「俳句想望俳句」の時代 2010年代の俳句を占う
小野裕三
初出:『豆の木』第14号 (2010年4月)
新しいミレニアムの最初の十年であるゼロ年代が終わり、次なる十年間がやってきた。ゼロ年代への言及はいくつかの文芸ジャンルでも見られるが、俳句という領域においてはどうなのだろう。そこで、ゼロ年代の総括を踏まえた2010年代の俳句のためのヒントをこの文章では提示したいと思う。なお、僕自身が他に発表した文章の中に含まれている内容もあるが、そのように重複する点もあえて次の十年を総覧する意味であらためて触れておきたい。
想望の対象としての俳句
昨年末に刊行された『新撰21』(邑書林)は、いわば「ゼロ年代俳人」を見渡せる好著として、俳壇では話題を呼んでいるようだ。その本に書いた解説の中で、「俳句想望俳句」ということを書いた。それは論の文脈上思いついた造語であり、比喩的に使った言葉だったのだが、幾人かの俳人から「あの言葉はいいね」と指摘されたのには書いた本人も少し驚いた。
ということはどうやら、少なくとも今の時代を生きる俳人の少なからぬ人がその言葉に共感をしているということなのだ。それでは、そのことが掬い取る今の時代の俳句に対する「気分」とはどういうものなのか、そのことを少し考えてみたい。
まず、「俳句想望俳句」は、俳句に対する「肯定」から始まる。
そんなことは当然ではないか、と思われるかも知れない。しかし、実はそうではない。近代という時代との軋みの中で、俳句を突き動かしてきた衝動は俳句に対する肯定よりもむしろ否定だった。俳句から逃げようとする力が俳句を進展させてきたし、実際に新興俳句、前衛俳句と呼ばれた運動もそういったものだったと位置づけることができるだろう。それは言い方を変えれば、俳句という器に俳句以外のものを盛り込もうとした力だったと言ってもいい。
近代という時代が持つそのような暗黙の衝動と連動するように、「第二芸術論」もあった。逆説的ではあるが、俳句という存在を全否定しようとした「第二芸術論」の姿勢こそ、近代俳句の進化を突き動かしてきた力と同一のものだった。
しかし時代は過ぎた。ポストモダンとも言われた状況を経て、「前衛派」といい「伝統派」といい、そういったものは対立というよりもはや手段のオルタナティブに過ぎなくなっている。そこで起きるのは、俳句が持っているもの、そしてその歴史、そういったものすべてに対する肯定の姿勢である。いわば、俳句という器に俳句を盛ろうという姿勢だ。これも当たり前のことではないかと思われるかも知れないが、過去においてそうでない力が俳句を突き動かし続けてきたことは先述のとおりだ。
俳句想望俳句は、俳句を全肯定する。さらには、俳句を偏愛する。俳句に見られる作法を、その美意識を。その姿かたちや立ち振る舞いのすべてを。それは、一種のフェティシズムですらある。俳句に対するフェティシズムであると同時に、それを支える俳句的美意識に対するフェティシズムでもある。もっと言えば、日本語や日本文化に対するフェティシズムともそれは繋がりうる。
その時代においては、「前衛派」「伝統派」といった対立も基本的にはあまり意味がない。それぞれの存在が無意味になったということではなく、それぞれに受け継がれてきた遺伝子はこれからの時代にも充分輝き続けるだろう。要は、その二つが対立するものとして存在していることにあまり意味がなくなったということだ。
「前衛」「伝統」はポリシーとしてどちらかを選択しなくてはならない踏み絵のようなものでもないし、共に俳句が紡いできた貴重な財産として並列している。さらに言えばそのネーミングだってこの際重要ではなく、要はその遺伝子をきちんと受け継ぐことが肝心だ。
俳句にとっての「戦後」の清算
ところで、戦後の長い間俳句が格闘してきた事柄について、ここで再考しておきたい。そのことの背後には当然ながら戦争があり、つまり戦争による間接的な影響も含むさまざまな事象にきちんと俳句が向き合うべきであるということが意識されてきた。
「第二芸術論」にも現れたその意識は、確かに時代全体が共有する意識であったし、俳句にもそのような主張が流れ込んできたことはある意味で当然であった。そしていわばその対極に、終戦直後に「俳句は戦争によって何も影響を受けなかった」と言い放った虚子がいる。
そして今、冷静な眼で見た時、僕は虚子に軍配を挙げるべきだと思う。このことをわかりやすく説明するのに、例えばこんな例を挙げてみたい。
戦時中の有名なスローガンとして「欲しがりません勝つまでは」というものがあった。この標語、実は七五の韻律になっている。そして、この標語には実はある前提条件がある。その部分を言葉で補うとすると、「欲しくても欲しがりません勝つまでは」となる。しかもこうすると、五七五の韻律にもなる。ということは、この標語については本来はこの五七五の韻律で制定されたほうが正しかったように思える。だが、実際には上五の部分を隠した評語として戦争中に定着した。
なぜか? ここに、俳句の持つ定型の強さも弱さもあると思う。
この標語を五七五の韻律にしてみた時、戦時体制の持つ切迫感のようなものが急速に薄れてしまうことを感じないだろうか。勇壮さ、悲壮さ、といったものが影を潜め、なぜか不思議と柔和で平穏な調べが漂う。
極論すれば、これが俳句の定型の持つ磁場のようなものであり、要するに俳句の力のひとつである。定型は、あらゆるものをその磁場の中に飲み込み、何か柔和で平穏な美意識の中に引きずり込んでしまうのだ。
当時の戦争を導いた標語が、意識的にせよ無意識にせよ、結果として五七五の韻律を避けたことは偶然ではない。そう考えれば、虚子が「俳句は戦争によって何の影響も受けなかった」と言い放ったことの真意が理解できる。
虚子は、俳句とは「極楽の文学」であると言った。なぜなら、虚子はここで説明したような俳句の持つ強い磁場を充分に理解していたからだろう。
世の中には確かに戦争という悪がある。その他にも、看過できないたくさんの悪や悲惨がある。だが、そのようなものに対峙するためにそれ自体を赤裸々に描くことが常に必要であるとは限らない。例えば小説や現代詩、あるいはルポルタージュや評論といったものであれば、そういった作業に向いているだろう。
しかし、極楽の文学であり、五七五という強い磁場を持つ俳句はもともとそのような作業に向いていないのだ。それは戦争中の標語が五七五を嫌ったことと、ちょうど裏返しになっている。
しかし、そのことは短所ばかりとも限らない。悪に対峙するためにひたすら善の場所を言い続ける、そのような「極楽の文学」として俳句は自らの場所を宣言してしまってもいいと思うし、そのことによって俳句はそろそろ「戦後」の呪縛から中立の位置に戻ってきてもいい頃だろう。
そしてこのことも、俳句固有の磁場を積極的に肯定する、「俳句想望俳句」の一貫と見ることができるだろう。勿論、社会性俳句的な方法を否定するわけではない。そのようなものも、俳句が宿す遺伝子のひとつとして肯定の対象たりうる。とにかく、これまでの俳句の遺伝子をすべて肯定するところから、次の十年は始めてみるべきなのだ。
ネット俳句の胎動
もうひとつ、次の十年間に注目すべき動きとしては、やはりネット俳句の動向を挙げておきたい。
俳句に限らず文芸、もしくはもっと広く言って文化全体を変革しうるものとして、やはりインターネットの存在は無視できない。しかし、当然ながらネットで俳句活動を展開すれば、自然に俳句もしくは俳句界が新しくなるという単純なものでもない。
もっと質的な変革に踏み込んだ「俳句2.0」の登場が期待される。そして、「俳句2.0」の登場のためには、「句会2.0」もしくは「選者2.0」が必要となる。要するに、俳句を生成(句会2.0)して精製(選者2.0)する仕組み自体が進化せずして、新しい俳句の潮流も起きえない、ということだ。そしてこのことは、決してこれまでの俳句的遺伝子を肯定して偏愛する「俳句想望俳句」とも矛盾しない。
このテーマについて考える時には、一部の学者・評論家などが政治のジャンルで議論している「民主主義2.0」が参考になるのではないだろうか。
そこで言われていることは、勿論民主主義自体の刷新ではあるのだけれど、民主主義自体の概念を変えようということではなく、むしろ民主主義の手続きを刷新しようという側面が大きい。インターネットを活用して民主主義の手続きをさらに進化させることで、本来民主主義が持つべきだった本質的な可能性に深くアプローチしようという発想なのだ。
例えば、インターネット登場以前の時代には、物理的な制約から「紙による投票」とそれに基づいた「代議制」が行われてきた。しかし、インターネットの時代になれば、その手続きはやはりあまりにも古めかしく映る。
インターネットの時代においては、代議制ではなく例えば議案ごとに市民が直接投票することだって不可能ではない。それだけではなく、わかりやすい端的な例で言えば「一票」という投票の仕方ではなくて「0.5票」はこっちだけど「0.4票」はこっちでさらに「0.1票」はこっち、といった分散投票だって可能だろう。そのように、「一票」という「紙による投票」や「代議制」といった旧来的な物理的手段に束縛されない民主主義の新しい手続きを作り上げることが、「民主主義2.0」の根本にある。
俳句も同様だと思う。俳句の遺伝子を大切にし、その本質にさらに深く迫るために俳句の生成・精製される手続きを進化させる。季語や定型といったルールを変革することによって俳句を進化させるのではなく、それらの本質をさらに有効に活かすために、俳句におけるいわば「生態系」を進化させることによって俳句を進化させる。このことが来たるべきネット時代の「俳句2.0」の革新であり、そしてそれは「俳句想望俳句」とも両立しうる概念である。
最後に、簡潔な所感
今の時点で軽々しいことを言うのはいささか気が引けるのだが、それでもあえて言っておけば、無風のように見えてきた平成俳句の最近の十年というのは、意外に次の時代に繋がる転換点の要素を多く内包していたのかも知れない。少なくとも、戦後俳句が抱えてきたカルマのようなものから、俳句が自由になりつつある。そんなことを感じる十年でもあった。半ば希望も込めつつ、次に来たるべき十年の新しい展開を見守りたい。
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