【週俳10月の俳句を読む】
小川楓子
晩御飯は麻婆茄子
みな口を開け石板に踊るひと 村田篠
石板にチョークで、歌いながら踊っている人々が描かれているのだろうか。人々の姿はあたかも石板に封じ込まれたようで、古代の壁画を思わせる。季語の替わりに挿入された石板により、木の文化に対する石の文化を思う。歌声は聞こえず、ただみな口を開けて踊っている。もし、歌うという行動を知らない宇宙人が見たならば、口を開けて動いているとだけ感じるだろうか。そこには発見があり、どことなくユーモラスな印象である。
要塞や海に出口の無く昼夜 村越敦
先日、歌人と話しているときに「俳句は、発見を切れ味鋭く巧く書けることが羨ましい」と言われた。短歌に関してもそのような歌がありそうな気もするのだが、確かに俳句に関してはそのような句に感慨を受けることがよくある。掲出句もそのタイプの発見の句だと思う。海に出口が無いという発見を、要塞と昼夜という熟語の間に挟み込むことによって出口が無いことを字面でも表現していて巧みである。
月天心ひとは電車に走り込む 清水哲男
電車に走り込む人を目撃した句であるだけではなく、「ひとは」という表現により人とは電車に走り込むものである、と習性として読めるところが面白い。月天心の季語も、そんな人間の習性を表すのにふさわしい。月光では、この味わいを出すことはできないだろう。
星月夜A4に地図刷られゆく 石井浩美
このA4に刷られてゆく地図は、はっとするほど美しい。星月夜の澄んだ空気にインクのにおいが立ち上ってくるかのようだ。(今の機械ではにおいはしないかもしれないが)刷られてゆく時間を心ゆくまで楽しんでいる雰囲気が、読者にも心地よい。星月夜によって、鳥瞰図のような視点が導かれ、A4サイズがどこまでも雄大である。
茄子ありがとうございます 鰯 くんじろう
秋茄子に不穏の色のそこかしこ 杉山久子
両句とも茄子に対する複雑な心境が表されている。茄子を彩る紫という色から導かれる心境なのだろうか。紫とは、人間の目で見える波長のうち最小波長だそうである。紫以降は人間には見ることができない。視覚の最終地点に隣り合う紫は、王が纏った色であるがその一方で、不吉な色とされた例もあるという。そんな摩訶不思議な紫の雰囲気を醸し出す茄子は、二つに切るとあっけないほど白く、その呪縛がまな板の上で解けてしまう。こんな茄子への愛惜を感じる二句である。晩御飯は、麻婆茄子にしようか。
■村田 篠 棘 メキシコ雑詠 10句 ≫読む
■村越 敦 ムーミンは 北欧雑詠 10句 ≫読む
■清水哲男 引 退 10句 ≫読む
■石井浩美 ポスター 10句 ≫読む
■くんじろう ちょいとそこまで 10句 ≫読む
■杉山久子 露の玉 10句 ≫読む
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2010-11-07
【週俳10月の俳句を読む】小川楓子 晩御飯は麻婆茄子
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