2011-04-24

奇人怪人俳人(2) 不死身のダイ・ハード俳人・野宮猛夫 ……今井 聖

奇人怪人俳人(二)
不死身のダイ・ハード俳人
野宮猛夫

今井 聖


「街 no.80 」(2009.12)より転載




 花火に奇声銭無き家を飛び出でて 野宮猛夫
 
「ヒョッホー!オラー!」

花火に興奮して奇声を上げ、ちびた下駄をひっかけて家を飛び出てしまう男は、野宮猛夫(のみやたけお)だ。

この句を始めて目にしたとき、僕は卒倒しそうになった。この句にこめられたエネルギーはどうだ。

貧しさと明るさと、その中での生活の躍動。

ここにあるのはみんなが貧しかった時代への郷愁だろうか。違うな。こんな「現実」は今だって生きている。この主人公を演じるのは三船敏郎なんかが良いが、キムタクだってオダギリだって充分いける。つまり現代にも生きる作品だということ。

労働賛歌か。違うな。そんな「正義」はどこにも書いてない。「銭無き家」は暗い貧しさを主張しない。「蟹工船」とは違うぞ。「降り積む雪赤き思想を覆いきれず」の橋本夢道や「天窓から明けてくる歯車が歯車とうごく」の栗林一石路でもない。

ここにあるのは裸の「男」すなわち「人間」。

原初の五感が直接訴えかける男のエロス。

花火の句といえば、大野林火の「眠りても旅の花火の胸にひらく」や西東三鬼の「暗く暑く大群衆と花火待つ」が僕にはまず浮かんだ。この句を見るまでは。

この句を見てしまうと林火の句の端然とした美意識がやはり従来の俳句的情緒に見える。「旅」だし「胸にひらく」だし。シナリオで言えば文部省推薦映画の類型的な感動シーン。

三鬼の句は混沌とした群集のエネルギーが感じられ、その中に「存在する私」という意識も明解だが、それでも野宮作品のバーバリズムには勝てない。三鬼のダンディズムとインテリ臭がどこかでナマの実感を駆逐するのだ。

リアルを押し上げる根底にバーバリズムがある作品、これは機甲師団のように無敵だ。



わが敬愛する俳人野宮猛夫さんの魅力を書くに当たって、古澤太穂との関わりから始めよう。

九年前に亡くなられた俳誌「道標」主宰古澤太穂は、古くからの日本共産党党員で横浜文化賞受賞者。東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語学科卒業の典型的な知的左翼の文化人であった。


喧伝されている太穂の代表句はまずこの二句。「白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ」と「子も手うつ冬夜北国の魚とる唄」。

最初の句は氏の政治活動の一環で、米軍による内灘試射場建設反対運動の状況を描いたもの。次の句は野宮さんの唄う「ソーラン節」に触発されての作品である。

太穂は酒豪。句会のあとではかならず飲む。地域の小句会では句会中からコップ酒を傍らに置くことも少なくなかった。

野宮さんは、昭和20年代半ばに土岐錬太郎主宰の「アカシア」で俳句を始め、その後「青玄」で日野草城に師事する。草城の死後昭和30年代から「道標」に参加。太穂は野宮さんを「道標」の幹部として迎え入れいつも側に置いた。酒席で酒が回ると野宮さんによくソーラン節を唄ってくれるよう懇願した。

戦前、鰊漁の漁師、ヤン衆だった野宮さんのソーラン節は世間に知られているソーラン節と違って勇壮で荒々しい現場の唄である。

鰊漁場の行き帰りや漁の最中などには、その折それぞれに唄われた唄がある。

漁場の往復に唄う「船漕ぎ音頭」。漁の最中に唄う気合の入った「網起し音頭」。陸揚げするために大きなタモで鰊を汲み上げるとき唄う「沖揚げ音頭」。陸揚げ後の枠網に挟まった鰊を竹の棒で叩き落とす「子たたき音頭」。

従来のソーラン節はこの中の「沖揚げ音頭」がもとになっている。

太穂が感動して何度も催促したのはおそらく「網起し音頭」だろう。どこか哀愁の混じるソーラン節と違ってヤン衆の殺気がみなぎるような音頭に違いない。僕も聴いてみたいと思っているのだが機会がない。「子も手打つ冬夜北国の魚獲る唄」、太穂の代表句は野宮さんの唄う正調ソーラン節から生まれたのである。



野宮さんは大正12年北海道石狩湾岸の浜益村に八人兄姉の末っ子として生まれる。

幼い頃から湾に寄せてくる昆布を担いで陸揚げする「昆布曳き」を手伝い、尋常高等小学校を卒業したその日から村の鰊番屋に住み込む。1937年(昭和12年)ちょうど日支事変の始まった年である。過酷な肉体労働の連続。


やがて応召した野宮さんは戦後はヤン衆に戻り、京都に旅行したときに泊った旅館の娘の節子さんと1947年に結婚する。

この結婚は節子さんの方が一目惚れ、実家の猛反対の中、北海道に帰った野宮さんを追って夫の実家に押しかけた。ふつうの恋愛でさえ好奇の目で見られた時代、こんなドラマチックな結婚は極めて珍しいことだっただろう。

しかし苦しい生活は続く。鰊漁はやがて鰊の激減から漁場を失い野宮さんも転職を余儀なくされる。


それ以降、油化工場の工員、農家の手伝い、樹木の伐採、製鉄所などの季節的な労務に従事して苦難の時期が続くが、一九五一年に北海道炭鉱汽船(北炭)の赤間炭鉱の採炭夫として採用されようやく安定した職を得るのである。

猛夫俳句が花開くのはこの時期。

1959年刊の第一句集『地吹雪』は歴史的な意義を持つと言ってもいい句集である。

 誰も病まずすっからぴんの冬おわる
 家にもっとも近き麦刈る妻病む日
 帽灯圏汗してみんな狐いろ
 股つん抜けるドリルの排気樹氷咲くや
 メーデー魚菜部蝦跳ね嬰児泣きじゃくる


これらの句のリアリティは当時流行の「社会性」とは似て非なるもの。森澄雄の「外套どこか煉炭にほひ風邪ならむ」、澤木欣一の「塩田に百日筋目つけとほし」、田川飛旅子の「電話機へ大いに笑い雪の職場」などと比較すると、野宮さんの俳句の「リアル」が、意図された思想への誘導や類型化されたヒューマニズムと無縁のところでいかに発揮されているかがわかる。

また先述した太穂の階級闘争の一環としての「文学」とは明らかに異なる。

すっからぴんの冬は、権力への反抗や怨嗟として書き記されず、「誰も病まず」という肉体依存にアイロニカルにとどまる。つまりあくまでも働く主体としての切実な「今」を示すのみである。そこが実はもっとも大切な示唆。


妻が病む日にも働かねばならない労働者の実態を詠うという方向とは野宮俳句は筋が違う。「働かねばならない」がテーマではなく、「家にもっとも近き」が眼目。つまり思想ではないリアルそのもの。

坑内の帽灯に照らされた汗の色のリアル。この「狐色」は見てきたような嘘では絶対に詠えない。

股つん抜けるドリルの排気からは、具体的なドリルの形状は不明だが、その分、「股つん抜ける」のリアルさが言葉が足りないもどかしさの中で伝わってくる。

俳句で不足のない描写をしようとすると素材も内容もまず詩形の容量に適合するものを選択しがちである。

実はそれは本末転倒で、どうしても詠まなければならないものがあって、それをこの短い詩形に押し込もうとする、その順序が大切であるということをこういう句が教えてくれる。

最後の句は躍動する労働者の祭典でもあるメーデーの庶民のエネルギーが溢れる句である。

そういうリアルな秀句を挙げるときりがないほど。

 一裸燈家じゆうに染み雪降り積む
 田に夕霧馬をののしる顔細し
 草を刈る子を産みそこねたる豚に
 赤ん坊を稲架のてっぺんからあやす
 昨夜夢で逝かしめし妻火吹きおり
 冬山のひとところ堀り脱糞す
 卵落した妻み睨れば妻われを視る
 吃り坑夫に樹氷の素敵さ言いようなし
 流氷燦々ぼろより嬰児とりいだす
 落磐死のがれ酒買う街薄暑
 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る
 奴に逢いたし月に犇めく霜の屋根


また次の句の擬音語にも注目して欲しい。

 老いて坑木削る帽灯てっくんてっくん
 坑底枯野めきポンプすっとんギーすっとんギー


あらかじめ一般性や共感を得ることを目的としての表現態度とははっきり異なり、そのときその瞬間に自分にはそう見え、そう聞えたという一回性の把握が中心になっている。

『地吹雪』の「序」は赤城さかえ。

労働者俳句における炭労俳句の現在は全鉱、製鋼などと並んで中心的位置にあるし、猛夫はその炭労俳句のホープの独りである」と書き出し、「漁夫―杣夫―工員―農夫、めまぐるしいほどの職業の変転を経て、最後に炭鉱労働者として定着し、優秀な坑内夫として働きながら、たえず自分等を労働者の組織の中で前進させつつある」と展開する。

さらに「(猛夫の作品には)より社会的な、より階級的な実践的意志と結びついた意欲性が働いて居るものが多いのであるが、そういう知性的な志向が肉体的な気魄や体臭と絡み合って具現するときに佳い作品として結実しているのである」と結ぶ。

僕の猛夫俳句の評価はまったく赤城とは異なる。

労働者俳句、炭労俳句、なんて不純な分類だろう。労働者の組織化が第一命題の党派の教条主義者だからこその仕分けである。階級闘争に勝利するために、すなわち「よりよき社会をつくるために」野宮猛夫は俳句を作っているわけではない。逆である。

「より社会的な、より階級的な実践意識」こそが創作の敵。


赤城のような優先順位では、大衆啓蒙の明白な意図をテーマとして持った画一的な像しかそこに生み出しえないのだ。

赤城は猛夫作品の

 綺羅なる霧氷デモの鉢巻妻より受く
 明るさ沖に残し灼けいろの旗たたむ


などを発展的な句とし、既述の「誰も病まず」や「てっくんてっくん」の句を独りよがりの粗雑な作品として挙げている。これも僕とはまったく逆の評価である。

今の「私」に見える風景、聞える音そのものをそのまま表出しようといする「てっくんてっくん」や「すっとんギーすっとんギー」にこそ猛夫俳句の意義は存するのではないか。

赤城や澄雄や欣一や飛旅子はみな帝大出。澄雄と飛旅子と欣一は旅の車窓や管理職の部屋から見た、絵に描いた餅のような「労働」を流行の「社会性俳句」として齧ったあと、澄雄は「日本的抒情」へ、飛旅子は「即物ウイット」へ、欣一は「花鳥諷詠」へ、予定調和のごとく転換してゆく。

赤城や太穂は党派の確信的細胞として生涯「階級闘争」に邁進して果てるのである。

1956年9月号の「寒雷」、加藤楸邨選の一般投句欄「寒雷集」に野宮作品は初投句で巻頭となる。初投句で巻頭は「寒雷」の歴史始まって以来のことであった。その四句。

 蛙けろけろほら吹き坑夫三太の忌
 眉に闘志おおと五月の橋を来る
 声かけて送る夜霧の終炭車
 帽灯を外すと羽抜鳥めくよ


先日何かのパーティで同席した、NHK学園の専任講師で俳誌「鷹」の同人小浜杜子男さんは「僕も昔「寒雷」に投句をしたことがあります、その当時感動した句です」と言って五十年以上前のこの四句をすらすらと暗誦した。「寒雷」投句者にとって野宮猛夫の出現がいかに華やかでショッキングなものだったかが思われるのである。

会員だけではない。楸邨自身も当時の句を採録した句集『まぼろしの鹿』の中で、野宮さんの巻頭句が出たあとに

 天の川法螺吹き男ふとなつかし  楸邨

を発表している。楸邨は比較的自分の用いる語彙や季語の傾向が決まっていて、それを基点に何度も試行を繰り返すタイプなのだが、「ほら吹き」という語彙はこのときいわば唐突に初めて登場する。野宮作品の影響大と僕は推測する。



野宮さんの炭鉱での生活は二間つづきの長屋暮らし。「常三番方(つねさんばんかた)」と呼ばれる深夜入坑で朝七時に戻る生活である。

帰宅した野宮さんは朝風呂を浴び節子夫人が用意した焼酎を飲み朝食をとる。そのあとカーテンを閉めて日を遮り電蓄でラテン音楽を聴いてくつろいだあと眠りにつく。

午後四時に起きて、学校から戻ってくる一人息子の滋君を交えて一家団欒のときを過ごすと、夜十時頃から入坑の準備にとりかかる。野宮さんの人生で一番充実した時期であった。しかし、こんな幸せも長くはつづかない。
 

1957年に炭壁崩落事故が起き、入坑中だった野宮さんは背骨、腰骨、左肩骨を骨折。九死に一生を得るが一年半の療養生活を余儀なくされる。

野宮さんは1957年にも巻頭を獲ったあと、「寒雷」から姿を消す。生活急変の影響だろう。

一年半ぶりの職場復帰後も体の変調は続き、ついにヤマを去る日がくる。

 雪の橋をヤマ去る一張羅の家族

一張羅がなんとも切ない。


野宮さんはその後神奈川県川崎市に移ってダンプカーの運転手になる。ここでも優良運転手の表彰を受けている。


尋常高等小学校在学中から働きづめの生活。


昆布曳きの手伝いから始まり、鰊漁の漁師(ヤン衆)―農夫―仙夫―工員―抗夫―トラック運転手。


鰊漁が廃れて海を追われようと、落磐事故で体中を骨折しようと野宮さんは「ダイ・ハード」のブルース・ウィリスのように立ち上がり新しい人生を切り拓いて秀句を生み出してきた。

野宮さんは今川崎にある老人ホーム「恵楽園」で暮らしている。

近作に、


 アッツの照二仔猫をまこと怖がりし
 くつなわ首に捲く照三も野に逝けり


アッツ島は、第二次大戦中昭和17年に日本軍が進駐し、翌年、アメリカ軍が上陸、熾烈な戦闘の末に日本軍が全滅した激戦の島である。

もともと北海道の連隊が守備をしていた。野宮さんがその隊に居れば戦死されていたであろうから、照二も照三も野宮さんの知己ということになろう。照二と照三は兄弟かも知れぬ。もちろんこの二句にはなんの前書きもない。


作者は、照二が仔猫を怖がるところに意外性を感じているのだから、照二は見るからに強兵で荒くれ男に違いない。その荒くれが仔猫を怖がるおかしさ。全滅の島にいたその男の存在感と哀しさ。

照三はひょうきんで人を驚かすタイプの男である。蛇を首に捲いてなんとも得意気な風情。くつなわはくちわな(蛇)のこと。方言そのままの口調がリアルである。

この「事実」が本当の真実であるかどうか、そんなことはどうでもいい。言葉で書かれた「真実」と実際の事実は同じである必要はないし、事実の方がリアルを演出できるとは限らない。そんなことは百も承知だ。


ならば、言葉を駆使して想像でこんなリアルを作ってごらん。俳句は切り口の文学だ。その切り口が思想の開陳であろうと、そのときの「気分」であろうとなんであろうとかまわないが、読者としては作者の切実な「今」を感じたい。野宮猛夫のリアルは今も健在である。

繰り返しになるが猛夫俳句を職場俳句とか、社会性俳句とか、炭鉱俳句とかの括りで言うのは正しい評価ではないと僕は思う。見えるもの、聴こえる音、触れた感覚、そして内部から自分を突き動かす衝動。それらを言葉にするエネルギーが猛夫俳句の示すところ。「肉体」と「言葉」が高い純度で調和した俳句史上でも稀有の例であると言えよう。

(了)


    
野宮猛夫三〇句今井 聖撰)
               
 落盤死のがれ酒買う街薄暑
 奴に逢いたし月に犇めく霜の屋根
 隙間貼るラジオは鈴木茂三郎
 寒夜切羽に尻を突っ張る「生き残り」
 雪の橋をヤマ去る一張羅の家族
 一裸燈家じゆうに染み雪降り積む
 田に夕霧馬をののしる顔細し
 家にもつとも近き麦刈る妻病む日
 赤ん坊を稲架のてっぺんからあやす
 昨夜夢で逝かしめし妻火吹きおり
 試射やめてもらいに握飯提げて
 卵落とした妻み睨れば妻われを視る
 帽灯をはずすと羽抜鳥めくよ
 老いて坑木削る帽灯てっくんてっくん
 坑出る眼にごつんと結氷期の煙突
 吃り坑夫に樹氷の素敵さ言いようなし
 流氷燦々ぼろより嬰児とりいだす
 鉱葬明けの帽灯で掌の棘さがす
 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る
 帽灯圏汗してみんな狐いろ
 坑底枯野めきポンプすっとんギーすっとんギー
 蛙けろけろほら吹き坑夫三太の忌
 花火に奇声銭なき家を跳び出て
 豊年囃耳底に斜坑てくてく下る
 坑へ早出のぎこぎこ自転車河さむがる
 根雪で憶いおこす坑爆裸灯の町
 崖が反っている朝竿に坑衣の紺
 股つん抜けるドリルの排気樹氷咲くや
 五月一日
(いっぴがくる炭壁の裾抉る
 ほたる火に黙して坑内夫の晩年



「街」俳句の会 (主宰・今井聖)サイト ≫見る

2 コメント:

さんのコメント...

汗のにおい爽やかな俳人と俳句の紹介を、興味深く排煙しました。
現代に少なくなっている肉体を使った労働の歌、津波被災地の現場とか、介護現場などで、これからでてくるかもしれない、なにかの渦中にいて客観と主観が一瞬統合されるときに生まれる言葉・・その力強さと切なさを感じました。こういう句を巻頭に掬い上げたところは、加藤楸邨は時代のエネルギー(言語化されない情動)に共感できる人だったようですね。(堀本 吟)

さんのコメント...

すみません。クリックした後から気がきましたので。
*誤入力訂正 
 興味深く排煙しました。
     ↓
*正しくは ↓
 興味深く拝見しました。


いつものことですが、誤入力や誤変換では、いろいろとんでもない言葉になってしまいます。今回は私の老眼に加えて、キーボードの「K」のところがタッチしにくくなっておりまして。


序でに、補足させていただきます。
 老いて坑木削る帽灯てっくんてっくん
 坑出る眼にごつんと結氷期の煙突
 吃り坑夫に樹氷の素敵さ言いようなし
 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る
 坑底枯野めきポンプすっとんギーすっとんギー
 蛙けろけろほら吹き坑夫三太の忌
 花火に奇声銭なき家を跳び出て

こういうとらえ方のうちに、このひとの、発語の瞬間の呼吸(「奇声」というべきもの)があらわれているように愚考いたします。なべて、原感情に立ち戻ることが必要な現在にあって、これらは貴重な作品例だと思いました(堀本 吟)