林田紀音夫全句集拾読 137
野口 裕
声を消されてとどくガラスの外の修羅
昭和四十八年、未発表句。かつては自分自身もガラスの外にいた。それを下敷きにしての句。ガラスは比喩であろうが、実際に起こった光景の目撃譚としても通用する。
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凧の尾の電線を越え砂漠摺る
昭和四十八年、未発表句。「砂を摺る」とやれば普通だが、そうはしない。とはいえど、「砂漠」にこめた意味合いは、通じにくい。年代から考えると、現実の景ではなく、往時の回想か。
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鉤裂きの山の麓の凶年来る
拭いきれない爆音の空梟首の果
昭和四十八年、未発表の連続した二句。昭和四十九年「海程」発表句に、「鉤裂きのジェット機の空嬰児墜ち」。「凶年」や「梟首の果」では、満足しなかった作句姿勢が超現実的な景を生み出した。もちろん、それにどれほどの説得力があるかは別問題である。紀音夫自身はすべてを分かった上で、何も言わない。
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戦車そこまで来ている松葉杖休む
試歩悶々と厚い雲とどこおる
死場所の経帷子の日のさす障子
足萎えの道化百日雲濃くなり
野の彼方ばかりが見えて惨めな試歩
杖はこぶ雪ぞら鴉おくれてとび
昭和四十八年、未発表句。骨折後、ようやく歩けるところまで回復した状況で、折に触れて書いた句と見られる。「海程」(昭和四十九年)の発表句には、その状況を記したものが見あたらない。「花曜」(昭和四十九年)に、「足枷の余命の際に葱が立つ」、「足首の傷むに任す月明り」がある。
発表句を含めても、平凡ながら「杖はこぶ」がもっとも良さそうに見える。なぜそうなのかを考えると長くなりそう。略す。
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2010-10-17
林田紀音夫全句集拾読137 野口裕
Posted by wh at 0:05
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