【週俳5月の俳句を読む】
俳句鑑賞修行中
田中 槐
正直言って、自分が「いい句」だと思う句について、どのような理由付けをしたらいいのかまだわからないでいる。「切れが決まってますね」とか「季語の斡旋が絶妙ですね」とか、おこがましいし(そもそもわからないし)。
俳句は十七文字しかないので、そこから受け取れるのは十七文字の情報だけである。もちろん、書かれていない部分を補いつつ読み、作者が書かなかったものへの想像力を働かせながら読むこともあるだろう。奥行きがあり、背後にドラマを感じさせるような句がいい句だとも思う。だが、物語を膨らませて読むことが句の鑑賞だとは思えない。いい句は、むしろそういったうすっぺらな物語読みを許さないのではないか。過不足なく構築された十七文字の世界。それ以上でも以下でもない。そういう句に、わたしはなりたい……。
と、くだくだしい前置きはともかく、俳句鑑賞修行中の身を顧みず、5月号の作品から心惹かれた句について書いてみることにする。
東京はソフトクリームから溶けて 高崎義邦
「東京は」とあるから、作者にとって東京という場所は特別なのだ。地方から出てきたひとなのかもしれない。そして、「ソフトクリームから」の「から」からは、ソフトクリームと<溶ける速度>を比べられる別のアイスクリームもそこにあるということがわかる。そもそもソフトクリームは、アイスクリーム界のなかではもっとも溶けやすいアイスなので、東京じゃなくても、先に溶けるのはソフトクリームだろう。それを、あえて「東京は」と限定しているところに、作者の「東京」に対する屈折した思いのようなものが表れていて、この句の面白さもそこにあるのだと思う。
と、それっぽい鑑賞文を書いてみて、これはもう、一読したときにわたしが感じた「いいな」という感覚からは遠いように思ってしまう。わたしはこの句の魅力を引き出せているのだろうか。
挫けずに、もう少し。
プールより見られて渡り廊下ゆく 今村豊
寝火照りのすぐ冷め躑躅盛りなる 花尻万博
「プールより」の句は、見られる立場といえば圧倒的にプールにいるひとのほうなのに、「プールより見られ」と逆転しているところが面白い。少し高い位置にプールはあるのだろう。見下ろされているような感覚。そして「渡り廊下」という、学校という場所の特殊性(かつ、懐かしさ)みたいなものが、さりげなく提示されているところに惹かれた。だからこの句の作者が、学生なのか教師なのか子を持つ親なのか、といったところでも句の意味は若干違ってくるのかもしれない。
花尻万博さんの句は漢字が多い。難しい語も多いし取り合わせも豪華だ。「寝火照り」なんて言葉にまず驚いて、「躑躅」の艶やかさに唸る。「すぐ冷め」のクールダウンが、躑躅によってあっという間にひっくり返されるところが快感か。やや短歌っぽいとも思う。ただ、俳人が思う短歌っぽさと歌人が思う短歌っぽさとはだいぶ違うみたいなので、あくまで印象だけだけど。
白井健介さんの「フクシマ忌」は、タイトルを、わたしは、とらない。
作品としては、
菜種梅雨たまごかけごはん用醤油 白井健介
が好きだった。漢字に挟まれるように置かれたひらがなの「たまごかけごはん」の存在感。「~用」は「専用」という意味で、表現としては乱暴だが、ある意味現代的でもある。字余りと句跨りのぎくしゃくした感じもむしろ効果的と思う(ここで「中七の」とかいう最近覚えたことばを使ってみたくなってうずうずするところをぐっと堪える)。
及び腰で書き始めたはずが、じゅうぶんに偉そうな物言いだ。じゅうぶんに、おこがましい。現在、俳句鑑賞養成ギプス着用中につき、ご寛恕のほど。
第210号 2011年5月1日
■今村 豊 渡り廊下 10句 ≫読む
第211号 2011年5月8日
■白井健介 フクシマ忌 10句 ≫読む
第212号 2011年5月15日
■花尻万博 南紀 10句 ≫読む
第213号 2011年5月22日
■高崎義邦 ノンジャンル 10句 ≫読む
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2011-06-12
【週俳5月の俳句を読む】田中 槐
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