2011-02-06

林田紀音夫全句集拾読152 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
152




野口 裕



物怪のにわかに夜の滑走路

昭和五十年、未発表句。空港の夜景、文明の極限形態が古代の神秘感覚を甦らせる。現代の真っ直中でことあるごとに甦る古代感覚は、紀音夫の愛玩物に屈葬や風葬などがあるように、第二句集以降に目指すべき地点ではあっただろう。しかし、紀音夫が常に言及する、直前の過去にあった戦争体験、中世につながる仏教習俗は、目指すべき地点を閉ざす霧のようにも作用する。したがって、このような句はごく少数にとどまる。直接、発表句へ発展したものは見当たらない。

 

雨だれの歳月を経て絵馬びっしり

昭和五十年、未発表句。「経て」という書き言葉のような表現から、「びっしり」という話し言葉的な表現への落差が面白い。紀音夫の仏教習俗に取材した句は、抹香くさいところがどうしても目立つが、これはそれを免れている。

 

欄干に星濃く磨崖佛の暗

昭和五十年、未発表句。どこかの観光地だろうか、すでに夜遅く目当ての磨涯佛は闇に閉ざされて見えない、というのが表面上の句意。だが、「暗」の名詞止めが、ひょっとすると磨涯佛に実体はなく、脳裏の存在ではないかと思わせる効果を持つ。この句の後に、

 幼年の川を距てて磨涯佛

 石佛を路傍の月日歯朶はびこり

 石佛の片雨流れ月に濡れ

などが置かれている。どの句も回想のおもむきを持つ。

 

尾燈はるか氷のようにレールのび

昭和五十年、未発表句。紀音夫には、「ように」を使用した作句例が非常に少ない。というか、すぐには使用した例が思い浮かばない。未発表に終わったのは、外界の表現が即内界の表現につながる紀音夫の世界とは遠い、と判断したのだろう。だが、珍しいだけでなく、斬新な表現として成功している。

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