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2010-08-29

追悼・森澄雄 一句鑑賞 岡村知昭

【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
熱い「ぼうたん」の幻

岡村知昭

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに    森澄雄

普段の自分なら「ぼうたん」と出てきた時点で一句に向かおうとする気が早々になくなってしまう。もちろん古典から用例を探してみたら見つかるかもしれないのだが、それでも牡丹はあくまでも「ぼたん」で「ぼうたん」ではないはずだとの感じずにはいられないからだ。そのため蜻蛉を「とんぼう」、二月を「にんがつ」と使った一句に対しても同じような取り扱いをさせてもらっている、こればかりは語感の問題だからと思っていたからだ。だがこの一句に出て来る「ぼうたん」を何度も口ずさむとき、いつもの自分の基準はどこへやら、この句は実にいいなあと思ってしまう自分がいるのに気がつき、驚いてしまうのだ。すでに名句として喧伝されていることを差し引いてもこの評価は変わらない。この百の「ぼうたん」は決して「牡丹」でも「ぼたん」ではない。野を吹く微風を受けてかすかに揺れる百の「ぼうたん」でなければならないのだ。

なぜだろうと思いながらもう一度口ずさんでみると、下五の「湯のやうに」がなんともいえず引っかかってくる。自分の中で「湯」と来て頭に浮かぶのは十分に沸騰した熱湯なので、それが風に揺れる花に対する形容というのは意外性が高く感じられるからだ。もう一度この一句を口ずさむときに浮かび上がってくるのは、熱湯に不意に手をつけてしまい「熱い・・・!」と思いながら手を引っ込めてしまったときのように、百の「ぼうたん」が風に揺らぎながら発する熱に微かなおののきを感じてしまい、これまで見てきた花々からは決して感じることのなかった熱さを受け止めてしまい思わず「熱い・・・!」と小さく呟いてしまった人物の姿。「ぼうたん」の美しさをどうこうと讃えるのではなく、風と百の「ぼうたん」が作り上げた空間へのおののきを柔らかく、しかしまぎれもない実感として描こうとしたとき、「牡丹の百」の実在ではなく「ぼうたんの百」の幻が選ばれた。その選択によって風に揺れながら熱を発してやまない百の「ぼうたん」は一句の空間の中で確かに息づくものとなったのだ。

「ぼうたんの百」が発する熱を味わいながらもう一度口ずさんでみるとき、自分としてはやっぱり「ぼうたん」とは使いたくないとの気分になるのだが、もしかしたらこの一句があるためにここまで使い切れないとも思いのほうが強いのかもしれない。どちらにしても自分の中での「ぼうたん」はこの一句に封印ということにさせていただきたい、いつか「ぼうたんの百」以上の幻と出会い、封印の解かれる日が来ることも願いつつ。

追悼・森澄雄 一句鑑賞 関悦史

【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
一人であって一人ではない

関悦史



呟きて佛の妻に御慶かな
   『虚心』

亡くなった夫人を思いつつの新年。心の中で祝いの詞を述べる。心の中だけではなく、「呟き」が声に漏れる。呟くとは普通一人ですることだ。しかし亡くなった夫人を胸中に住まわせ、そこに呟くとき、つまり慕わしい故人とともにあるとき、句の語り手は一人であって一人ではない。他界に包み込まれたものとしての生、その生の中に未だ在る者として、生死の二重性の重なる域に自然に入る。声高に明瞭に「言う」のでもなく、黙って己の心中だけで「思う」のでもなく、生死の二重性の中での近しさと寂しさ、一人とも二人ともつかない、あるいはそれ以上ともつかない、無人称の域で年賀を寿ぐ「呟く」である。そこから生じる濃密な共生感ならぬ共在感が句の核を成す。しかし同時に、呟けば、呟くことの出来る己の肉体がまだ在るという事実が改めて立ち上がる。その分離されて生かされる寂しさ、有り難さ、そして死なれて以来これで何度目の正月かという茫々の想いが一句の外に広がる。

追悼・森澄雄 一句鑑賞 猫髭

【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
死者に対する節度

猫髭



妊りて紅き日傘を小さくさす  森澄雄

先週の週末、BARの片隅で呑んでいると、隣の席で、常連の一人が携帯の画面を女にかざしながら、森澄雄が矢島渚男と論争したのが全部読めるんだよ携帯でさ、ほらこれ、と話している。その男は俳人ではなかったので、一般人が俳人に興味を持つのは珍しいと、聞くとも無く聞いていると、森澄雄の俳句「われもまたむかしもののふ西行忌」を、矢島渚男が、自分が兵隊だったから武士だった西行に譬えるとは森澄雄も落ちぶれたものだといったような批判をし、それに対して森澄雄が戦争を知らない東大出の若造がと罵倒したというような話をしている。

森澄雄というと、若い頃は「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」という気恥ずかしい句で有名な愛妻俳人ぐらいにしか思っていなかったし(本人も読み返すと恥かしいと書いている)、同時代人としての俳句は、総合俳句誌の寄稿を見る限り、俳壇の武者小路実篤(晩年の)といったイメージで、溝の切れたレコードのように同じ事をぐるぐる繰り返す耄碌俳句を詠んでいる好々爺としかわたくしには思えなかったので、そういう啖呵を切れるほど威勢がよかったのかと、晩年の大岡昇平の『成城だより』を思い出し、意外だった。

帰宅してメールを開くと、「週俳」の編集者から、森澄雄追悼特集の一句鑑賞の依頼が来ていた。わたくしは新聞もTVのニュースも昔から見ないので、氏の訃報を知らなかった。インターネットで検索すると、読売新聞の訃報記事にこう書いてあった。

「生きて帰国できたら、妻や子供を愛し、平凡に生きてゆきたい」。1945年にボルネオの密林で「死の行軍」を経験したことが澄雄さんの俳句人生の原点となった。<翁ともに酷暑を歩きいくさの日>。マラリアや飢えで死者が相次ぎ、終戦を迎えた時、約200人の中隊は8人になっていた。 復員後、アキ子さんと結婚して上京。東京都立第十高等女学校(現都立豊島高)の社会科教師となり、同校の作法室に住み込んだ。<冬雁や家なしのまづ一子得て>は、長男の潮さんが生まれたときの句。社会性のある句が重んじられる中、54年の第1句集「雪櫟(ゆきくぬぎ)」は一教師の質素な生活を詠み、自分と向き合った句で注目された。

とある。「妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか」と清水哲男氏が『増殖する俳句歳時記』で書いていた背景には、「ボルネオ死の行軍」で生き残った8人のうちの一人という事実があることを初めて知った。作品を鑑賞するのに史実的な背景を知る必要は必ずしもないが、気恥ずかしい愛妻俳句を延々と詠み続けた背景に戦争体験があったということはそういうことかとわたくしは得心が行った。

また、それだけの凄惨な戦争体験と故郷の長崎の原爆忌を生涯に一句づつしか詠めなかった森澄雄の死者に対する節度は、飛行機が墜落して九死に一生を得たわたくしの父も、髑髏のような死者の顔ばかり描き続けたラーゲリ収容所から帰ってきた画家だった友人の父も、生涯戦争の話をほとんどしなかった、語り継げない重さを内に抱えて生きた愛妻家だった事実を思い起こさせた。

そう思うと、記憶にある森澄雄の愛妻の句は、戦争を体験した男たちの言葉にならない妻子への思いを代弁しているような句にも思える。

雪礫夜の奈落に妻子ねて
枯るる貧しさ厠に妻の尿きこゆ

野遊びの妻に見つけし肘ゑくぼ

新緑や濯ぐばかりに肘若し
向日葵や起きて妻すぐ母の声
葉がでて木蓮妻の齢もその頃ほひ
妻がゐて夜長を言へりさう思ふ
木の実のごとき臍もちき死なしめき
天女より人女がよけれ吾亦紅
飲食(おんじき)をせぬ妻とゐて冬籠
妻亡くて道に出てをり春の暮

掲出句は、森澄雄の愛妻俳句の中で、わたくしが最も愛する句である。この句には気恥ずかしさは覚えない。太宰治の名短編『満願』の、日傘をくるくる回しながら垣根の外を歩く病後の若妻の後日談の一句のような明るさがある。命を運ぶ一句であるせいだろう。氏の御冥福を祈る。

追悼・森澄雄 一句鑑賞 さいばら天気

【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
そのときお坊さんがね

さいばら天気


炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島  森澄雄

有名句ですが、異色かもしれません。森澄雄といえば、〈寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ〉や有名句の〈ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに〉に如実な「喩」の成功(この2句は直喩)、〈一枚に海を展べたる薄暑かな〉〈さざなみに夕日を加へ鱒の池〉などの把握と措辞(言い回し)の成功が(好みは別にして)頭に浮かびます。そんななか、掲句は、いっけん事をただ描いているようにも見え、ともすれば「それがどうした」感も招いてしまう。だから異色の感じがする。けれども、「僧」と新幹線というわかりやすい対照を、炎天という舞台設定のなかに定位させたわけですから、計算ずくです。

掲句はまた、「より」「とり」「のり」と軽く脚韻を踏んで、座五は、音的にも美しい地名で締めるという、なんとも語呂の良い句でもあります(口誦性なんて用語もどこかでよく使われますが)。この句の語呂の良さの余韻のなかで、他の句を読んでみると、調べの良い句の多いことにもいまさらのように気づきます。

「喩」や言い回し、景や事物の置き方、調べ。いずれをとっても「一流」感はまぬがれがたく、森澄雄の句をそれほど多くなく並べてみても、「良い句」のパターンや条件がひととおりきちんと揃ってしまうように思うのですが、どうなのでしょう。「そこが好きになれない」という人がたくさんいるのが想像できるほどに、森澄雄には、わかりやすくすばらしい句が多いように思います。

と書くうち、褒めているのか、そうでないのか、自分でもわかなくなってくるのですが、つまり、私にとって、俳句のひじょうに微妙な一面が具体例となった句群なのです。句が何かをうまく描けば描くほど、読み手である私からよそよそしく遠のいていく。俳句を読んでいると、しばしば、そのような不可解で筋の通らないことが起こります。

美人で頭が良くて気だてがいい。そんな素晴らしい女性なら、誰もが憧れるだろうと思うかもしれませんが、じつは、そんなことはなかったりする(少なくとも私は)。って感じでしょうか。

森澄雄の句群は、俳句にまつわる私のアンビバレンツ(好悪併存・愛憎併存)を呼び起こす句群なのかもしれません。