2010-12-05

〔週俳11月の俳句を読む〕杉原祐之 当たり前を当たり前のように詠む

〔週俳11月の俳句を読む〕
杉原祐之
当たり前を当たり前のように詠む


11月の週刊俳句寄稿の作品群を拝見。

総論として、積極的かつ攻撃的な俳句が多く面白かった。

一方鑑賞を書くとなると、事柄の面白さに走り、写生・描写が不十分な句が多いとも感じた。そのような句の謎めいた感じが好きな方もいると思うが、私は、一読意味がすっと通った上で、二度目読み返すときに「仕掛け」に気づかされる句に感銘を受ける。
「当たり前のことを当たり前のように詠む」句がもう少し多くても良いと思った。

 上記のような背景を基に11月の掲載作品の中から、印をつけた句を紹介したい。「詩情を理解しない奴め」と感じる方もいると思う、反論/補足をお待ちする。



「昼の鞄」  彌榮浩樹

鶏頭や目玉飛び出すほど笑ふ

→季題は「鶏頭」。鶏頭の咲き様を色々な角度から写生、分析していくと、「大きく笑つている」と見えたと言うこと。写生でありながら、シニカルな皮肉が篭められており面白い。
「鶏頭の真つ赤の中の種子見ゆる 岸本尚毅」とも通ずる季題「鶏頭」と作者の交感が伝わる。

「昼の鞄」の句は、季題「桔梗」の姿から「昼の鞄をひつぱりあふ」景への連想が出来なかった。



「ゲバラの忌」   武藤紀子

 山頭火忌
秋風の音のしてゐるつむりかな

→季題は「秋風」。山頭火の忌日は昭和十五年十月十一日。下五の「つむり」に何とも風情がある。漂泊の俳人・種田山頭火への手向けの一句として上等な仕上りである。

ところで、十一月分の鑑賞を書いていて中七の「ゐる」で緩み、下五の軽い「かな」で切れるリズムに自分が弱いことに気がついた。

明るうて泣きたくなりぬ十三夜

→季題は「十三夜」。この句には「名月」と異なる「十三夜」の説得力がある。名月より一ヶ月遅れのつのる冷込み、満月ではない一部欠けた月。それらから作者の身に起きた一ヶ月間の心境の変化など連想が広がっている。

「ゲバラの忌」の句は、邯鄲の声と、チェ・ゲバラの関係が分りにくかった。フィデロ・カストロではない点は理解できたが。



「鎌 鼬」  柘植史子

おほげさな風の来てゐる萩の庭

→季題は「萩」。萩の音や揺れる様子からどんな風だろうと思うと微風だった、と言う一句だが、萩の庭の広さが見え萩の大きさが見え、ゆったりと眺めている作者が見える。
大らかな一句のリズムが萩の揺れる様子と綺麗に響きあっている。

「鎌鼬」の句は難解だった。「鎌鼬」の季題が醸し出すイメージと、「口中の塩味」の関係が分らなかった。


「父の頭」  清水良郎

前掛に拭へる瓶や今年酒

→季題は「今年酒」。酒屋の様子。一本一本を丁寧に取扱ふ様子が良く分る。瓶詰めされた「今年酒」は、見る様で余り見ないので、酒蔵が特別に見学客向けに売り出しているようなものかもしれない。
何れにせよ的確な場面の切取、俳句らしい俳句。

日向ぼこの父の頭のかたちかな

→季題は「日向ぼこり」。日向ぼこをしている父の頭の形を改めてまじまじと見た。作者の位置関係、人間関係が一読明らかにされる。安心して読める一句。

「外套の」は中七「街のにほひ」が、上手い様でいて曖昧な表現。もつと具象的なもので表した方が成功するのではないか。



「赤丸」 近恵

鳥瞰図につける赤丸冬が来る

→季題は「冬が来る」。「鳥瞰図に」から、毎年ある地点に飛来してくる渡り鳥を連想した。作者がたまたま赤丸をつけた地点が、印旛沼や出水のような渡り鳥の名所だった。その赤丸をしみじみ眺め、冬の到来を感じた。
これからやって来る「冬」に対し作者が持つ畏敬の念がこの句から伝わってきた。

「犀ほどの」の句は、言葉遊びに流れてしまった感じがした。「沈黙」と「灯下親し」に親和性があるので、「犀ほどの」の例えがあまり効いてないように思う。



「五十音図(抄)」 久留島元

多行俳句自体はしばしば試まれているが、そこに「あいうえお作文」の要素も被せてきた試みは興味深い。
多行俳句は「切れ」「間」を強制的に形式として提示されてしまう為、読者側に残された「余韻」が少なくなってしまう。その点で言えば多行俳句は損をしている。


駅の裏
狗尾草へ
円盤来

→季題は「ゑのころ草」。如何にも新興開発されつつある駅の様子。駅裏の空地の「ゑのころ草」にフォーカスし、そこからUFOへの飛躍が面白い。「ゑのころ草」の震えている様子がUFOを呼んでいるかのように思えた。


なみなみと
なンとみごとな
なめこじる

→季題は「なめこ汁」。汁の中で「なめこ」が躍っているように見える。この汁を「ずずず」と吸っていく美味しそうな一句。この句の場合は「多行書き」により一句のとぼけた感を醸し出すことに成功してる。



「冬の一日」 山口優夢

 角川俳句賞を受賞後、第一作の発表とのこと。らしい知的な構成の俳句が並んだ。

ずしりとゼクシィ買ひてをんなは木枯へ

→季題は「木枯」。「ゼクシィ」と言うと、見事なまでの厚さと重さ(因みに我が家は「ゼクシィ」買わなかった)。
「ゼクシィ」を買う女性の境遇は自ずと分る。その女性が重い重い「ゼクシィ」を提げ、(本屋の袋ではなく、専用の袋かもしれない)木枯が吹くの外界へ出て行く、コートの襟を立てたりしながら。
この季節に「ゼクシィ」を買うということは、結婚式は来年の5月6月辺りに予定しているのだろうか。
季題「木枯」から辛い結婚と感じるよりは、幸せを掴みかかっている女性の様子を淡々と描写と捉えたい。季題「木枯」による舞台設定が非常に効果的な一句。

万引きの少女は泣かずかじかめる

→季題は「悴む」。面白い、この句にはこの少女に対する冷たい視線と哀れみが混じりあっている。ぶっきらぼうな表現の句の方が往々として、情の深い句になる典型であろう。

「絵本」の句は、客体である「絵本」「子」「親子」に対して、興味本位の視点しか感じられず賛成できなかった。



「秋 九十九句」 寺澤一雄

冷凍枝豆解凍に失敗す

→俳諧味のある句。「冷凍枝豆」とズバッと表現したのが良い。ふにゃふにゃな緑の物体が残ってしまった。残念感や徒労感が伝わってくる。

葛の花亀甲縛り食込める

→季題「葛の花」を写生した結果、そういう風にも見えたと言うこと。葛の花の凹凸を「亀甲縛り」と言い切った点、賛同できる。

島一つ泥に塗れる秋出水

→季題「秋出水」。小さな山しかない、保水能力の小さな島。台風で一気に島に満遍なく水が溢れてしまった。
やや大げさな中七で、島の被害の様子が目に浮かぶようになった。



「泊まつてけ」 山口都茂女

枯木には雪が咲くから泊まつてけ

→季題は「枯木」。意味深い一句。地域に根ざした俳句と言えようか。「枯木に雪が咲く」と言う民謡のような節から、下五の「泊まつてけ」とぶっきら棒な言いっぷりで〆られる展開が、一句のリズムをなし成功している。

「小海線」の句は、「菜を間引く顔のほとり」がやや乱暴な表現かと思った。面白い様で、良く分からない。描写をしきれていないのではないか。



投句作品から一人一句ずつ紹介する。

久乃代糸 「肌ざわり」
なおも霧相求めつつ濃くなりぬ

富沢巧巳 「魚の粗をしゃぶる会が詠む」
ぽつねんとみつけたヘチマいとをかし

高橋透水 「ぶらり・酉の市」
簪にしたき小さな熊手買ふ

矢野風狂子 「兎は逃げた」

どんど


大猪

断末魔

俳句飯  「つくりばな」
鍋焼きの北半球の禿げ頭


彌榮浩樹 昼の鞄 10句  ≫読む
武藤紀子 ゲバラの忌 10句  ≫読む
柘植史子 鎌 鼬 10句  ≫読む
清水良郎 父の頭 10句  ≫読む
近 恵 赤丸 10句  ≫読む
久留島元 五十音図(抄) 10句  ≫読む
山口優夢 冬の一日 10句  ≫読む
寺澤一雄 秋 九十九句  ≫読む
山口都茂女 泊まつてけ 10句  ≫読む
〔投句作品〕
久乃代糸 肌ざわり ≫読む
富沢巧巳 魚の粗をしゃぶる会が詠む ≫読む
高橋透水 ぶらり・酉の市 ≫読む
矢野風狂子 兎は逃げた ≫読む
俳句飯  つくりばな ≫読む

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