もつと、モジロウ
西村麒麟
ねぇねぇ、言いにくいんだけど、この頃気になる人がいて・・・。誰誰?ちょっと言いなさいよ、みずくさいじゃないのさ。
えぇっと、内緒だよ、池内友次郎さん、歳時記で見かけた時からずっと気になって・・・。
はい、池内友次郎さんについて少し書きます。
今さらですが、ざっくりと人物紹介、池内友次郎(1906~1991)、虚子の次男として生まれます。明治39年ですから、立子の三つ下の弟ですね(これイメージしやすいでしょ?)。20歳よりフランスに留学し、大変頑張り(俳句は省略の文芸です)、東京芸術大学教授兼音楽学部長までなり、日本を代表する音楽家の一人として有名になりました(俳句は省略の文芸です)。よって俳人としてよりも音楽家として有名です。
さてさて、人物は有名だけれども、惜しいことに、作品がホトトギス系以外の方には今いち知られていないというのが現状ではないでしょうか?立子に非凡な才能があった事は誰もが認めるところでしょうが、友次郎さん、いやいやどうして、負けていない。
『池内友次郎句集』の虚子の序文に
お前は俳句の専門家とはいへない。而も俳句界に一家を為すところの素質を供へてをる。
虚子は20歳から投句したりしなかったりの友次郎をずいぶんと可愛がっている。『結婚まで』という第一句集がまた面白い。
月君臨す我誕生の大空に
お世辞にも上手くはないですね、ただこの力み方がおかしくて妙な味があります。
初空や大悪人虚子の頭上に 虚子
と並べるとおかしい。この句、前書きがあり、
『四月一日鎌倉の裏山へ行つて始めて俳句を作る。「麦畑にわが来し道の白さかな」といふのである。その後ときどき作る。』
・・・ときどき作るって!!えぇ~、良いの、言ってしまって!?
と、1句目からこれです、もうファンになっちゃいますね。
以下面白いので『結婚まで』の中から友次郎さんのボヤキのような文章をいくつか紹介します。
昭和二年 国立音楽院入学準備のかたはら、かなり熱心に俳句を作る。
良かった、ホッ。
昭和三年 十月国立音楽院へ入学する。毎月ホトトギス雑詠へ投句する。
ガンバれガンバれ!恋も事業も!
昭和四年 だんだん俳句を作らなくなる。九月ピレネーに遊ぶ。
去年投句始めたばかりでしょ、ピレネーに遊ぶって!!
昭和五年 日本滞在中は比較的よく俳句を作る。
気まぐれだなぁ。
昭和六年 一月三日巴里へ帰る。俳句は殆ど作らず。
わざわざ書かなくても、ちなみにほんとに殆ど作ってません、でも2句はないですよ友次郎さん。
昭和十二年 俳句会に出席することが多くなる。かなり多く作るやうになる。
ついにやる気を出した友次郎さん、安心したところで、ようやく俳句を見ていきましょう。
船の波月乗せて行くどこまでも
可愛いいですね、技術的に言えば、どこまでも、をどうにかしたいんでしょうけど、こういう句はどうにかすると普通になってしまいます。
船の名の月に読まるる港かな 日野草城
これも素敵な句。
相傘の双子娘や春の雨
なんと可愛い、二人っ子ですね、僕は可愛いおかっぱの女の子を想像しました、春の雨が明るい。
くちづけの動かぬ男女おぼろ月
うまくは無いですよね、でも、おぼろが平仮名にする事によって妙な味がある、友次郎さんの俳句なので、渋谷とか日比谷公園ではありません、よーろっぱです。
すねて行くをとめや東風の湖ほとり
ぷんぷんっ、すねて、をとめ、が良い味を出してますね。
涼みゐる若き女中と猛犬と
これ可笑しいですね、好きな句です、猛犬と、この「と」が鍵ですね。
アンダルシアの犬ならざればハチ公は忠犬として悔しき日々を 藤原龍一郎
うつむいて尼一列や時雨ふる
やがて夏が来て
華やかに木魚を叩きたく晩夏 櫂未知子
ポコポコポコっ♪
はひまはる五色の火蛾や楽譜書く
これはとても綺麗で激しい句ですね、火蛾を心で暴れさせながら曲を書いているかのよう、楽譜書く、格好良い、これはモテる俳句です。
手袋や或る楽章のうつくしく 山西雅子
音楽が絡んだ俳句って綺麗だなぁ。
いつまでもとまらぬ蝶や貴船川
現実の蝶のはずなんだけど、どことなく不思議な感じがする蝶です。音も無くすーっと流れるように飛ぶ蝶。
一生の白いかもめが飛んで来る 阿部青鞋
これも不思議な白さ。
桃色の舌を出しけり大根馬
んべぇ~、と舌を出す様子が見えます、可愛いですね、大根馬。
東京駅大時計に似た月が出た
この句を歳時記で見てからずっと友次郎さんの俳句が気になってました。明るくてシンプルで、健康な子供の絵みたいですね。
蹴あげたる鞠のごとくに春の月 富安風生
これも明るい。
水郷の猫恋をして十二橋
恋をして、というところが可愛いですね。
恋猫が屋根にゐるピアノを叩く 加倉井秋を
も好き、楽しくて元気。
秋深し何か幸ある今日あした
くじけそうな時に作った俳句なんでしょうか、頑張れ!と言いたくなります。
夏遍路欲だらけなりとぼとぼとぼ 金子兜太
これも、楽しくてちょっと寂しい。
初詣道の真中を行く楽し
そりゃ楽し。
東京が好き句が好きで花淋し
こんなに素直に詠めるもんなのでしょうか、まったく心が汚れていない、見事です。
ひとときの避暑の記憶や秋灯
来てすぐに気に入つてゐる避暑地かな 波多野爽波
も好き。
淡雪とかはゆき猫とわれ楽し
かはゆき猫、って可愛いですね、下五、われ楽し、なんて絶対うまくはないんだけど、それでも、われ楽し、が一番良いでしょう。
パリの月ベルリンの月春の旅
豪華だなぁ。海外行った事ないけど。
運転の荒つぽいのも月今宵 太田うさぎ
この句、ルパン三世が浮かんできて大好き。
大きな日大きな月や春の旅
こう思ったからこう詠む、これは出来そうでできない事と思います。そこには、きっと、努力とは別の才が左右するのかもしれません。
誰もみなコーヒーが好き花曇 星野立子
これも、こう思ったからこう詠んだだけのもの、でも、良いですよね?
たんぽぽや首をふりふり牛の来る
可愛い、ふりふり、可愛い。たんぽぽは平仮名が良い。
短夜のパリーが好きで何時発つや
パリーが好きで、って何か可笑しい、声に出すとやっぱりちょっと可笑しくて楽しい句。
芸妓あはれ団扇にその名ありしあはれ
あはれと言い過ぎ、感情がこぼれてます、贔屓だったんですかね。
秋水の早く流れて岩が好き
岩が好き、って!!普通は下五こうは置けません、でもただの下手とは何か違うんだよなぁ・・・。
大仏の頬ゆたかなる冬日かな
あ、普通に良い句が来ました、大仏を観察する目が優しいですね。
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな 与謝野晶子
大仏様も褒められれば悪い気はしない。
いそぎ来て拝みてあはれ除夜の人
あはは、確かにあはれ。
時計あり端居の人ののびし手に
なぜかこの手、にゅっとしててしなやかに感じます。のびし、と平仮名なのが良いんでしょうかね。
緋鯉うかみでて顔まつ赤水澄めり
繰り返し言ってるだけあって生々しいぐらい赤が伝わります。
酒場の灯赤青おでん屋では灯は黄
なんだこれは!!なんか呪文のようですね、ホトトギスはこういう俳句すらを抱えているからすごい。
縁談にはたと夢あり蠅叩
蠅叩とり彼一打我一打 虚子
僕は晩年の虚子が一番愛した季語は蠅叩のような気がします、よーく見ると、おかしくって、ちょっと寂しい、物としては涼しい。
水澄んで鯉の行列見事派手
見事派手とぬけぬけと置けるところが見事派手。
目の前で蚊が過ぎ空を蜻蛉ゆく
ふぅ~ん、と見ている、ぬー、と過ごしつつ、やはり虚子の血でしょうか。
のばしたる手と呼鈴の爽かや
手も呼鈴も汚れがない。
紅梅や楽の音に色さまざまあり
さまざまあり、の字余りに思いの強さが出ている。
春光の半紙につぎつぎ字が生れ
文字が生き物のように生まれる。
文字は手を覚えてゐたり花の昼 鴇田智哉
香水瓶嗅いで眉寄せ売子可愛
売子可愛が、嘘じゃない、優しい視線が感じられます。
雪止んで狐は青い空が好き
絵本の中のキツネのようで可愛い、こういう俳句が作れる大人は素敵だと思いますね。
こういった可愛い俳句も良いし、または
女狐に賜はる位・扇かな 筑紫磐井
という方向もまた良い、俳句は楽しい。
手がいつも冷き顔の淋しさよ
良いですね、こういう美女が好きです、小雪のような、中谷美紀のような。
末枯に人ゐず狐狸もゐぬ感じ
寂しいだけじゃなく、さみしがりやな感じを匂わしているところが良いです。
夜明けゆく布団の上に団扇あり
気持ちよく安眠している様子が伝わります。
秋扇女の派手な身を守る
ぞつこんの忘れ扇や置き忘る 加藤郁乎
もかなり好きな俳句。
かの紅葉あなたの紅葉神の旅
下五、ここで神の旅と置くんだ、とびっくりしました、不思議な一句、頭を堅くしていたら絶対に作れない一句。
狐等に銀世界雪降りつづく
綺麗ですね、これも絵本の中のようで、ただただ綺麗、汚れのない句。
窓開けて銀世界……とは限らない 櫂未知子
こっちはリアルの世界、それでもどこか不思議な予感をさせる一句。
さまざまのことが現実春は行く
これは友次郎流の
春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
なのでしょうか、パチンコで負けたとかそんな事ではなく、一人異国でこう感じたんでしょう、負けないぞ、と。
犬ふぐりその他よきことあれとこれ
どれとどれ?とにかく楽し。
虫鳴きやむみな今までのことは嘘
虚子は才能がある人間に対してほんとにうまくその個性を伸ばすなぁと感心します。こういう人は絶対縛っては良くないんでしょうね。
チューリップ私が八十なんて嘘 木田千女
も大好き。
水ばかり見てゐてかなし鴨の声
これ僕が詠むとハローワークの帰りみたいで危険だなぁ、友次郎さんならヨーロッパであるから、それなりに素敵。
子の語る記憶の野火に恐い人
これはすごい句ですね、子供の記憶というものがとてもリアル。
時雨降るただいそがしくつまらなく
この前飲み屋にいつもいるお姉さんから、二十五までは色々あるけど、四十までは一瞬よ、と言われました。そんなー。
春愁や闘志を秘めるすべありし
すべありし、となっているのに、上五は春愁や、ですからね。
ひたと頬に手を触れて見つ水の秋
虚子の写真で印象に残るのは頬に手をあてている写真、手が、なんだかぬらりと綺麗。
白雲やせつせと大根洗ふなり
せつせ、が良いですね。
大根を水くしやくしやにして洗ふ 高浜虚子
もリアルで良い。
十六夜の何か淋しや埋立地
それは埋立地だから。
色それぞれやさしけれ末枯光る
こう感じとる事ができる事自体が優しいですね。繊細で綺麗な俳句。
初詣前に人無く石段が好き
子供みたいですね、なんだか風や空気まで清らかに感じられます。
絵双六子供の世界色と音
この子供特有の世界観をそのまま俳句に持ってこれたのが友次郎さんなのかもしれません。
一人唄ふ一つの歌の手鞠歌
手毬唄かなしきことをうつくしく 高浜虚子
両方かなしくて美しい。
日脚伸びつつ穏やかな日がつづき
いよいよ最後、穏やかな俳句で終わり良かったです。こんな晩年なら楽しく過ごせそうですね。
どうですか?友次郎さんの俳句をまとめて読んだのは初めての方もずいぶんいらっしゃるのではないでしょうか。僕は、綺麗で可愛くて、子供の魂のような汚れない俳句のように感じました。
僕は俳句は基本的にはうまくあるべきだと考えていますが(生っぽく見せるのも一つの技術だと思います)、友次郎さんの俳句の魅力を考えると、どうにもそれだけではない気がしてきます、俳句は様々な方向を秘めていて、まだまだ探れます、色々な方向の作家を読めば読むほど、新しい楽しみ方が見えてきます、詠む事も読む事も楽しい。そんなのは断じて勉強なんかじゃなく、楽しんでやるものです。
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2010-10-17
もつと、モジロウ 西村麒麟
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3 comments:
「もつと、モジロウ」楽しく読ませていただきました。ボヤキのあたりから、池内友次郎氏のただならぬ(?)感が伝わってきました。
「・・・大きな日大きな月や春の旅
こう思ったからこう詠む、これは出来そうでできない事と思います。そこには、きっと、努力とは別の才が左右するのかもしれません。・・・」
別の才とはある種の「感」のようなものでしょうか。こう思ったからこう詠むをもって読み手に「そうだよな。」と思わせるのも、ただならぬ友次郎氏の才なのでしょう。句を読んで、「手」という印象が残ったのは私だけでしょうか。
楽しい記事をありがとうございます。池内友次郎(いけのうち・ともじろう)と言えば、あの句じゃないですか。
初鏡眉目よく生れここちよし
※眉目に「みめ」とルビ
あはははは。
西村麒麟さま
本当に楽しい記事をありがとうございました。
爆笑して涙ちょちょぎれながら拝読しました。
良いですね。
池内友次郎。
おかげさまで一気にファンになりました。
麒麟さまの今後ご投稿の記事も楽しみにしております。
藤実拝
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