2010-01-31

現俳協勉強会 「田中裕明『夜の形式』とは何か」 第一部 四ッ谷龍 講演 ● 報告その他……上田信治

現代俳句協会青年部勉強会「田中裕明『夜の形式』とは何か」

第一部 四ッ谷龍 講演
「田中裕明『夜の形式』とは何か」

報告と感想……上田信治



さる1月24日、現代俳句協会青年部勉強会(ふらんす堂共催)として、「田中裕明『夜の形式』とは何か」と題されたシンポジウムが開かれた。

その第一部は、シンポジウムの立案者である四ッ谷龍氏による同題の講演であった。



田中裕明「夜の形式」は、1982年、角川俳句賞の「受賞のことば」として「俳句」同年6月号に掲載された、原稿用紙二枚ほどの小文である。

四ッ谷氏はこのことについて一度も彼の口から聞いたことはなく、以下はあくまで私が考えたことで、それが彼の考えと一致しているという保証はありません」と断りを入れつつ、「この文章は、田中裕明の俳句観を示す重要なものですが、これまで十分に論じられてきませんでした」と言い、この小文の分析を通じて田中裕明の俳句の方法に迫っていく。

青字上田のメモによる四ッ谷氏講演の引用。以下同)

講演の詳細は、いずれ四ッ谷氏の著書に収録される(雑誌「現代俳句」にも抄録を掲載)ということなので、ここでは、まず論旨のみをかいつまんで紹介したい。



これはきわめてふしぎな文章で「夜の形式」と言いながら、どこにも「夜の形式」とは何かが書いてありません。













(四ッ谷氏による図/上田写・以下同)

この小文は、図のような構造になっています。そして、重要なのは、この真ん中にある3つの挿話であると思われます。


その3つの挿話は、わずか数行ながら、ことさら断片的に混じり合うような文によって記されているのだが、内容はだいたい次のようなことだ。

「地図を眺めていると、自分が何を見ているのか分からなくなる」
「音楽を聴いているうちに、いつの間にか雨の音を聞いていた」
「夜が明けるときのうと同じ朝が来るので、時間が1つの方向に流れているとは思えなくなる」

いずれも「日常的認識が後退して、ものごとの区分が不分明になり、逆転する」という経験について、語られていることが分かる。

四ッ谷氏は、この3つのエピソードが、20世紀前半に生まれた現象学という哲学に関連していることは、明らかだとする。

地図が分からなくなる経験は、フッサールの「判断停止(エポケー)」と「現象学的還元」であり、音楽のそれは、メルロ=ポンティの「地と図」であり、時間の逆流は分かりにくいのだが、西田幾多郎にそれらしき記述がある。

(裕明の蔵書には哲学書も多く、フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティなどは、確かに書架にあったそうだ)。



さて。これら現象学的といえる経験と、なんとなく対置されているのが、「昼の形式」の二つの例、すなわち「何人かの印象派の絵」と「バロック音楽のあるもの」である。

四ッ谷氏は映像や音声を駆使して、それら絵画と音楽の「昼」的なものと「夜」的なものを例示し、対比しつつ、それぞれの特徴をキーワード化していく。

以下、絵画のタイトルのリンク先は画像、youtube はその演奏である(ともに例示されたものの一部)。その下に列挙されているのが、四ッ谷氏が挙げたキーワードである。

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「昼の形式」の例:絵画 
印象派 ◇モネ「日傘 散歩の女性」ルノアール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

「写実主義」「光、特に外光が重要」「色彩を測定/分割/分析」「現代風俗を描く」

「夜の形式」の例絵画
象徴派 ◆ギュスターヴ・モロー「オイディプスとスフィンクス◆村上華岳「日高河清姫図」

「印象派を「精神」や「物語」を排しているとして非難」「目に見えないものを描く」※ただし、二人は「昼の形式」に対する批判者ではあったが、その作品が「夜の形式」そのものであるとは言い切れない(四ッ谷)。

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「昼の形式」の例:
音楽
ヴィバルディ「四季 春」

「繰り返し」「明確性」曲の構成要素の役割がそれぞれ決まっている「建築構造的」

「夜の形式」の例:音楽
◆バルトーク「戸外の情景 夜の音楽」


◆ショパン「ノクターン」


「しずかで、ゆるやか」「ミステリアス」「展開しない」西洋への東洋の注入(バルトークは民謡から東洋的音楽構造を転用し、ショパンは東洋的リズムを導入したとされる)「非建築構造的(要素がバラバラに置かれる)」「非定型的」

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ショパンやバルトークに似た絵画◆クレー 「美しき女庭師」「黄金の魚」「避難所」
「光の内発性」「作品には前史がある」(画家自身の言葉)
※絵画における「夜の形式」として四ッ谷氏が考えるのは、クレーの他に、ルドン、 ド・ラ・トゥール。
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ここで「復習1」として、昼の形式と夜の形式の特徴=キーワードが図示される。













さらに「復習2」として、「現象学的還元」における「判断停止」→「本質観取」の方法が、再びとりあげられる。氏は、本質看取のために停止されるべき判断とは、自然な見方=昼の形式=写実的な見方なのだとする。

そして富沢赤黄男の

「蝶はまさに〈蝶〉であるが〈その蝶〉ではない」

というアフォリズムを示し、これは俳人が「本質観取」の問題を語った言葉だとする。

氏の考えによれば、このアフォリズムは、俳句が表現すべきは、眼前の〈その蝶〉ではなく、〈蝶〉すなわち蝶の本質である、ということを意味しているらしい。そして、芭蕉でも虚子でも、その成功している俳句は、かならず〈その蝶〉にとどまらず、蝶の本質を表現している、と。



ここから、講演は、まとめに入る。

まず「検証1」として、氏は、『櫻姫譚』に並んで掲載されている牡丹の句を、裕明による本質観取の例として取り上げる。

  牡丹の咲き初め蕊のぎつしりと

    

  牡丹は最もおそく揺るるもの

一句目は、いわゆる写生句で、自然な見かたであるがゆえに昼の形式。

ところがここで彼は、牡丹の本質直観を行おうとする。表面的な視覚を離れて、くわーーーーっと見入る。そして「牡丹の本質は遅さだ!」という直観に到達するのです。そしてそれを言葉に定着する。



検証2」として、「夜の形式」の特徴と、裕明の俳句の特徴の相似が確認される。(講演では、句に即して、特徴=キーワードの内容が、裕明の作品で言えばこういうことというふうに読み換えられていった)

「非定型的」
なんとなく街がむらさき春を待つ
白魚のいづくともなく苦かりき

「並列的」「非建築構造的」
日脚伸ぶ重い元素と軽い元素
渚にて金澤のこと菊のこと

◆「見えないものをかたちにする」
春の暮土星つめたき輪を思ひ
空へゆく階段のなし稲の花

◆「内発的な光」「みずからの起源にもどり発現する」
冬紅葉くらきばかりに鹿匂ふ
おのづから人は向きあひ夜の長し

四ッ谷氏は、絵画や音楽に見られた「夜の形式」と呼ぶべきものが、裕明の作品の特徴にほぼ一致すると述べる。



そして四ッ谷氏は、『夜の客人』のエピグラフである「嬉しきは月の夜の客人(まろうど)」樋口一葉「月の夜」に始まる一節を引きつつ、裕明にとって「夜」が意味するものは、「詩情のよろこびを豊かにし、共有する」「人間がみずからの内発的な光によって輝きあい、お互いの詩情を尊重しようとする精神」であったろうということと、夜の形式とは、特定の形式ではなく「ものの見かた、とか、世の中に向かう態度」なのだということを提示して、講演は終わる。



ここからは、講演を聴いての、私の感想です。










この表の左側の要素は、そのまま、いわゆる「写生」中心の「近代俳句」の特徴であるようにも見えます(または、そうなるようにピックアップされている)。そして、それらはまた、伝統回帰を志向する現代俳句に、価値として受け継がれているものでもある(=分からないものが大嫌い)。

一方、四ッ谷氏は、現象学の解説を通じて、写実的なものの見方=昼の形式を判断停止することで本質に達する、それが本来の文学としての俳句の方法だということを言っている。

どうも、四ッ谷氏には、田中裕明の表現が、反「写生」的であり、反「伝統俳句」的(反伝統ではない)であることを、はっきりさせようという意図があったのではないか。
追記1/31 22:20 この部分について、四ッ谷氏本人から、そういう意図はなかった(笑)というメールをいただきました

それは以前、仁平勝氏が書いていたこと(「田中裕明の史的意義とは、いわゆる「ホトトギス」の系譜から登場して、「写生」の神話を打ち破ったことだ」「澤」2008年7月号「特集/田中裕明」)にも近く、私もその通りだと思います。

第二部で、対中いずみ氏が、氏が俳句に入門した2000年当時、田中裕明の俳壇における存在感は非常に小さかった気がする、ということを語られていました。実際、信じがたいことに、彼は生前、俳壇の主要な賞をまったく受賞していません。数年前ですが、俳壇のオピニオンリーダーの一人が「田中裕明の作品は残らないと思う」と言い切るのを聞いたこともあります。

現在、俳壇の大勢を占めるのは、伝統的現代俳句とでもいうべきトレンドですが、その「文学」観において、田中裕明は、じつは非常に評価の難しい作家だった。

逆に言えば、今、こうして田中裕明が重要な作家として読まれ、語られているということは、彼がなんらかの「希望」として必要とされている、ということなのかもしれません。



ところで、裕明による「夜の形式」は、ひじょうに不思議な一文で結ばれています。

ほんとうにずいぶん前にも考えていたことなのだが、いま手にしているのは夜の形式ではないようだ。」(太字・田中裕明「夜の形式」より引用 以下同)

もし裕明の方法が、四ッ谷氏の言うように「夜の形式」なのだとしたら、この一文はどういう意味でしょうか。「いま手にしているもの(写生中心の俳句)は夜の形式ではない(だから、今後は夜の形式を獲得したい)」ということでしょうか。

そういうことかもしれません。でもやっぱり、そうでもないような気がします。

まず田中裕明という人が、そういう自己否定・現状否定を足掛かりに、だんだん賢くなっていくようなタイプに見えない。もっと、なんというか、天才肌で「ずいぶん前から考えていたこと」も「ずいぶん未来に考えるだろうこと」も同じになってしまうような……スタート地点で、いきなり自分の本質や生涯のテーマに向き合えてしまっているような、そういう人だったのではないか。

また、その一文のすぐ前には、

とにかくこのように言われる(*)日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式といっていいかもしれない。谷崎「陰翳礼賛」のこと・上田註

という文があり、その少し前には、

夜の形式というのはかなり複雑なもので、それは時間と非常にふかい関わりをもっている。だからさっき昼の形式としてあげたバロック音楽も、深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる。

という文があります。

二つの文が全く同じことを言っていて、あらためてこの短い文章全体が一つの考え抜かれた思考の塊であって、一センテンスも思いつきで書かれた部分がないということが分かります。

裕明が考えていた「昼の形式」と「夜の形式」は、分けた端から入れ子のようにお互いを含みあう、相補的な関係にある(四ッ谷氏も、これは二元論ではないと念を押していました)。

そして、そういったこと全体に「時間」が関わっているらしい。



この文中で語られる「昼の形式」とは、四ッ谷氏がそれとなく示したように、写生を中心とする近代俳句のことだと言って、ほぼ間違いない。裕明本人が、どこまで思っていたかは分かりませんが、彼のその後の作品の進みゆきを見ると、結局そういうことだったのだろうと、私には思われます。

そして、彼が「昼の形式」に対置した3つの挿話は、すべて、ものの自明性が解体する現象学的認識についてのものでした。

そこから逆算すると、「昼の形式」が自明性や合理性を前提としてそこからほとんど離陸しないことに、彼はとまどいをおぼえていた(限界を予感していた)ということになる。

そこで、現象学的な認識を支えとして、自分なりの俳句の方法を持つことができれば、それは「夜の形式」と呼べるものになるかもしれない……なるほど、裕明がそう考えたということは、十分にありそうです。

しかし、彼は、夜を昼から切り離してもしかたがない、ということを、あらかじめ知ってもいました。

バロック音楽が深夜書かれるということと、座敷に日が差すことは、昼が夜を、夜が昼を自らの内に求めるという一つのことを示しています。

つまり「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」と書くとき、彼は「夜の形式」の側に立ちながら、すでに「昼の形式」との和解をすませていたのではないか。

「日本家屋の暗がりに午すぎの日が差すこと」それが、このひとかたまりの思考の、結着点を示しているように思われます。

そこにあらわれる「時間の久しさ」……それは、あるいは永遠性の謂でしょうか。

その「時間の久しさ」こそ、彼が思いをこらしていたという「芸術における形式と内容」の「内容」のことだったのかもしれません。彼にとって、それはまず「昼の形式」以外の場所に見出される必要があった。そして作品を通じて「夜」が、日常的な時間/空間意識を離れたところに、発明される(「夜の発明」については、四ッ谷氏が講演中にショパンについて述べられていたことです)。

そのことを、彼は俳句に出会う前から考えていて、おそらく最後まで考え続けることになると、予感していたのだと思います。

文章の始めと終りの「ほんとうにずいぶん昔」「ほんとうにずいぶん前」というのは、きっと「ほんとうにずいぶん未来」と同じ意味で、要するに、そういうことだったのではないか、と。



以下、余談。

田中裕明の初期の文章は、関悦史さんが論考のなかで引いていた「青新人賞」受賞時の文章もそうなのだが、一読ほんとうに何を言っているのか分からない。しかしそこには、間違いなく、何かしらの手応えをもって語られている、という感触がある。

おそらく問題から結論までが、いちどきに頭に浮かんでしまって、ことの道すじを線上に並べて文章にするということが、できにくい人だったのでしょう。そういう人はときどきいます。「ゆう」に書かれた文章は、そんなことは、ないのですが。

四ッ谷氏の論考と、シンポジウム全体から得た裕明の人となりの印象にみちびかれて、パズルのような思考の追跡を試みました。四ッ谷氏はじめ、パネリスト各氏、関係各氏にあらためて感謝いたします。

もう一つ、会場で配られた四ッ谷さんの個人誌「むしめがね」掲載の「田中裕明の思い出」。「ほんとうに素晴らしい人がこの世にいたのだ」ということが分かってしまう文章で、強く感情を動かされました。



講演中の四ッ谷氏の発言には、現今の俳句について刺激的な提言が多く含まれていました。現場の雰囲気をお伝えするために、二つほど引用します。



クレーの有名な言葉に「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある」というものがあって、これは、今日お越しの俳人のみなさんによく味わっていただきたい言葉です。

今、俳句雑誌に、目で見たことをどう要領よく表現するか、ということが特集されている。あるいは読者のほうも、そこに自分の経験と一致することが書かれていると、ああ、あるある、と言って納得する、というような読み方をする。

しかし、そういう「わかる俳句」は、実は俳句の本質からいちばん遠い俳句であって、芸術の本質は、目に見えないもの、自分もまだどんな形か分かっていないものを表すことにある。すでに知っていることを再現することは、文学ではありません。



非定型ということの、究極のかたちは、「何も表現しない」ということです。「なんとなく街がむらさき」の句は、それがどういう街なのか、むらさきだからどうなのか、何も言っていない。何も言っていないからすばらしい。


第二部:パネルディスカッション

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