2010-10-31

詩歌梁山泊シンポジウムレポート(後編)野口る理

詩歌梁山泊「第1回シンポジウム宛名、機会詩、自然」レポート(後編)
かさなるスペクトル

野口る理


(承前)≫第1部レポート


■第2部「宛名、機会詩、自然~三詩型は何を共有できるのか」

パネリストは、歌人の藤原龍一郎氏、俳人の筑紫盤井氏、詩人の野村喜和夫氏。司会は高山れおな氏。1部が若手だったのに対し、2部は大御所揃いである。


宛名 ―誰へ書くか―

筑紫氏の発表である。死刑囚の書いた短歌と俳句が資料である。

参考 「詩歌梁山泊シンポジウムに出られなかった人のための偏私的報告
「宛名、機会詩、自然」を私はこう考える」・・・筑紫磐井(俳句樹3号)


死を目前にした、つまり辞世の言葉としての、俳句や短歌である。辞世として、現代詩が遺されることはほとんどない(野村「自分も死ぬ間際は定型詩を詠むだろう」)。それは、短歌や俳句を作るのは口辺であり、詩を作るのは手だから、死ぬ間際でも作ることができるのは音数律で出来る短歌や俳句なのだろうということに。しかし、同じ定型でも、辞世の短歌と俳句では内容も印象も当然ながらやはり違うのであった。

さて、さらに興味深かったものは、宮沢賢治の「手紙」の資料である。賢治が学生時代の友人に宛てた手紙に、筑紫氏が改行を加えたものだが、「詩」に見える。事前に筑紫氏が、この手紙はなぜ詩に見えるのかと野村氏に尋ねたところ、「宛名の問題だ」と答えたことから、今回のシンポジウムのテーマが決定したらしい。つまり、現代詩とは【二人称(あなたへ)】のものである、ということだ。

さらに、額田王の〈熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな〉という歌を例に挙げ、短歌は【一人称複数(我々)】である、という。複数を一人で引き受ける、という意識があるというのはとても興味深く、資料の死刑囚の歌も不思議と背景が見えてくる。

この、筑紫氏の発言に、藤原氏は異を唱え「それでも、短歌をやる人間は自分だけの個の思いというものを意識しているし、特に若い歌人は、自分は特殊だという思いが強いはずだ」という。

古くは「一人称複数」であった短歌が、現代では「一人称単数」のものへと変化してきているのだとすれば少し面白いが、自分は特殊だという思い自体は至極ありきたりで単純な発想であるし、また短歌もやはりどこか共感性を求めるものであり、【一人称複数】のものであるということに、私はとても納得した。

また、俳句については、尾崎放哉〈咳をしてもひとり〉や、虚子「句日記」を例に挙げ、【宛名のないもの(日記)】である、という。資料の死刑囚の俳句も、誰かに宛てるようなものではなく、つぶやきのような、自分の内側に補完できる材料を残したまま、心情を滴らせたようなものだと感じられる。

賢治の詩のような手紙について触れてきたが、改めて、これは詩ではなく、あくまで詩のような手紙なのである。そしてそもそも宮沢賢治の作品は「心象スケッチ」であり、詩ではないのだ。最近にぎやかな「俳句のようなもの論争」に絡め、「詩」と「詩のようなもの」というところまで議論が及ぶか、というところで時間切れになった。


機会 ―つまり、時事詠―

こちらは藤原氏の担当である。資料には、平成になってからの時事短歌33首が用意された。

ゲーテの「私の詩はすべて機会詩であり、現実から暗示を受け、現実を基礎としている」という言葉を踏まえ、現代の機会詩を「事件と出合った自分がいかにそれを短歌に昇華して、時代の真実を表現できるか」と定義づけ、「速さ(即時性)・鋭さ(批評性)・広さ(共感性)」という要素が大切である、という。

藤原氏が33首の鑑賞を始めたところ、高山氏が「それは秀歌としてお持ちになられたのですか?」と発言。機会詩に積極的な短歌の風潮を高山氏は、「羨ましくも疑わしい」とし、時事を詠もうとする貪欲さは伝わるが「歌の良し悪しでいうと決して良くない」と言う。

野村氏は上記の3要素(速さ・鋭さ・広さ)に触れ、3つを満たそうというのはいささか欲張りではないかと、機会詩の難しさを指摘し「表現を失ってしまう沈黙状態をくぐってきた言葉の力というものを信じたい」と主張した。

その一方、野村氏は、1部でも話題になった中尾作品にも触れ、現代詩の世界もだんだん即時的になってきたようにも思う、とも述べた。

時事問題を取り扱う新聞上に投稿欄があるという点で同じである俳句はどうなのかと振られた筑紫氏は、朝日俳壇で中村草田男が選んだ〈十代の愛国とは何銀杏散る〉という句を例に挙げる。

この句は、昭和36年の浅沼稲次郎刺殺事件の犯人が学生服の少年であったことが背景にあり、全くの無名俳人の句だが草田男が選んだことによって話題になった。

草田男はこの句の選評の際、時間が経つにつれ簡明さが薄れるものだ、ということを注意深くも述べたそうだが、その意に反して、今もなおこうして残っている句である。しかし、やはり機会詠というものは選ばれにくいようで(当時の朝日俳壇でも機会詠を選んだのはほとんど草田男だけであったようだ)、俳句の主流にはなっていない現状がある。

このように俳句や現代詩は、機会詩について消極的である。野村氏の3要素を満たす難しさについての意見、筑紫氏の機会詩を作っても選ばれにくいという意見を踏まえた上で、なぜ機会詩を作らないか、というと「読者の側に消極的なムードがあるからではないか」と、筑紫氏が発言したのが興味深かった。宛名の問題とも関わるかもしれないが、やはり読者あっての創作なのだ。
それは、作者でもあり読者でもある(他者の作品を読むことも無論含むが、自分が作ったものを最初に読む「自分」という読者)私たちそれぞれが、何を詠みたいかということ以前に、何を読みたいかということを意識して作っているということが、根底にあるからなのかもしれない。


自然 ―そもそも自然とはなにか―

野村氏の担当。野村氏は「俳句には季語があるとしても、現代短歌には自然がない、とし、対する現代詩には広い意味で自然がある」と主張する。

宮沢賢治や萩原朔太郎の短歌と詩を例に挙げ「彼らの短歌は、日本人の歴史的な自然に絡めとられとても窮屈そうであるが、詩においては、流動的で生気を帯び生き生きしている」という。「詩人というのは、韻律に乗れない劣等生でありいじめられっこであったが、現代詩というものを手にし、おそろしいまでの自然エロスを持ち自然を奪い取ることができたのだ」と野村氏は言う。

たしかに、賢治や朔太郎の自由でのびやかでいて濃厚な詩は、短歌や俳句では表れ出なかったものであろう。しかし、詩人は劣等生でいじめられっこである、という言い方はいささか大げさであり(もちろんわざと大げさに言っているのであるにしても)、人それぞれ向き不向きがある、というだけのことなのではないかと私は感じた。後述するように、詩人は、詩を書くのが苦しいという意識が、定型詩の人よりも強いのかもしれない

短歌には自然がない、と言われたことに対して、藤原氏はその通りであるとし「自然は私の作歌のテーマではない」と断言した。

また、俳句には季語がある、と言われたことに対して、筑紫氏は、自分は多くの俳人とは違う意見であろうと前置きしながらも「俳人の自然は、詩人・歌人の自然と違い、自然ではないのだ」と発言した。

歳時記は季節のindex(索引)であってencyclopedia(百科全書)ではないと指摘し、ある時期まで星の季語がとても少なかったことにも触れ、俳人の自然とはとても偏ったおかしなものであるとした。

題詠に使うための「季語」が、詩人のいう自然と同じものであるとは考えにくい。もちろん、自然があるから、良い悪い、ということではないにせよ、自然があるつもりになっているのは、あまり良いことではないだろう。「季語」について語られることは多いが、「自然」についてももう少し考えなくてはならないのかもしれない。


一通り終わり、会場からの質問を受ける時間となった。そこで出た質問は詩人からのもので、60年代の詩論に触れ、詩を書くのが苦しい、もっと楽しく書きたい、というものだった。これを受けて高山氏が「短歌も俳句も楽しいことばかりではないです」と締めくくったときにはじめて、3詩型が結ばれたように思った。



詩歌梁山泊「第1回シンポジウム宛名、機会詩、自然」

  主催 詩歌梁山泊〜三詩型交流企画
  後援 邑書林・思潮社・本阿弥書店・角川学芸出版
  日時 2010年10月16日(土)
  場所 日本出版クラブ会館 鳳凰 
  ≫詩歌梁山泊公式ブログ 

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