2010-03-21

〔ゼロの会句会録2〕 「電池を交換してください」とICレコーダーは言った

〔ゼロの会句会録2〕
「電池を交換してください」とICレコーダーは言った
中村安伸、神野紗希、関悦史、山口優夢、外山一機、九堂夜想、越智友亮 ……文:関悦史


去る3月14日、「ゼロの会」の第3回句会があった。

その前日が現代俳句協会青年部のシンポジウム『「俳句以後」の世界』で、家が遠いのに懇親会、二次会までつきあってしまった私は一度帰ってしまったら翌日出てくるのがしんどそうで、都内の越智君の家に急遽押しかけ泊めてもらった。

そこから一緒に句会へ向かったわけだが、越智君は今回も忘れずに自分がバイトしているミスタードーナツに寄って人数分のドーナツを購入。

これはただの差し入れではなくどちらかといえば宣伝布教であって、越智君のミスド愛のなせる業、私はひそかに「ドーナツ王子」の愛称を越智君に奉っている(越智君とミスタードーナツに関してはhaiku&me参照。ちなみに今回のドーナツには確かオールドファッション黒みつきなこは入っていなかった。店舗によって品揃えが違うようである)。

当日市ヶ谷に集まった参加者は中村安伸、神野紗希、関悦史、山口優夢、外山一機、九堂夜想、越智友亮の全7名(それに五十嵐義知、豊里友行の2名が欠席投句)。

前夜に越智君から聞いたところでは、この3回の句会、30代の出席率がよくて20代がろくに出てきていないらしい。

これがぞろぞろと連れ立って前回、前々回と同じ(はずだ。私は第2回は参加していない)法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎日文研部室に移動。キャンパス内がまた広くて、部屋に着くまでに私を含む後方グループは一度はぐれ越智君に呆れられた。

兼題「鏡」と自由題の2句は各自事前に用意してきている。

そこに新たに席題4つ「朧」「紙」「ペットボトル」「液」と、なぜか水っぽいものばかりが加えられ、計6句提出の6句選となって句作開始で沈思黙考(いや第1回に比べると句作中に結構みな雑談もしていた気はするがそれもさすがに前半のみ)。

選句と講評の段になって私がICレコーダーを起動しようとしたら、あろうことかこやつ突然口を利いた。

「電池を交換してください」。

このICレコーダー、新撰21竟宴の際に、壇上でしゃべりながら同時に自分で記録も取るのはさすがに無理だろうと用意したものだったが、以来一度も電池を換えていなかった。よって今回の句会は録音はされていない(第1回のときは私が録音したファイルを越智君に送って記録を起こしてもらったのだ)。

メモもほとんど取っていなかったので再現性には極めて乏しいものになるが、書いておかなければ何も残らないので大雑把は承知で一応記録を残しておく。

最高得点だったのは3点を集めた2句。

 春の潮大きな紙が部屋にある

神野、中村が特選、九堂が並選。

評としては「希望が感じられて適度にシュールさもある。《玫瑰や今も沖には未来あり》ほどはっきり言い過ぎていない」(神野)、「紙がポスターとかでなく真っ白そう。これから何か始まる予感」(中村)、「ハンマースホイや素十を連想。ただし一字開きは全然効いていない」(九堂)。

この「一字開き」というのは手書きの乱れがそう見えたというだけだった。

作者は関。「潜在性だけを出そうとした」。

続く3点句はこれ。

 天井に配管うねるさくらかな

関が特選、越智、中村が並選。

最初は概ね「屋内の暗い圧迫感のある臓器じみた天井と外の桜の取り合わせが都市叙景写真的にあざやか」(関)といった枠内の評だった気がするが、桜がどこにあるのか、「配管」と「桜」の照応をどこに見出しているのか、それぞれ持っていたイメージが微妙に違っていることがわかってきた。越智君は桜はさほど遠くにあるとは思っていなかったようだし、私は逆に桜を遠景でぼうっと光る白い塊のようなものと捉え、それを仏像の光背のように配管が荘厳するイメージで読んでいた。桜の幹や枝のうねる形状が配管に通じると読んでいる人も複数いたし、配管は天井裏にあって実際には見えていないのを感じているといった読み方も出てきた。一見して難解そうなところはないにもかかわらず、講評にかなりの時間を取った句。

作者は山口優夢。
 
以下は2点句。

同じ2点句でも並選2人のものは後で、1人でも特選を入れた句の方が先に講評にかけられている。

 透谷全集ペットボトルと置かれをり

山口が特選、関が並選。

ペットボトルという凡そ詩的でない散文性の極みのような物と並べるのに、日本の近代詩・ロマン主義の原点のような重要な位置にあり、20代で自殺している詩の権化のような北村透谷を持ってきた。有名な文学者は他に幾らでもいるはずだが、意外と誰にも代えがきかないのではないか。近代初頭に位置する透谷の苦悩や燃焼と、その行き着いた果てとしてのペットボトルの空疎さ馬鹿馬鹿しさが照応しあって日本近代史批判といった雰囲気すら漂う。

作者は外山一機。「ペットボトルがとにかく困りました」。

こういう詩性のかけらもない素材は苦手なようである。

 鼻紙に虫くるむなり大試験

越智が特選、神野が並選。
入学試験の緊張の中で、闖入してきた虫を咄嗟に退治し、鼻紙にくるんでしまってそれが机に置いてある違和とおかしみといった線で二人とも読んでいた気がするのだが、わかりにくいところは特にないのに、なぜか皆で「試験中、余計なものは実際には置いておけませんよね」といったことまで立ち入り、ずいぶん入念に講評することになった句。

作者は山口優夢。「いや、今日はこんなに読み込んでもらって幸せです」。

 花満ちてペットボトルを祀りをり

外山が特選、関が並選。

これ、私は街なかの地蔵堂などにある供え物といった現物がまずあり、言い方を省略することでペットボトル本体を祀る変な句に仕立てでもしたのかと取ったが、外山さんはそのままストレートにペットボトルを祀っている句と取っていたのではなかったか。

いずれにせよ、ウォーホルがキャンベルスープの缶を版画に並べて大量生産品を敢えてイコン(聖画)にしてしまったようなアイロニーが本体の句ではなく、もっと素朴にすんなり取れる叙情味が勝っていて、そこにちょっとだけ違和感を孕んでいる句と皆に受け取られたようだ。

これも作者は山口優夢。

ここからは2点句ではあるが、並選2人の句で、講評も駆け足になってきた。

句会の講評なんて、のんびりやっているとあっという間に一日くらい経ってしまうのだ。

 足生えた蝌蚪ホルマリン液の中

関、中村が並選。

ホルマリンの標本はよくある題材なのかもしれないが「足生えた」は哀れな中にも異物感がすっきり立ち上る。

作者は神野紗希。

 紋白蝶の声のしてゐる鏡かな

神野、九堂が並選。

九堂さん曰く「初心者がこれを出したら、お主見所あるなと思うが、このメンバーでこれではまだまだ」。

作者は、「まだまだの関でございます」。

この句、作り直したいのだが兼題の「鏡」が何としても邪魔なのだ。何を出しても適当に幻想臭くして手応えを失わせる、予定調和ならぬ予定陳腐化を強いる題材なのである。

 面多きペットボトルを春の闇

山口、九堂が並選。

ペットボトルが「春の闇」との相関で、カットグラスとかダイヤモンドになりかかっているような複雑な輝きを呑んだものへと変貌している、といった辺りが見所の句ではないかと思うのだが、私もこの辺になると集中力がなくなってきていたのか、取った2人がどういう鑑賞をしたかほとんど記憶にない。もうしわけない。

作者は中村安伸。

 春眠の箱根細工のほかは液

神野、中村が並選。

眠りに落ちかかった意識のなかで周りのものが溶暗していくのに箱根細工だけが妙に最後まで残っているというふうに神野さんが読んで、中村さんも同意。作者も同意。作者は関。

 兄欲るや鏡の果ての鳥曇

外山、神野が並選。

外山さん曰く、「これはねえ……、もう…、好きなんですよ、こういうのが」と本当に嬉しくて堪らぬといった風情。理論家という印象が強いがこういう寺山じみた世界、単なる引用・切り貼りのための素材とばかり捉えているわけではないのだ。

作者は九堂夜想。

以下は1点句。

講評の時間もさしてなかったことで、採った人と作者の名だけ明かしていく(なお句の公表に不都合が生じた越智君の句は得点句でも割愛)。

 鳥の巣の魔法のような綿毛たち

中村が並選。

作者は豊里友行。

 ペットボトル踏むとき春の東京都

外山が並選。

作者は関悦史。

 ピアノレッスン窓訪う蜂が気になる子

山口が並選。「子」まで言うべきかといったことが話題に上った。

作者は神野紗希。

 手鏡に手を浸しをる春の雷

九堂が並選。

作者は中村安伸。

 きさらぎの金管楽器抱きにけり

山口が並選。とにもかくにもカ行音な句。

作者は外山一機。

 キッチンやペットボトルに差すすみれ

越智が並選。これはなぜかほとんど皆一人暮らしの女性と取った。

作者は神野紗希。

 鏡から海あらはるる涅槃かな

九堂が並選。九堂さんが全体に講評の際、具体的に句の格に迫って雄弁だった。ここでは「涅槃」がやややり過ぎと見えた模様。

作者は山口優夢。

 百千鳥紙と鋏のやうな夫婦

越智が並選。

紙の方がおそらくダンナだろうから、やられっぱなしだという話になった。
山口「これ、石と鋏だったら」
関「離婚でしょう」

作者は中村安伸。

 今宵母は朧昆布を愛しけり

越智が並選。

ただ越智君、朧昆布という乾燥食材を知らず、「朧」と「昆布」を別に取っていた。神野さんと私が「白っぽくてフワっとした」などと説明することになった。

作者は外山一機。

 林檎剥く破鏡の空のキリシタン

中村が並選。

この句意味がありそうだがそれが取りきれずに見送った人が多かった模様。

作者は豊里友行。

 鏡匣朧童子の生まれけり

関が並選。「《朧》の席題でよくこんな句がすぐに出たなと」。

作者に確認したが「朧童子」は無論造語で、そういう仏像だの乾燥食材だのがあるわけでは全くない。

作者は言うまでもなく九堂夜想。

 げんげ田や点滴の液よく澄める

山口が並選。

作者は外山一機。「《液》っていう題で、もう点滴以外何も思いつかなくて」。

 谷朧けものは瞬間移動して

関が並選。「瞬間移動」の語の粗大さ、危うさがリアリティに転じているかどうかは微妙だが無難なだけよりはと敢えてプラスに取った。

作者は中村安伸。

 空ははるかな液体としてフリージア

九堂が並選。ここでも九堂さん採った上で「はるかな」「として」といった説明的な言い方でなく出来ればと注文。

作者は山口優夢。

 紙風船の穴を塞げるセロテープ

山口が並選。

作者は神野紗希。

セロテープの何ともダメな感じがじわじわ効く句だが、この句の次の並びがまずかった。

 春の日を筆圧高く神野紗希

筆記用具をほとんど垂直に持ってカツカツ音を立てて書く神野さんの隣にいた私が咄嗟に自由題枠で出してしまった、出来としてはどうでもいいような挨拶句が並んでいたのだ。

それをまた神野さんが律儀に並選で採ってくれたもので、九堂さんが「さっきの句の《セロテープ》も下五を《神野紗希》に変えたら良い。《紙風船の穴を塞げる神野紗希》」などと言い出した。

 それが他の句にまで波及し、《鼻紙に虫くるむなり神野紗希》《神野紗希ペットボトルを祀りをり》などといった迷句が次々出てくることに。

神野「何でこうなるんですか(笑)」。

 千代紙をまき散らしては春の地震

越智が並選。

作者は九堂夜想。

 手鏡にとるまつげの塵や春休

外山が並選。

作者は神野紗希。

この辺で守衛さんが「6時までには完全に出てください」と見回りに来たのでバタバタとその辺を取り片付け、退去。

神野、山口、私の3名は都合でそのまま帰り、越智、九堂、外山、中村の4名は飯田橋のどこかの店へ流れていった。


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3 comments:

湊圭史 さんのコメント...

毎度楽しそうでうらやましいです。関西でも何か始めようって話はあるんですが、いつものとおり?のんびりです。

面多きペットボトルを春の闇   中村安伸



蛸壺やはかなき夢を夏の月    芭蕉

とセットで読める句ですね。芭蕉の光の感覚を、明暗を交差させて(蛸壷:暗→ペットボトル:明、春の闇→夏の月)すくいあげた現代の好句だと思います。「はかなき夢を」のよい意味での甘さから、即物的でありながらきらきらと印象的な「面多き」への転換も面白いなあ、と。

豊里友行 さんのコメント...

欠席投句の豊里でーす。
関さん文章もおもしろいですね~。
「欠席トーク」はないのでコメントしてみました。
にぎやかそうでいい句会だと思います。
あとは私もがんばっていい句を発表したいと思います。
これからもよろしくです~。

関悦史 さんのコメント...

湊さん>
ご無沙汰しています。コメントに気付くのが遅れて申し訳ないです。

こちらで句会がともかくも成立しているのは、ひとえに越智君という熱心な幹事役がいるからなので、誰か一人が具体的な段取りつければ関西でも何か始まるんじゃないでしょうか(というか始めましょうよ)。

ペットボトルの句から芭蕉句は連想しませんでしたが、並べるとこのペットボトルの妙な生気もはっきりしてきます。


豊里さん>
じっさいにお目にかかる機会がないままきてますが、投句とコメントありがとうございます。

豊里さんの句は作者がわかってから、句集の並びの中に置くとまた印象が変わるのかもという反応もあって、つまり何か制作動機とかで読む側が掬いきれていないものがあるようだと感じた人が多かったみたいです。

また近々次の回があるようなので欠席投句だけでもよろしくお願いします(いやもちろん直接参加していただければ一番いいのですが)。