2011-06-05

【週俳5月の俳句を読む】 西原天気

【週俳5月の俳句を読む】
微妙な肌理を伴った時間

西原天気



プールより見られて渡り廊下ゆく  今村 豊

「見る」を見ることはできるが、「聞く」を聞くことはできない。こんな、おもしろいのかつまらなのかわからないようなことを言った人がいる(私はこういう≪わざわざ≫な感じの理屈をおもしろがるタイプ)。

見られていることは、見てわかる。視線というのは、お互い様のようなもので(いわゆる互換性)、プールから投げかけられる(おそらく複数の)視線を、感じながら(というのは、見て感じるのですが)、渡り廊下を渡る。

きらきらと水が輝く明るい場所から、渡り廊下という、あまり明るくはない場所への視線。屈託のない泳ぎ手たち(生徒たち)と対照的に、渡り廊下を行く人は軽い屈託を引きずっているように感じられる。何が起こっているわけでもないのに、微妙な肌理を伴った時間が流れています。


菜種梅雨たまごかけごはん用醤油  白井健介

菜種の花の黄色とたまごの黄色。雨が地面に向かって落ち、醤油がたまごに向かって落ちる。おもしろいイメージのセットです。AB→A’B’。

「たまごかけごはん用醤油」というものの存在は聞いたことがあります。たまごかけごはんを美味しく食べるための醤油。検索してみると、こんなにあるんですね。
http://homepage3.nifty.com/takakis2/syouyu.htm

いたれりつくせりの消費社会。どんな醤油を使うかなんて、こちらの勝手にさせてほしいものです。


筆先の紙に沈みし朧かな  花尻万博

「朧」は、俳句の中でいろいろな(詩的)処理を施されるネタです。「あはうみに鯉の吐きたる朧かな」(大石悦子)、「天袋よりおぼろ夜をとりだしぬ」(八田木枯)。朧が朧のままでいず、さまざまな事物の「朧」性のようなものと化合する。

掲句は、そうした俳句的・詩的処理の系譜のなかでは、比較的了解性の高い出来映えです。墨を含んだ筆先が紙に触れ、さらに「沈む」とき、そこに朧が拡がる。あざやかに目に見えてくる句です。


夕焼けの端が冷凍庫に僅か  高崎義邦

西空に拡がる夕焼けの、その「端」は冷凍庫のなかにまで及んでいる。夕焼けが夕焼けで終わらないという意味では、前述の「朧」と同様そ仕掛けともいえるでしょう。この空間感覚、この時間感覚は、暮らしのなかの「たしかにこういう感じ」という「感じ」に結びつき、とてもおもしろく感じました。

この句にもまた、最初に掲げた句と同様に(アプローチはずいぶん違いますが)、微妙な肌理を伴った時間が流れています。


第210号 2011年5月1日
今村 豊 渡り廊下 10句 ≫読む
第211号 2011年5月8日
白井健介 フクシマ忌 10句 ≫読む
第212号 2011年5月15日
花尻万博 南紀 10句 ≫読む
第213号 2011年5月22日
高崎義邦 ノンジャンル 10句 ≫読む

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