2010-07-11

〔俳句つながり〕つなぐ人 阪西敦子

〔俳句つながり〕
雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝→細谷喨々→中西夕紀→岩淵喜代子→麻里伊 →ふけとしこ→榎本享→対中いずみ→川島葵→境野大波→菊田一平→山田真砂年→土肥あき子→今井肖子→阪西敦子→大高翔


つなぐ人~大高翔さんへ

阪西敦子


前回、今井肖子さんが書かれたとおり、わたしはホトトギスという頑丈で広々した結社の箱入り娘であった。その一方で、交友関係が広いと書いてくださったとおり、ホトトギスの先輩達よりは、結社の外へ出る機会を多く頂き、「俳句つながり」に連なることともなった。この契機というか、元凶というか、であるのが大高翔さんである。これまでも、いまでも、お世話になった人は数知れず、出会いの不思議に考えさせられるのがわたしの俳句生活だけれど、とにかくこの人なしにはという大転機を与えられたのが彼女との出会いであった。

といっても、彼女は永く仮想の人であった。はじめてその名を知ってから今日まで、約14年間のうち、実際に出会うまでに6年間、その後、再会して句会などでご一緒するようになったのが更に3年後の2005年であるので、3分の2がどこかで活躍している人ということになる。そんなことなので、今回は彼女への憧れを書くということになるだろうか。

大学2年になって、ひとり暮らしにも慣れて、句会にも出始めて、向いていなかったサークルもやめて、翌年留学することにして、わたしなりに、これで行こうと決めた頃だった。大学の図書館で予習か何かに飽きて、ふと俳句の総合誌を手にとった。そこに翔さんの句集の告知があったのだと思う。高校卒業と同時に出された『ひとりの聖域』の広告であった。大学入学まで、俳句は祖母とわたしの間だけにあって、大学に入ってのちも、結社の大人たちとの句会や、せめて結社誌の誌面だけにあって、それで随分世界が広がったと満足しきっていたわたしにとって、それは驚愕であった。同年代の作家がいて、句集を出した。どちらに驚いたのかは、よくわからない。まわりに俳句をするような同年代はおらず、俳句甲子園だってなく、今のようにネットで情報がいくらでも手に入ることもなく、わたしにこそ俳句が「ひとりの
聖域」であるような気がしていて、それが少し心地よかったのかもしれなかった。気になりながらも臆病と天邪鬼が顔を出して、わたしはその句集を買わず、一方で結社の句会へのめりこむ事となった。

第2句集『17文字の孤独』はわたしが留学してすぐに出版された。母から定期的に送られてくるファックスか国際電話かで、少しそのことについて聞いたように思う。毎日、新しいことに追われていた時期だったが、それは何か記憶に残った。どこかにいる同年代から受けた刺激だろうか、その年はじめて所属協会の新人賞に応募をする。

今、この句集を読めば、よくもまあ、同年代などと、刺激を受けたなどと、おこがましく考えたものだと、恥ずかしくなる。作品の質はもちろんのこと、俳句に対する気概や向き合い方、句への自己の投影の度合いや、まず自己自体の成熟度など、桁違いである。性質の違いなどでは決して切り捨てられない、信念の強さの差があって、それは今日まで、依然狭まる事がない。

 笑いあう春のオルガンひくように
 春の森いつも背中を見失う
 夏きざす野良猫の腹なでている
 出会うことに疲れていたり金魚玉
 熱帯魚君から泳ぎだすもがき
 危ういかもしれず言葉は海へ雪
 月氷る夢のむこうへ手をのばす

やや拙い感情が年代独特でありながら、句への託し方のなんと大人であることか。艶かしい質感の言葉を用いながら、自分への向き合い方のなんと真摯であることか。詩形に跨って、その手綱を手に、駆け出さんとするところだ。

2000年より翔さんはNHKのBS俳句王国へアシスタント俳人として出演を開始され、同年わたしは就職し水戸に赴任したが、職場は常時NHKの流れるところで、土曜の出勤などのときは、仕事の合間にちらりと眺めることがあった。そんなことが2年ほど続いたある日、番組から出演の依頼を貰った。
松山へ。はじめてお会いする翔さんは、拍子抜けするほど開放的な方であった。わたしの知っている句のイメージと違うあまり、別人との思い違いかと思うほどだった。収録の前日は出演者の参加する懇親会があって、二次会、三次会とずいぶん長時間懇親したのだけれど、何を話したのかという記憶はあまりない。ただ、陽気に座を引っ張ってゆく翔さんの見せる、時折ナイーブな顔が印象に残った。やはり思い違いではなく本人なのであった。

2005年、『ホトトギス』の1300号記念の祝賀会が行われ、すでに東京に住んでいたわたしは、手伝い要員として入り口付近で記念書籍の販売をしていた。と、話し掛ける人がいるので顔をあげるとゲストで来られた翔さんだった。突然の事で、何を話したらよいのか、なんとなく近況を話すうちに持ちかけられたのが、最近、比較的年齢の近いメンバーで結社を超えた句会をはじめたので、来てみないかという誘いであった。怖いもの見たさというのだろうか、その場ですぐに「行ってみたい」という返事をした。翔さんの人をつなぐ力は、軽々と箱入りの扉を開いた。

2007年に出版された『キリトリセン』は、その「つなぐ人」としての力や思いに充たされた句集。俳句を普段読まない人に届けたい、しかしなるべくそのままの形でという、ぎりぎりの選択が、ルビではなくページの端に読みを記載する工夫であり、語句の説明であり、さまざまのデザインを凝らした表現であった。結果、俳句と無関係なわたしの友人たちの手にも取られ、回し読みされ、俳句への理解を深めてもらう事になった。

 戻るすべ知らず黄落踏んでゆく
 天辺はさみしきところ秋の星
 風船揺れさみしくないといへばうそ
 逢ふことも過失のひとつ薄暑光
 花衣遠きところへ来てしまふ

どの句からも読み取れるのは、とりあえず進んでみるという姿勢である。進んでみた結果に正面から向き合い、それはそれとして受け入れ、作品となり、人となり、そしてまた、進んでみる。単純なことだけれど、そんなにたやすいことではない。臆病でまず心配から入るわたしにとって、彼女への憧れというのはそんなところから生まれる。

それさえももう、3年も前の話である。彼女はもう次へ進んでいた。この春、翔さんはニューヨークで俳句のワークショップを行った。子育ての作句の本も出された。実際はとっても大変な事なのだろうけれど、いつもふらっと現れて、やすやすと自分の計画について話す彼女を見ていると、すべてはとても自然な事に感じられるから不思議だ。自分が楽しんだ事はすべてわかちあいたいという気持ちが、彼女の原動力なのだろう。
この夏には翔さんの誘いで、彼女の故郷・徳島の阿波踊り合宿が控えている。「同じ阿呆なら…」の心意気をわけて貰ってきたい。


2 コメント:

匿名 さんのコメント...

「ひとりの領域」ではなくて「ひとりの聖域」ではないでしょうか?

Haiku Weekly さんのコメント...

ありがとうございます。

確認いたしましたところ。ご指摘のとおり句集名は『ひとりの聖域』でした。訂正いたしますとともにお詫び申し上げます。