2011-02-20

第20号~第29号より 小川楓子さんのオススメ記事

第20号~第29号より
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俳句と詩の会 「高浜虚子を読む」 →読む  第24号 2007年10月7日

虚子初心者のわたしにも、おそらくベテランの方にも興味深い特集がある。詩人と俳人による、相互研究企画「高浜虚子を読む」である。参加メンバーは、あらかじめ、上田信治氏選による虚子300+α句から、各自20句(特撰1句)を選び、それを元に、句会形式でディスカッションを行なっている。ディスカッション終了後、上田氏によるスピーチ(「二階に上がるということ」)、さらに質疑応答という構成。当日参加メンバーは、詩人から、杉本徹 手塚敦史 佐原怜 佐藤雄一 白鳥央堂 三木昌子、俳人から、村上鞘彦 高柳克弘 神野紗希 上田信治(敬省略)である。

ディスカッションにおける、興味深いくだりを少し紹介したい。

蝶々のもの食ふ音の静かさよ 高浜虚子

白鳥「たとえばキッチンがすごく静かな時、鍋が静かかというと、静かな鍋というふうには思わない。ほんとうに静かな景色の中には、静かなものはない。静かな景色っていうものがあって、それを感じてそれを書く、そのとき、〈もの食ふ音〉が〈静かさ〉の発信源というように感じられたんじゃないか。〈静かさ〉が、そこに集約されて、全体にひろがっていく。逆に〈蝶々〉が〈もの喰ふ〉ときは、世界が静かになるんだというように。時間性がないというより、時間をとめてしまうような魅力がある」
高柳「蝶は蜜を吸うわけですが、それを〈食ふ〉と言ってしまうところに、虚子の大きさがある。小さな、せせこましいものを、大きく表わしてしまう豊かさ」
白鳥は、「静か」な状態とは何かと考えた上で句を俯瞰する。俳句を読むにあたっても世界とはなにか、が発想の出発点にあるようだ。一方、高柳は、「食ふ」という動きに注目し、虚子らしさについて言及する。より物に即して考えてゆく姿勢がこの短い発言からもうかがえる。詩人と俳人の言葉が、重層的にわたしたち読者の読みを広げてゆく。このように随所に興味深い発言が続く特集である。

ところで、もし筆者が300+α句から特選を選べるとしたならば、どうしても頭を離れないこの一句にしたい。

我が庭や冬日健康冬木健康  高浜虚子




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