2010-08-29

追悼・森澄雄 一句鑑賞 さいばら天気

【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
そのときお坊さんがね

さいばら天気


炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島  森澄雄

有名句ですが、異色かもしれません。森澄雄といえば、〈寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ〉や有名句の〈ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに〉に如実な「喩」の成功(この2句は直喩)、〈一枚に海を展べたる薄暑かな〉〈さざなみに夕日を加へ鱒の池〉などの把握と措辞(言い回し)の成功が(好みは別にして)頭に浮かびます。そんななか、掲句は、いっけん事をただ描いているようにも見え、ともすれば「それがどうした」感も招いてしまう。だから異色の感じがする。けれども、「僧」と新幹線というわかりやすい対照を、炎天という舞台設定のなかに定位させたわけですから、計算ずくです。

掲句はまた、「より」「とり」「のり」と軽く脚韻を踏んで、座五は、音的にも美しい地名で締めるという、なんとも語呂の良い句でもあります(口誦性なんて用語もどこかでよく使われますが)。この句の語呂の良さの余韻のなかで、他の句を読んでみると、調べの良い句の多いことにもいまさらのように気づきます。

「喩」や言い回し、景や事物の置き方、調べ。いずれをとっても「一流」感はまぬがれがたく、森澄雄の句をそれほど多くなく並べてみても、「良い句」のパターンや条件がひととおりきちんと揃ってしまうように思うのですが、どうなのでしょう。「そこが好きになれない」という人がたくさんいるのが想像できるほどに、森澄雄には、わかりやすくすばらしい句が多いように思います。

と書くうち、褒めているのか、そうでないのか、自分でもわかなくなってくるのですが、つまり、私にとって、俳句のひじょうに微妙な一面が具体例となった句群なのです。句が何かをうまく描けば描くほど、読み手である私からよそよそしく遠のいていく。俳句を読んでいると、しばしば、そのような不可解で筋の通らないことが起こります。

美人で頭が良くて気だてがいい。そんな素晴らしい女性なら、誰もが憧れるだろうと思うかもしれませんが、じつは、そんなことはなかったりする(少なくとも私は)。って感じでしょうか。

森澄雄の句群は、俳句にまつわる私のアンビバレンツ(好悪併存・愛憎併存)を呼び起こす句群なのかもしれません。

0 コメント: