2010-10-31

林田紀音夫全句集拾読139 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
139




野口 裕



薬包紙夢寝にとび立つ風の修羅

昭和四十八年、未発表句。うたた寝しているうちに薬包紙が風で飛んでいってしまった、というのが現実的な解釈になるだろう。薬包紙が夢の中へ飛んで修羅になってしまった
うんぬん、とも読める。いずれにしろ、「修羅」は紀音夫の語彙にはなかった言葉。宮澤賢治からの連想か。

 

鉄筋の棘に傷んで風濃くなる

昭和四十八年、未発表句。どこかのビル解体現場。むき出しの鉄筋に風があたる。傷んでいるのは、風か私か。後年、阪神大震災に遭遇した紀音夫は、「鉄筋の棘忽然と激震地」と詠んだ。

筑紫磐井は、「本質的類型句」という言い方で、季語の本質をするどくとらえた秀句のありようを示した。これについては、以前に書いたこともある。そして、「本質的類型句」は「季語」ではなく「語」の本質をとらえた句ではないか、という気がしている。紀音夫において「鉄筋の棘」に関する「本質的類型句」が出現するまでには、昭和四十八年から平成七年まで待たねばならなかったといえよう。

 
花束を水に浸したその灯も消す

昭和四十八年、未発表句。

花束を抱えて、帰ってきた夜。そのことを忘れて、いったんは灯を消した。そうだ花束をそのままにしておけないと、寝床から起きあがり再び灯をつける。一旦は寝ていた眼に灯が眩しい。花束を水につけた瞬間に、昼間の出来事が鮮やかによみがえる。

蛇口をひねって水をため、そこに花束を漬ける。一連の動作が、よみがえった記憶を緩やかに消してゆく。意を決するかのように、灯を消す。記憶も消し寝床に向かう。闇がひろがる中を。

俳句の世界では使うことの難しい、「も」であるが、この場合は微妙な働きをしている。

 
迷彩の家並に潮の声寄せる

昭和四十八年、未発表句。昭和五十一年「花曜」に、「迷彩の人それぞれの夕茜」。迷彩に、色とりどりだが印象不鮮明、というような含意を込めていることだろう。元来が、軍用の装飾であることも意識されている。個人的には、発表句よりも未発表句の方にひかれるものがある。

高校時代、地学部に所属していた関係で、河川の中州を調べたことがあった。その調査中に、この石が何という名前か、あててごらんと手に乗せて、顧問の先生がさしだした物がある。しばらく考えて分からず、何の気なしにそれをひょいとめくると、ひっくり返したら、ばれるがなと先生が笑った。ひっくり返した裏には、うっすらと黒い表面が残っていた。瓦の破片が川の流れに研磨され、上流から中州までたどり着いた物だった。

昭和三十年代には、瓦の屋根は黒と相場が決まっていたように思う。ぽつぽつとカラーの瓦屋根が増え、黒を圧倒するようになってきたのがこの句が作られた時期だろうか。

黒一色だと思っていたのに、いつの間にか屋根が迷彩色を形作っている。胸中に、戦後の繁栄というような言葉が去来しただろう。

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