2010-04-25

私性と虚実 柳誌『MANO(マーノ)』第15号を読む 五十嵐秀彦

私性と虚実柳誌『MANO(マーノ)』第15号を読む
五十嵐秀彦


樋口由紀子 「川柳における『私性』について」 p24-

『MANO』とは樋口由紀子を発行人とし、石部明、小池正博、加藤久子、佐藤みさ子を会員とする川柳同人誌である。
今回、その第15号を読む機会を得て、非常に刺激を受けつつ読ませてもらった。
その中から樋口由紀子の論考「川柳における『私性』について」に関して若干紹介と感想を書いてみたい。

この論考は文字どおり川柳作家による「私性」論である。
私は川柳のことは何も知らないので、これまで「私性」についてどのような議論がなされてきたのか知識を持たない。ただ、この論考を読んで、俳句以上に「私性」を課題としている文芸であることを教えられた。
筆者ははじめに時実新子について語る。
「私の思いを吐く」として「私性」を前面に強くおし出した時実の川柳は多くの女性の追随者を生みだした。だが、その追随者の多くが作者の現実そのままの「私」を書けばよいと考え《作者の出来事や作者の実感など現実の私と重ね合わせて読める句に「私性」があるとされてきた》ことに、「そうとは言えない」と樋口は疑問を呈する。

《時実新子は時実新子という物語の「私」という場で川柳を書いた。しかし多くは時実新子の現実の出来事の「私」として川柳を書いたと錯覚した。大切なのは「私性」を感じさせる面白味を言葉のどこでどのようにして関係づけていくかなのである》

こうした論は、文芸の虚実論に通じており、近松門左衛門の時代から文芸者の意識してきたことであろう。
俳句においても寺山修司が大胆なフィクションの導入によって、人よりモノに語らせる傾向の強い俳句においても虚構による私性の発露が可能であることを実験している。
その点で、必ずしも新しい視点ではなく、また川柳ばかりの特性ともいいがたいテーマではあるが、一方で《みんなの思いを私の思いとして書く川柳は既成概念の練り直しを引き摺り、句会大会などでは相変わらず健在である》のが川柳の現状でもあるらしい。

それゆえに筆者は川柳における「私性」がパターン化してゆくことに焦燥感のような思いを抱いているのではないだろうか。

 十人の男を呑んで九人吐く    時実新子

 現身にほろりと溶ける沈丁花   大西泰世

樋口はこれらの句を私性の川柳として挙げ、《わかりやすい、あからさまな「私」ではなく、なにものにも限定されない、つかみどころのない「私」が存在している。作中に読まれている「私」は作者自身ではない》とし、私性の川柳というものは、「私」という不合理なものを表出することであって、「わたしごと」を語るのではないのだと主張する。

そして後半に至り、いよいよ俳句との違いについて言及されてゆく。

石田柊馬の川柳、

 縄跳びをするぞともなかは嚇かされ

などの「もなか」連作と、坪内稔典の俳句、

 三月の甘納豆のうふふふふ

などの「甘納豆」連作を対比させ、柊馬の句の「もなかは」の「は」には「私」の意志が含まれており、《そこには明らかに「私」が存在》しているのに対し、稔典の「甘納豆の」の「の」は、《方法的で、作者は見事なまでに顔を出していない》と分析し、稔典の俳句は《作者がものに向き合い、いかに対処するかというのではなく、ものというのは、作者がなくても「私」をなしにしても、「私」がどう思っても、そのままそこにあるではないかという書き方》ととらえる。
これはなかなか鋭い分析であり、考えさせられた。

最後に筆者は《「私性」と言えば、現実の「私」がいる、その現実の「私」の思いを書いたものだと思われがちであるがそうではない》《「私」の思いを書くという殻を言葉で破り、「私性」を言葉でもっと開拓していけば、もっと多種多様な川柳が生まれ、川柳はもっと魅力ある活気ある場になっていく》と述べ、論をまとめている。

私はこの論考を読み、あらためて「私性」抜きにしては文芸を論じられないとの思いを強くした。
これはひとり川柳のみの課題ではなく、俳句においてもほぼそのまま当てはまることであろう。
確かに川柳のほうが「私」というテーマを直接的に取り扱う傾向があるのかもしれぬが、俳句においても「私」というものを、「私」を包み込む側を描くことからその存在を浮かび上がらせるのであって、つまるところ「私」というものの不安や違和感を表出するところで違いはないように思える。
そのことを伝えるための虚実のテクニックという点は川柳も俳句もそれほど距離はなかろう。

いや、この二つの文芸の違いや共通点を論ずるより、「私性」と文芸との関係をこそ絶えず語り続けることに意義があるはずだと、少なからず勇気づけられたのであった。


『MANO』はネットでも読めます。≫http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/

【関連サイト】川柳 バックストローク
【参考】週刊俳句第150号 川柳 「バックストローク」まるごとプロデュース号