰21の一句〕鴇田智哉の一句
哲学者の瞑目……金子 敦
風船になつてゐる間も目をつむり 鴇田智哉
「風船になっている間も」ということは、風船になる前も目をつむっていたということである。風船になる前も、風船になった後も、ずっとずっと目をつむっていた作者。それは、これからの人生について思索している哲学者を暗示しているような感じがする。
作者は一体、どのようにして風船になることが出来たのだろうか。綿飴を作る機械のようなものの中で、くるくる回っているうちに風船になったのか。 それとも、ハンプティ・ダンプティがにやにやと笑いながら、風船になれる魔法の薬を持ってきたのか。それとも、春まだ浅い冴え冴えとした月の光に照らされ ているうちに、ひっそりと静かに風船になってしまったのか。色々と想像することは、読者にとって至福の時である。
「風船になっている間も」ということは、風船から再び人間へ戻るということでもある。風船になったという体験は、作者のこれからの句風において、 どのような変化をもたらすのだろうか。きっと、パステルカラーのふわふわとした風船は、空の奥深くまで舞い上がることだろう。鴇田俳句の大ファンの一読者 として、これからも彼の句を愛読し、彼の世界の余韻に浸りたいと思う。
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2010-01-31
〔新撰21の一句〕鴇田智哉の一句 金子 敦
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