2010-08-29

缶蹴り日和 中嶋憲武

缶蹴り日和 中嶋憲武

小学4年だった1970年頃、遊びと言えばもっぱら缶蹴りだった。

こんな面白い遊びを、誰が考え出したのであろうかと、当時の僕は思っていた。缶と、ちょっとした場所と、仲間がいればすぐに遊ぶ事ができる。現代のアルミ缶では、てんで駄目である。やはりスチール製の明治の白桃の缶あたりが妥当であろう。直径1メートルほどの円の中央に缶を置き、鬼になった者は円の外側にいて、隠れている者を見つけた場合のみ、円の中へ入る事ができ、隠れている者の名前を呼びながら、缶を踏む。鬼と隠れている者たちの駆け引きもスリリングであったし、缶を蹴りに行く作戦を練るのもワクワクしたものだ。鬼になった者の性格が出るのも一興だった。缶の傍から離れぬ者や、勇敢にも遠くまで探しにくる者など、それぞれだった。

僕たちは12、3人で遊んでいた。近所にウスイ兄弟というのが住んでいて、兄は体が大きく太っていたが、泣き虫であった。弟は痩せっぽちでいつも兄のあとへくっついていた。僕はこの兄弟が、なんとなく苦手であったので、ちょっかいを出したりしていた。ウスイ兄弟には中学生のお姉さんがあったのだが、滅多に会った事はなかった。

その日曜日、ウスイ兄が鬼になった。ウスイ兄は用心深いのか、臆病なのか缶にぴったりとくっついて、離れようとしなかった。仲間のひとりが、塀の陰から「ウスイ、ウスイ、探しに来いよ」と言っても、動かないのであった。僕はその様子が癪に障り、ある作戦を思いついた。みんなで一斉に出て行って、缶を蹴ってしまう作戦だ。物陰にみんなを呼び集め、頃合いを見計らい、「わあっ」と鬨の声を挙げて駆け出した。関ヶ原の戦いで、家康軍が進軍の法螺貝を大、大、大と吹き鳴らしたごとくにである。叫びながら10人ほどで缶へ殺到して行くと、ウスイ兄は慌てて名前を呼びながら、缶を踏み始めたが、多勢に無勢、あっという間に缶を蹴られてしまった。そんな事を3、4回も繰り返すとウスイ兄は、泣きながら家に帰ってしまった。ウスイ弟は、一緒にしばらく遊んでいたが、そのうちに帰った。

何事もなかったかのように遊んでいると、ウスイ兄は姉を連れてきた。ウスイ兄がいつか、「ハルコちゃんのうんこ、ちっちゃくって固くて臭いんだよ」と語っていたハルコちゃんその人である。ウスイ家の隣りに住んでいる6年生のタミコちゃんも一緒だった。ウスイ兄は僕の前に立ち、「この子だよ」と言った。ハルコちゃんは、いきなり僕の耳を摘むと近くの、ブロック塀がコの字になっているところまで引っ張って行き、「どうして弟をいじめるの」と言った。ブロック塀のコの字の中に、僕は幽閉され、ハルコちゃん、タミコちゃん、ウスイ兄が立ちはだかった。その後ろでみんなは遠巻きに成り行きを見ている。白鷺が一羽、遠巻きのみんなの後方の、青空を悠然と飛んでいた。

「シラサギだ」呟くと、ハルコちゃん達も振り返り、その空を見上げた。日をきらきらと受けて、まっ白い翼がはためいているのを見ると、もうちょっとこのままでいいやという気になった。

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