2010-06-13

小特集・瀬戸正洋 「本人」の栄光 上田信治

小特集・瀬戸正洋
「本人」の栄光
              
句集『俳句と雑文 A』(2009邑書林刊)評上田信治   

「里」2009.7月号より転載


ブロッコリと豚の角煮と泡盛と  瀬戸正洋  

一人で黙って酒を飲んでいる人が、心地よい静寂のうちにいるかというとそんなことはないのであって、たいがいは、内的言語の嵐に翻弄され、ぐだぐだに煮上がった状態になっている。  

人の心は、目を覚ましている限り、ものの数秒も黙っていられない。

本人に言いたいことがなくても、頭に巣喰った言葉が勝手に喋り続ける。いわゆる内的独白というものだが、自走する言葉には、悲しいほど意味がない。愚痴。甘え。恥ずべき欲望。紋切り型と、ワンフレーズの繰り返し(自分だけか? いや、そんなことはないだろう)。それら全てが、どこかで聞きかじった「他人の言葉」である。  

一人で酒を飲んでいる人は、おおかた、他人の言葉に押しつぶされてグウの音も出なくなる、その半歩手前まで来ている。なけなしの矜恃も、「他人の言葉」に内面を埋め尽くされれば「がわ」しか残らない。  

かといって「自分」の言葉で語ろうとすれば、今度はどこを探しても「自分の言葉」などない、ということに気づかされる。  

人生の一大事における感動は、十中八九、紋切り型になる。人が体験した最高の美は、十中八九、陳腐である。言葉は私有できないので、感じ、考え、語るということは「他人の」言葉を使うことに他ならない(当り前すぎる話だ)。  

俳句に携わる人には、言葉が「他人の言葉」でしかないということに、とりわけ無意識である人や、割り切って恬淡としている人が多いが、そのことに忸怩たる思いを抱く人間にとって、それは常態と化した崖っぷちである。  

考慮すべきは、「他人」の対義語は「自分」であるとは限らない、ということだろう。たとえば「身内」もそうだし「本人」もそうだ。いや「自分の言葉」も「身内の言葉」も疑わしいが、「本人の言葉」なら、なんとなく信用に足る、そういうものではないか。  



瀬戸正洋は文学を志し「精神生活の中心に俳句を据えて」三〇年近く、と前句集『Z湾』の後記にあるので、かれこれ三〇年以上。その句に「人生の一大事」や「最高の美」が語られることはない。むしろ、人生のがらくたのような些事ばかりが書かれているのだが、そこには何らかの「信ずるに足るもの」があるように思われ、自分のような他人をなぐさめる。   

鉄亜鈴とボデイガアドと菖蒲湯と  

瀬戸正洋の文体は「ものを言わない」ためにある。  

掲句のような、物を三つ並べて「と」でつなぐかたち。 あるいは、リフレイン。 長大な単語の使用。下五の「けり」流し。

「散文の切れっ端で何が言える」という言葉に典型的にあらわれているように、多くの俳句作者は「ものが言えない」短さの中で、どう「ものを言うか」の工夫を重ねてきた。それは具体的には、二個か三個、多くて四五個の単語を、どうつなぐかの工夫である。  

瀬戸正洋独特のスタイルは、いくつかの単語(多くは名詞)を「つなぎ」無しで、五七五にぎゅぎゅっと詰め込むもので、作者がそれらしく言葉を細工する余地を残さない。それは、むしろ積極的に「ものを言わない」ための工夫であると思われる。  



『俳句と雑文A』と題されたこの句集の後半には、多田裕計、尾崎一雄、富永太郎の三人の文学者についてのスケッチが収められている。

瀬戸は、自身が二十代に師事した多田裕計について「終生小説に執着したが、晩年はより多く俳句に傾斜した。彼の俳句を、私は芸術というより、むしろ美術的な美の表現であると言いたい」(p.119)と書いている。  

同書には「補遺 裕計俳句鑑賞」と題し〈楡の根に錆自転車の霧二日〉〈日は花に暮れて鋭き一つ星〉〈師の墓へ影し捧ぐや冬菫〉〈冬麗の墓より微笑沸くごとし〉の句が紹介されている。

多田の句には他に〈れもん一つ緑の風の香に立てり〉〈いつの間に月光なりし雪柳〉〈草萌えにシヨパンの雨滴打ち来る〉などがあるが、自分には、それらはいわゆる「美」に寄りかかりすぎていて、俳句として上々の作とは言えないように思われる。  

瀬戸の「芸術というより、美術的な美」という言葉には、師に対する無念と哀惜がこめられていると思う。  



だから、というわけではないだろうが、瀬戸の句にはいわゆる「美術的な美」がほとんど登場しない。かといって「小説的」なものがあるかというと、少なくとも「小説的な内面」のようなものは出てこない。

「内面」を直接書かないことは俳句の定法ではあるが、 「自画像を描くということは、文学にとっても基本中の基本である。(…)書くとは自分が隠したいと思う自分の本当の心を捜し出していく作業」(p.139) と、いわゆる私小説的な文学観に対する純情を告白する作者において、「小説的」な「内面のドラマ化」や「心情吐露」が、ほとんど見られないことには、注意すべきだ。

この作者はきっと「美術的」なものや「小説的」なものが、俳句においてあまり頼みにならないことを、骨身にしみて知っている。  

瀬戸の句に、「美」の代わりに登場する「佳きもの」といえば、たとえば、   

立原正秋読む日本酒と酢橘かな   
焼酎と鉄腕アトムの模型かな   
舶来酒房「らんぷ」蚕豆とウオッカと  

といった、飲酒行為の「記録」である。  

あるいは「内面」のかわりには、こんな句だ。   

市税県税国税菜飯食ひにけり   
倒産廃業リストラ減給春埃   
拉致と核と餓死と憎悪と朧月  

文学的「内面」というのは、もう少し〈みづからを問ひつめゐしが牡丹雪 五千石〉とか〈天上も淋しからんに燕子花 六林男〉とかいったように、思いが主体化(「主人公」化と言ってもいい)されているものだろう。あるいは社会性俳句、時事俳句といった、標的が外にあるものとも、瀬戸の句は、そうとう手触りが違う。  

これはきっと、作者の「怖いものづくし」なのだ。  

作者は、心に浮かぶよしなしごととしての「怖いもの」や「嫌なもの」に、季語をもって対抗し、それを押し返そうとしているように見える。  

さいばら天気は、ブログ「七曜堂」(2009年5月23日付記事)で、同書を取り上げ、瀬戸の句を「奇妙なメモのようだ」と評している。たしかに、半ばフォーマットを決めて、その日食べたものや心に浮かんだことを、代入して出来ているような句群は、芸術や文学よりも、メモや日録に似ているかもしれない。  

話は、その「メモのようなもの」が、人を慰めうるのだろうか、ということだ。  



哲学的エッセイの書き手だった池田晶子が、私は、そこにいる犬を見て「そこに犬の『魂が』いる」と思うことに、まったく抵抗がない、というようなことを書いていた。  

自分は、そのエッセイに大いに感心したし、思い当たるところもあった。しかし生身の人間を見て「そこに人の『魂が』いる」とは、思えたためしがない。犬と人は違う、ということかもしれないが。   

瓜漬食うて鉄棒にぶらさがる   
五月闇へんな力の涌きにけり   
牛乳を温めて飲む夏館   
神無月の萬年筆「みんなで夢を」
 

書くことにまつわる「自意識」を脇に置き切ったような、瀬戸正洋の、あまりに無防備な書き物を前にすると、「魂」は大げさかもしれないが、自分は心から「ああ、ここに『人が』いる」と思うのだ。  

瀬戸正洋の俳句からは、犬のような、あるいは「魂」のような、人間の「素」が透け見える。それはもちろん、そういう書き方がされているから、作品としてそうなっているのであって、作家が特別「魂」的に高貴だとか、犬に近いとかいうわけではない(と思う)。  

定型をさらに限定して「ものを言わない」スタイル、急に分からないことを言い出す無造作さなどが、作品から「操作する主体」の印象を弱め、それをほとんど消してしまっている(書かれたものは「奇妙なメモのように」見える)。  

その結果「(作者として)書きつつ」「(主人公として)書かれている」はずの瀬戸正洋は、ひっくるめて、作中に只いて、只書いているような印象を与える。それは「自分」=主体でもなければ「他人」=客体でもない、書いている「本人」とでも言うべきありようだ。  

そのとき言葉は、瀬戸正洋「本人」の言葉としてある。

「本人」のものであれば、陳腐も紋切り型も、実存の様態としていっそ輝かしい。それは、いっさいの「美」らしさ「文学」らしさを斥け、ついにパッと見、芸術だか文学だか分からなくなった果てにある、栄光である。   



パトカーと雪の靖国神社かな   
密告や助六寿司と蜆汁   
田水沸く小学校と中学校   
梨を剝く私立探偵事務所かな  

必ずしも、主人公としての「本人」が登場しない句も含め、これらの句が、集中、もっとも自分を楽しませた。〈パトカー〉の句の視覚、〈密告〉の句の、たぶん架空の不安などについて、一句一句、その感興を書いてみたかったが、紙幅が尽きてしまった。〈梨を剝く私立探偵事務所かな〉について言えば「梨を剥いていて、私立探偵事務所を思った」という、古池に蛙は飛び込まなかった式の解釈がいいと思う。対のように〈鰯喰うて器械体操選手かな〉という句もある。  



作者は、いま、たいへんな自由をつかんでいるように見える。現在の方法や、その先にある方法で、どんどん傑作を書いていってほしいと、期待して止まない。



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