2011-06-05

商店街放浪記44 大阪 千林商店街(2) 小池康生

商店街放浪記44
大阪 千林商店街(2)

小池康生



 ♪ 光あふれる輝きと
   こぼれる笑顔に迎えられ

アーケードのスピーカーから流れてくるのである。

 ♪ 一、十、百、千、千林
   親しみの町 千林

一、十、百、千、千林・・・凄いなぁ。上五をつければ、俳句になりそうだ。
千林商店街はテーマソングを持っているのである。
しかも、歌っているのが、デューク・エイセスというから、この町の実力がうかがえる。

日没の遅くなった商店街でべろべろになっているメンバーに、素面のペーパーさんが加わり、路地裏荒縄会6人で400メートルの商店街をうろうろする。

ペーパーさんはどこで合流しても迷うことがない。
街に詳しいし、建物にも詳しい。

この商店街は、京阪電鉄の『千林』駅と、地下鉄谷町線『千林大宮』駅を東西に結ぶ400メートルほどの長さで、全体がアーケードに覆われている。
直線ではなく曲がりくねって伸びているので、全容が掴みにくく、途中、北側に今市商店街が枝分かれして、どこまでが千林商店街なのかも分からない。
びっしりと店で埋まり、以前歩いた経験とあわせて言うと、物価はとても安い。
かつては、日本一安い商店街というキャッチフレーズ持っていたというのも頷ける。

早くに到着した筆ペンさんと九条DXは、京阪千林西口を出たところに飲み屋街を見つけていた。
アーケードから逸れると、獣道のような飲み屋街が広がり、まさに路地裏。
しかも結構混んでいる。この千林商店街は、アーケードも舗装も全体が実に整っているので、脇に広がる飲み屋街とのコントラストが鮮やかである。

今回は、コーディネーターの九条DXの案内で商店街を進みつつ、時折、アーケードを逸れ、また商店街に戻る。
このアーケードを逸れつつというところが新しい歩き方である。
なかなかの演出。どれだけの意図があってのことか、新鮮である。

商店街の途中に京街道の道標を見つける。
東西に走る商店街の、少し屈折した辺りを南北に貫くように京街道がある。

誰かが、
「この道の奥においしいアイスクリームがあるんですよ」
と言い、すぐに皆が賛同し、そちらへ進む。
ビールやら日本酒を飲んだところで、これからも飲むだろうに。

京街道を南に進むと、すぐに「角屋」という看板が見えてくる。
テイクアウトもできる甘味屋だ。
アイスモナカを買い、店先で食べる。
サクッとパリッとした最中のなかにアイスクリームを挟んで食べる。

大阪市内にあるアイスクリーム店「ゼー六」にも劣らぬ、いやこちらが上と店先で勝手な評価をしながら食べる。
店内をのぞくと、壁には、かき氷のメニューがびっしりと貼られている。

また、商店街に戻り、うろうろする。
歩きながら、塗り壁さんが意外なカミングアウト。
「以前、この近所で、家庭教師をしてたんです。商店街で宝石屋さんをやっているお家でしたけど、破格のギャラでしたよ」

今はその店は、存在しないらしい。
“日本一安い商店街”のかつての経営者たちは、どれだけ儲けてきたのだ。
今市商店街に入る。わたし以外のメンバーは、この商店街に詳しいようだ。
阪神間や大阪南部のメンバーがどうして、こんなに千林に詳しいのだろう。
やはり、この商店街はそれだけメジャーなのだろう。
各駅停車の電車しか止まらぬ駅なのに、千林はとてもメジャー。
今市商店街を北に進む。
途中、右手に折れる通りに体を向けて、何人かが道の奥を指差しながら、
「あそこっ!」
と大声をあげる。
「さっき言ってたとこ」
何を言ってたとこ?6人で歩くとそれぞれの会話が誕生し、知らない話題が色々生れる。

奥にパチンコ屋のある脇道、そこにも商店が並び、奥の角には「成田屋水産」、ここの魚屋がいいとの話題がでていたらしい。みんなどこまで詳しいのだ。
塗り壁さんが、家庭教師をしている間、塗り壁さんの彼氏はこのパチンコ屋で時間潰しをしていて、パチンコに勝つか負けるかでそのあとの食事のメニューが変わったのだと言う。
高給取りの家庭教師のくせに、送り迎えをする彼氏に奢らせてばかりいたのだ。

パチンコ屋の右手に細い路地を発見。そこに潜入。
路地が入り組み、鶴橋の商店街を思わせるアヤシイ雰囲気・・・。
すでに店は閉まり、何もないのであるが、面白い。
皆で、何もない古臭い路地をめでる。

「戦後のどさくさ感がいい」
「両手を広げて、両方の手の先が建物につきそうな道がいい」
「昭和は不滅」

もう一度言うが、何もないのだ。ただの狭い路地を嬉しがって写真を取り、奥へ進み、また戻り、ためつすがめつ眺めている。

昼間の賑わいもいいが、夜も面白い。
路地裏荒縄会の難しいところは、仕事終わりの時間帯からうろつくので、ほとんどの店が閉まっている商店街もあるのだが、ここはいける。

さらにうろつく。
商店街をうろうろ。住宅街をうろうろ。
一人なら不審人物だ。
わたしなどはもうどこを歩いているか分からない。

古い長屋の一角に出くわす。
ペーパーさんの解説が始まる。
「昭和初期の長屋ですね。二階の外壁が、タイル張りなんです。防火のためにこういうことを施したんです」

大阪が都市として発展する途上で火災に悩まされた時期があったのだ。

路地を抜けると、別の路地との合流地点に大きな石が置かれている。
「いけず石ですね」今度は、筆ペンさんの発言。
いけずは、大阪弁で“意地悪”ということ。

「この人、イケズやわぁ」
という風に使う。
<いけず>を広辞苑で引くと、最初の行に、
(「行けず」の意から)
とある。まさにこの石そのものが語源ではあるような・・・。
この細い路地でここに大きな石があると車は曲がれない・・・。

あとで「いけず石」で一句作ろうと企み、メモをとる。

さらに進む。
どうも今市商店街を東に逸れた辺りに来ているようだ。
小さな交差点で立ち止まり、地図とにらめっこ。
交差点の一画が、守口市滝井西。反対側が、旭区今市とある。

ペーパーさんと九条DXが、さっきからやたらと地図に目を落としている。
近づいて、その地図をのぞくと、パソコンからダウンロードしたなんでもない地図だ。地図を指差し、街を見上げ、何かを探している。どうしたの?

九条DXが地図をわたしに近づけてくれる。
「ここにね・・・ここです」
地図の道でもないところを斜めに指を這わす。
「うん?」
「ここに旧軌道があったんですよ」
京阪鉄道は、昔、今とは別のところを走っていたというのだ。
どうやら、ペーパーさんと、九条DXは旧軌道跡を探していたのだ。

長身のペーパーさんが、遠くのマンションを指差す。
「ここやなぁ。旧軌道」
どこだ。建物がびっしりと建っている。
「あのマンションの向きを見てください。他の建物と向きが違うでしょう」
「あっ!」
・・・違う。他の建物が東西南北に沿っているのに、ペーパーさんの指差したマンションは東西や南北に沿わず、南西向き、つまり、斜めに建っている。
そのマンションに連なる建売りなども南西向きの斜め。建物の向きが斜めになったラインが見えてくる
それが旧軌道跡だ。空き地の旧軌道ではなく、その跡地に建った建物の向きで、旧軌道のありかを見つけたのだ。
マンションやアパートや建売り住宅がびっしりと並ぶ住宅地の中に、幻のように昔の軌道が浮かびあがる。斜めに斜めに伸びて・・・。

ペーパーさんの建物や街に対する思いはただごとではない。
東北の大震災のすぐあと、この人が何をしたかというと、石巻市で被災し半壊状態の、旧石巻ハリストス正教会教会堂をペーパークラフトで再現したのだ。
“旧”というのは、この教会、昭和53年の宮城地震でも被災し、移転保存されていて、それがまた、大きな損傷を受けたのだ。

この人は、原寸大の縮小で作り上げるから凄い。
そのペーパークラフトの写真がこれ。作・ペーパーさんだ。



















元い。
幻の旧軌道を確認し、腹ごしらえへ。
京阪千林駅の北側にある<韓味 kitchenかい>。
初めての店、わたしたちの嗅覚である。
他に客はいない。閉店間際。
何を頼んでもマル。焼きそばは、魚醤が効いていて、食べたことのない味で、相当に満足。ここで句会をし、全員が五七五をひねった。
「いけず石」は筆ペンさんに詠まれてしまった。
したたかに酔い、清算に立ち上がろうとした九条DXはよろめき、隣のテーブルに手をつき、皿やら醤油差しを大量に割る。
この音が今夜の締め。安くて旨かった。

  かたつむり旧き時間を寄せ集め  康生 

(この章、終わり)

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