奥多摩ホリデー
〔後篇〕
山口優夢
≫承前
6 先に着いていたS崎が「シッ」と指を口の前に立てる
タクシーは10キロほどの道を20分くらいかけて走り、ようやく日原(にっぱら)鍾乳洞に到着。渓流のほとりに鍾乳洞の入り口がある。渓流の近くということだけでも涼しいのに、鍾乳洞の入り口は初夏の日射しを無効にしてしまうようなうすら寒い冷気が漂っている。日の当ることのない洞窟の内部は、年中摂氏11度に保たれているらしい。夏は涼しく冬は暖かい。みな、上着を宿に置いて来たことを悔やむ。
鍾乳洞は地下水が石灰岩を何度も何度も侵食することで生じた洞穴。今でもその内側の壁はどこも濡れており、ところどころ水が天井の岩からぽたぽた落ちてきている。ふと触れた岩の壁がぬるっと苔むしている。
昔、弘法大師が修行をしたと言われるスポットもあり、こういう洞穴が宗教的に重要な場であったことがうかがわれる。ところどころ階段が作られており、天井には薄暗い蛍光灯がぽつんぽつんと灯っていて、歩けなくはないのだが、それにしても本来的には人の立ち入る場所ではない、と感じる。鍾乳洞の中のそれぞれの地点にはその名前が札で示されており、「地獄谷」だとか「三途の川」だとか「死出の山」だとか、もう正に人外魔境そのものだ。
その、死出の山のあたりは、高さが5メートルくらいはある。洞窟の中にこんな場所があるなんて、にわかには信じ難い。1000年前、弘法大師はここで何を見たのか。
なぜか道端や波打つ岩壁に生じたくぼみのようなところなどに小石がこんもりと積まれているものが、いくつもいくつも際限なく作られている。賽の河原の石積みを連想しないわけにいかない。実に不気味な眺めだ。
「水琴窟」と書かれた札の前まで行くと、先に着いていたS崎が「シッ」と指を口の前に立てる。耳を澄ませば、水が一定間隔で滴り落ちる音が遠くかすかに聞こえてくる。その音が、鍾乳洞の壁に響いて、なんとも形容しがたい幽玄な音色になっている。虹色に光る金属をやわらかく叩いたような、あるいは、ピンと張りつめた鈍色の弦を弾いたような。それが、ぽつん…ぽつん…という間隔で果てしなく続いているのだった。
それは確かに美しいものに違いなかった。しかし、僕にとっては、それはこの浮世離れのした洞窟の中で一番、「死出の山」とか積まれた石よりも、あるいは怖いもののように思えた。夜中、洞窟から観光客がいなくなり、誰も聞いている者がないときにも一定のリズムを崩さずにその美しい音色が同じ間隔で続いてしまっているということ、あるいは、自分が生れるずっと前から、自分の死んだずっと先まで、変わらずにその音色が続いているのであろうということ。その予感がどこかうすら寒いものに思えたからだろう。
たとえば僕がこの原稿を書いている夜中にも、あの音はあそこで鳴り響き続けているのだ。そのことを思い浮かべるだけで僕はぞっとしてしまう。あの音が他では聞くことのできないくらい美しいものであっただけ、なおさら僕の背筋はぞくぞくしてくる。
こういう感覚、伝わるだろうか。
7 逃がさないように、死なせないように
鍾乳洞をあとにした我々三人は、めったに車の通らない山道を数100メートルだけ歩いて、ある橋のたもとまで戻ってきた。先ほどは右側の道を選んで鍾乳洞に辿り着いた。今度は、左側の道を歩いて、釣りのできる渓流まで降りて行く。
自動車が何台も停まっている山道の下に降りると渓流があり、その近くに小屋が立っている。小屋では、その日一日の漁業権を買い取ることができ、さらに釣り竿や餌などを有料で貸してくれる。釣りができるのは5時ごろまでで、そこに着いたのがすでに3時過ぎだったので、小屋の人が「もう時間が少ないから」ということで少し割引してくれる。それらにお金を払って、S井とS崎は渓流釣りをし始めた。
僕はと言うと、彼らと一緒に渓流まで降りたものの、釣りはせずにぼんやりと石河原で過ごしていた。空が晴れて水がきれいで、そんな景色の中に入り込むと、もうなんにもしたくない気分だった。二人が釣りをしているのをぼんやり眺める。
S崎は釣りを始めてから20分も経たないうちに一匹釣りあげた。虹鱒だと言う。丁寧に針を吐かせて、小屋で借りた網の中に入れ、網ごと水の中に入れた。逃がさないように、死なせないように。それは釣り上げた者に対する処し方の鉄則であろう。
渓流は、そばまで行くとかなりの轟音を立てて流れているのが分かる。流れは相当速いようだ。両岸に釣りをしている客がたくさんいた。多くは家族連れらしい。対岸には煙を立ててバーベキューをしている家族連れもいる。大きな岩に跨って釣り竿を垂らす女の子が見える。
S井は、魚は針にかかるものの、釣り上げるところまで行かず、ほとばしる水流の中からわずかに顔をのぞかせた魚の残影だけが何匹も連れている状態。そのたびに歯噛みしている。
釣り竿の針の部分が何度も魚に食いちぎられてしまうらしく、二人はそのたびに小屋まで戻って新しい釣り竿に替えてもらう。その場で釣れそうにないことを悟ると、場所を移動してみる。S崎は素足になって浅瀬に入り、川の中につき出ている岩の上まで行って釣り竿を垂らしている。そんなこんなしているうちに、S崎は虹鱒をもう一匹釣りあげた。
僕は二人の様子を見つめつつ、手頃な石の上に座る。やわらかい日射しを浴びながらうとうとしていた。ふと気がつくと、S井が釣り竿の先に食いついている魚に針を吐かせようとしている。どうやら一匹釣れたようだ。
針の吐かせ方がまずかったらしく、魚はだいぶ弱っているようだった。つるつるとすべるそれを網の中に入れて水に浸す。あまり元気がない。S井は時折網を揺らしてはそいつがまだ生きているかどうか確かめているようだった。
S崎がもう一匹釣りあげて、彼の網の中には3匹の魚が窮屈そうに詰め込まれていた。
8 ふり仰ぐと、抜けるような青空のはるかかなたから
結局、S崎が3匹、S井が1匹の虹鱒を釣りあげたのが、その日の成果だった。
5時近くなってきて、僕はひとりそわそわし始める。宿での食事は6時半から。宿には6時前には戻ってきてくださいと言われている。それに間に合うように、5時20分過ぎに東日原の停留所を出る路線バスに乗って宿に戻ろうという話になっていたのだが、もう5時には釣り場を出て停留所まで歩かなければバスに間に合いそうになかった。
そのバスに間に合わなければ、あとはタクシーを呼ぶほか方法はない。しかし、なるべくならその手は使いたくなかった。ある懸念があったからだ。僕らが何を懸念していたか、それは後で分かる。
5時過ぎ。S井は釣るのをやめて、自分の釣り上げたただ一匹の虹鱒をかまっている。虹鱒を入れた網を手に持ち、あちこち行ったり来たりして、いろんな岩陰から水に網を差し入れる。少しでも長く魚が元気でいてくれるように腐心しているようだった。とは言え、時間が経ったこともあってだいぶ魚も弱っているように見える。「おい、死ぬなよ」と声をかけている様子が真剣だったので、なんとなく僕からは声もかけづらい。
S崎は、僕が焦り始めているのを知ってか知らずか、釣りを続けている。四匹目を狙っているのか。彼は何をするにも我々三人の中では一番器用にことをこなす。何をしても一番早く上達するのはS崎なのだ。その分、残りの我々二人が時間をもてあまし気味だということに気がついたのか、彼は5時も10分ほど過ぎた頃、ようやく釣り場を離れようと言いだした。
釣った魚は、釣り場の近くで焼いてくれて、その場で食べることができた。S井とS崎は、その場で食べて行こうと言う。しかし、忘れてはいけないのは、6時半に宿で食事なのだ。ここで焼いて食べる時間もなければ、ここで腹を満たすわけにもいかない。僕は、宿に持ち帰って調理してもらうことを提案し、なんとか二人にそれを承諾させた。
とは言っても、今からではバスの時間には間に合わない。仕方がない。我々は、結局、タクシーを呼ばなければならなくなった。先ほどのタクシーの運転手に聞いた番号をS崎が控えていた。僕とS井が、釣り上げた4匹の虹鱒をビニール袋に移し替えている間に、S崎が電話をかける。僕はその様子をはらはらして見守る。
果たしてS崎が首をひねりながらこちらに近づいてくる。誰も電話に出ない、と言う。僕らの表情は曇った。懸念が現実になりつつあった。タクシーは村に一台しかないのだ。さっきは確かにすぐ来てくれたが、そうそういつも簡単に捕まえられるとは限らないのではないか…?
ふり仰ぐと、抜けるような青空のはるかかなたから、遠い夜の気配が音もなく近づいてくるように思えた。
9 素手で自然に向かい合おうだなんてずいぶん無茶な話だった
「車来てるよー」
後ろからS井が声をかける。それで僕とS崎は道路の端に身を寄せる。僕らのすぐそばをワンボックスカーが通り過ぎる。
「後ろに乗ってた子供がゲームしてたよ」
いまいましげにS崎が言う。そう、確かにそれはいまいましい風景に違いなかった。暮れつつある、人家の見えない山道を歩いている我々にとっては。
タクシー会社には5分置きに電話をかけていた。S井が手に提げているビニール袋の中の魚たちの生死まで我々は気にしている余裕を持たなかったが、おそらくはどれも確実に息絶えていただろう。それくらいの時間は優に歩いているはずだった。
今日何度目かの驚きだった。ここがまだ都内だなんて。我々は釣り場にいても仕方がないので、とにかく行きにタクシーで通った道を歩いて戻りながらタクシー会社に連絡をつけようとしていた。それにしてもすごいところを歩いていた。山の斜面に沿ってカーブを繰り返す山道。見上げても緑の木々、見下しても緑の木々。見下した果てには小さな渓流が見えており、さらにその先には山また山。緑の木々と、あとはところどころ遅咲きの桜が見えるだけで、見渡す範囲の中に村どころか人家は一つも見当たらない。果てしない絵巻物のように、山ばかりが飽きることなく続いている。
もしもこのままタクシーが来てくれることなく日が暮れてしまったら…。そんなことはさすがにないだろう。それまでには連絡がつくはずだろう。そう思いながらも、我々はこの山道にきちんと街灯がついていることを確認せざるを得なかった。もし日が暮れたら、この辺り一帯は、この街灯の他に一切の灯りを持たないようだった。
また一台、車が我々を追い越して行った。奥多摩駅からこちらにのぼってくる方向に来る車は一台もない。みな、釣りか鍾乳洞を楽しんで帰る家族連ればかりだ。
「誰か乗せて行ってくれないかな」
と呟いてみるものの、そうそう人生甘くはない。助手席に女を乗せた若い男の車が、スピードを下げることなく我々を追い越して行った。
行きはよいよい帰りはこわい、とはよく言ったもので、思えば行きは車という文明の利器に守られていたのだな、と今さらながらに思われるのだった。車に乗っていると、どんなに山奥の景色も、映画の銀幕の向う側の景色のように思えた。こんな人の手の及ばない山奥で文明の利器を持たず、素手で自然に向かい合おうだなんてずいぶん無茶な話だった。心なしか、釣り場にいたときよりも夜が近づいてきているようだった。それは我々の後ろから、ひそやかに、しかし確実に、我々との間合いを詰めてくる…。
「あ、もしもし」
何度目かの電話でようやくタクシー会社に電話が通じたらしい。僕とS井は顔を見合わせて、安堵の表情をお互いの顔に読みとった。
10 「じゃあ、二匹は唐揚げであとの二匹はムニエルに…」
タクシーの運転手は行きと同じ、若くて豪胆な感じの男だった。帰りは行きと違って対向車に一台も会わなかったため、実にスムーズに宿まで辿り着く。結局、着いてみれば6時ちょうどという実に良い時間だった。
宿のおばちゃんに釣ってきた虹鱒を見せると、虹鱒の塩焼きは元々用意していた夕飯の中に含まれていると言う。唐揚げかムニエルならできますけれど。そう言うので、「じゃあ、二匹は唐揚げであとの二匹はムニエルに…」とS崎が言うと、どちらかでお願いします、と苦笑いされる。そりゃあそうですね。
風呂を済ませてフロントに電話を一本入れると、これから夕飯を支度しに部屋へ伺うと言う。部屋出しの食事というだけで豪勢な気分。期待が高まる。
虹鱒は結局唐揚げになった。釣りには参加しなかったものの、僕もお裾わけにあずかる。
ふきのとうなど山菜の天ぷら、お代わり自由の筍ごはん、自家製のこんにゃく、虹鱒の塩焼き、唐揚げ、小さな鍋料理、馬刺しが二切れ、…etc. 質量ともに申し分ない、期待以上の夕飯をごちそうになる。沢井で土産用に買った日本酒をここで飲んでしまいたい衝動に駆られるが、そこはぐっと我慢して、S井が家から持ってきた日本酒を皆ですする。それも十分美味かったが。
ここ荒澤屋の名物は何かと言うと、夜に囲炉裏を囲んで行なわれる昔話である。宿のおじいさんがしてくれる昔話をみんなで聞くことができる、というものだ。この日は宿が満室だったものの、僕ら以外の客はみんなC大学の団体客。彼らはコンパに忙しかったらしく、僕ら3人だけで昔話を聞くことに。
奥多摩に伝わる民話を二つ、聞かせてくれた。実は、昼間、タクシーに乗っているときに「この辺りには民話とか多く伝わっているものなんですか」と運転手に聞いてみたところ「いいや、全然」と言われていたので、あまり期待はしていなかったのだが、意外にこれが雰囲気があって面白い。ここで書くと営業妨害になるかと思うので、詳しくは触れないが、「おいらん淵」という悲しい怪談はここ奥多摩の近辺に伝わる話なのだと僕はこのとき初めて知った。
民話の後でコンビニに買い物に出る。やはり都内とは思えないほど暗い。夜9時過ぎ。近くに一軒きりのコンビニは、もう店仕舞を始めていた。その看板には、「東京で一番西にあるコンビニ」という惹句が書かれ、ご丁寧に緯度経度まで示されている。僕は奥多摩の地図を頭に思い浮かべる。ここは奥多摩駅前。奥多摩駅は確かに青梅線の終点であり、それらの駅の中では一番西にあることは違いないが、実はこれよりも西側まで東京都はずっと続いているはずだ。
奥多摩駅の辺りから始まる「むかしみち」は、徒歩で4時間ほど西に歩いて行って奥多摩湖に通じる道。奥多摩湖はまだ東京都内である。それを考えても、ここからさらに西へ西へと東京都は広がっているはずなのに。僕は西の方を見やる。そこには人家の灯りが見当たらない。ここから西には夜中まで灯りをつけておくような店は一軒もなく、しずかな闇だけが横たわっているのだ。それは当たり前と言えば当たり前の話だったが、それでもなんだかこんなに巨大な闇を目の当たりにしてしまうと、やはり恐ろしい気分になってしまう。宿へ帰ろうと、我々はその闇に背を向けた。ふと気がついて僕はもう一度闇を振り返る。
あの闇のどこかに、おいらん淵があるのだった。
11 朝その話を聞いたS崎は何も覚えていなかった
以下は、S井から聞いた怖い話。
S井が朝目覚めると、自分の右腕がまっすぐに伸びており、その上に何かが乗っているような重さを感じた。すぐに、おかしいな、と思ったと言う。おそるおそる目を開けてみると…
S崎の頭が自分の腕に乗っかっている。
つまり、男同士で腕枕している状態になっていたのだ。もちろん昨夜腕枕などした記憶はないから、二人の寝相が悪かったために生じた悲劇である。
S井は、うわっ、と思って腕をひっこめた。そろそろと腕を引き抜いたその時、S崎がなぜか「ちっ」と舌打ちしたのだと言う。
ちなみに、朝その話を聞いたS崎は何も覚えていなかった。
12 奥多摩は朝がもっとも美しい
たかだか一泊二日の旅だったのに、長々と書きつづってしまったが、もうそろそろこの旅行記もおしまいだ。二日目は、以前にも書いたように午前中に二十三区内に帰りつく必要があったため、朝ご飯を食べ終えた直後に宿を出たのだった。
奥多摩は朝がもっとも美しい。C大学の学生たちは、我々が宿を出る頃にはもういなかった。宿のおばちゃんに見送られて駅へ向かう。
そして、旅の終わりはいつでも口数の少ない3人だった。
(了)
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