2010-04-11

【週俳3月の俳句・川柳を読む】上田信治

【週俳3月の俳句・川柳を読む】
どうして、これを俳句だと……上田信治


第150号・まるごと川柳の、句作品について、ウラハイのほうに「3D眼鏡を掛けて読む」という題で書かせてもらいました。

そこで、俳句は、季語と切れによって複層化する。というか、そうなることを織り込み済みの、読者の「読み」を前提として書かれていて、それは、3Dに作ってある映像を、3D眼鏡を掛けて見るようなものなのだ、というようなことを書きました。

そこで、今月の俳句作品を、俳句眼鏡を掛けたり外したりしながら、読んでみると。


マンゴーや服は着せられてはじまり 山田耕司

いきなり複雑な気分に。五・八・四音で、四の前に、足の引っかかる空白がある。二か所切れがあって、どっちの切れが強いか分からない、という構成自体に、読者がからかわれることが、あいさつというか、ねらいというか。イヤ、まあ、地下食品売り場のとっかかりに、マンゴーが売られていたというだけなんでしょうけど。

かりかりと顔より高く鷹の爪 同

これ、誓子の「かりかり」が思い出されて、とすると鷹に顔を食まれているのは、人間ということになりますが、「鷹の爪」が売ってたというだけなんでしょう。

精肉のひとつを名付け買はざりき 同

〈かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す 正木ゆう子〉を思い出す必要があるかないか。前の句が鷹の爪だし、思い出さんといかんのでしょうなあ。俳句眼鏡以前に、意味のレベルでも、じゅうぶんややこしい複層性を獲得している一連と見た。


啓蟄の眼鏡ケースに布一枚   小久保佳世子

眼鏡ケースは、お出かけのときに持ち歩くものなので、
人間も出かけていて、おや、眼鏡も布一枚のこして出て行ったようだ、という。


弥勒よりこゑの洩れたる春の山  石嶌 岳

「春の山」は、前半十二音と連体修飾のかたちでつながっていますが、それはそれとして、季語なので、十七音の中で独自のポジションを主張している。弥勒から洩れた「こゑ」にとって、「春の山」は、場所であり、等価物であり、また一句の根拠でもある。

しかし、春の山「で」声が洩れたと読んでは、弥勒が小さくなってしまう。春の山があふれさせ、洩らしつづける生命の横溢に、はるか未来に生まれるはずの弥勒の、目覚めの前の寝言のようなむにゃむにゃを聞く、と。


海雲ちゆるちゆる黒猫のやつて来し  山下つばさ

旅吟。旅行が楽しかったという、ほぼ自慢のような一連なので、この句も、ただ、そういう猫が通るようなところで、海雲を食べて、楽しかったということだけでよい。そういう素の報告みたいな、日記みたいな句が、川柳として書かれることがあるんだろうか。そして、どうして自分は、これを俳句だと思えたのだろう。


川柳作品
石 部 明 格子戸の奥 7句 ≫読む
石田柊馬 キャラ  7句 ≫読む
渡辺 隆  ゴテゴテ川柳  7句 ≫読む
樋口由紀子 ないないづくし 7句 ≫読む
小池正博 起動力 7句 ≫読む
広瀬ちえみ 鹿肉を食べた 7句 ≫読む

曾根 毅 神域 10句 ≫読む
山下つばさ 春は沖縄 10句 ≫読む
石 嶌 岳 紅 10句 ≫読む
長 田美奈子 日の本 10句 ≫読む
小 久保佳世子 雛のごとく 10句 ≫読む
山 田耕司 長崎屋桐生店地下食品売場吟行記 10句 ≫読む

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