2011-07-10

句集を読む 興梠隆『背番号』を読む…ハイクマシーン(佐藤文香×上田信治)

〔句集を読む〕
興梠隆『背番号』を読む

ハイクマシーン佐藤文香×上田信治)


信治 今日は、2011年7月7日に刊行された、興梠隆(こうろき・たかし)句集『背番号』(角川書店)について、ハイクマシーンの上田信治佐藤文香が、対話します。

文香 これでいかがですー?(と、Skypeのチャットの具合を確かめる)

信治 だいじょぶそうです。BBSより、良さそう。では、まず、句集から、5句あげてもらえますか。

文香  5句なら、

緑陰に遭うておでこを弾き合ふ
焚火してとんちんかんな涙出て
海胆針の中のうつろを真水過ぐ
手影絵の鯨を祖父に持ち帰る
メアド交す葬りの友等梅雨の靴


信治  おお。じゃ、こっちの句

食卓は椅子に囲まれ鳥の恋
春昼の鳥の卵の図鑑かな
玄関ロビーに建築模型冬日射す
毛糸玉全能にして無能なる
冬青空毎日遠くへ行く仕事


文香  全然かぶってませんね。

信治  いいね。

文香  私はまずかなり気に入った「緑陰に遭うておでこを弾き合ふ」。

青々とした茂りの影で、旧友に遭遇して、うぉーゲンキしてるー? とか言うだけじゃなくて、どついたりおでこをベチンってしたりし合う、なんか心底嬉しそうなふたりがいるので、いいと思いました。

信治  「おでこを弾き合ふ」っていうのは、かなーり意外性がある。

文香  そうそう。「おでこを弾き合ふ」は、私の大好きな「火曜サプライズ」(日テレ)という番組の、「都バスで飛ばすぜぃ!」というコーナーの、柳沢慎吾・京本政樹+次長課長の河本が、くだらなーいじゃれ合いを思い出しました。

信治  こっちの5句のなかで、「緑陰」に対応するのは「冬青空毎日遠くへ行く仕事」かな。

この句集の、中心的モチーフって、「ふつうの人」っていうことかなーと思ってですね。

文香 大きな事件が、ない。

信治  そうそう、子供が生まれたとかじゃないわけよ。日常の下にうっすらとあるものが、書かれている。

文香  ちょっと、双子の句は多いですけど、それも、そんな「非日常」ではない。「冬青空」の句、すごく信治さんの句風にちかい気がしました。中八のぬけたかんじとか。

信治  句風にちかいは畏れ多いですが、隆さんのことは、勝手に「同志」だと思っていますよ。先輩だけど。

それで、うん、この中八、だいじ。6・8・5の字数で、もたもたっと、口ごもるかんじになる。そこで、この人の声が出てると思った。うたいあげない。

文香  ちゃんと、でも、ときにさみしい目をして、遠くへ行く。遠くへ仕事に行くんじゃなくて、遠くへ行くのが、仕事。

信治  通勤の句と取ってもいいし、出張多いなあw っていう感慨でもいいんだけど。

「遠くへ行く仕事」っていう把握って、ものすごく「素」っていうか、うぶい目が働いているでしょう。ベテランの勤め人だってことも、伝わる一方で。

文香  毎日だから、通勤だろうと思いました。

なんか、幼い子(自分自身かも)に言って聞かせてるようなとこありませんか。その、日々でかわる仕事の内容じゃなくて、「移動」そのものが仕事だと。

それが、「やりがい」みたいなのと対極にあって、冬青空の切なさと響く。

信治  勤め人の仕事っていうものは、一般にとんでもなく抽象的なものでね。

ぼーばくとしているんだけど、その中で具体的なことといえば、毎日遠くへ行くことだなあ、という。

これ、じつは、すごくうたってる句なんだよねー。

文香  それを、あえて、うたいあげない。中八ではずす、よさ。

そういうとこが、うまいというか、信治さんと似ている気がしましたよ。ホントはうたいたいっていうか。

焚火してとんちんかんな涙出て」は、信治さんの「北風の吹いてするめの大きくて」と、似ている。とても、情けない。

信治  似てると言われては、隆さんに申し訳ないです。隆さんのほうが世界が多彩だし、いい人だし。

文香   いい人てw まぁ、似ている、という言い方はお互いにとって失礼ですね。すみません。

信治  いやいや。

でね「おでこ」の句は、ぼくの隆さんイメージからすると、ちょっと意外ではある。

文香 それは、なぜに?

信治  隆さんの句には、視点が高いなと思うことが多いから。

「おでこ」の句は、現場にいて、心がはたらいてる感じがするけど。

文香  視点が高いとは?

信治  「冬青空」の句も「食卓は椅子に囲まれ鳥の恋」にしても、心があってもなくても、それは句の世界の一要素であって、全体として、こう象徴性を獲得している感があって、それがいいなあ、と思ったから。「焚火」もそう。

文香  神の把握的な?

信治  そうそうそう!

この句集を読んで、隆さんは信仰をもたれてる人なのかもしれない、とも思った。いや、それこそ、とんちんかんかも知れないですけど。

文香  ドラマチックじゃない日常の「とほほ」が季節感やある種の具体物と結びつくことで、作者にとっては限りなくキューンとうたいあげたいものになるんだけど、
それを、やっぱり易しくひらいて提示する。

その「易しくひらいて提示する」過程で、俯瞰と愛とが必要になる。そこが、神っぽい。

って、なんかこんがらがってきた?

信治  うっすらとある心。

「水のような感情」ってフレーズが、誰かの小説にあった気がするけど。それを発見、提示するための回路としての作品、みたいな、ことを言ってるんでしょ。

文香  ん?わたし?

信治  そうそう。

文香  違う気がする・・・

信治  あれ? w

文香  この人の心は、うっすらじゃない。感情も、水のようじゃないはず。しかし、他の人からそう見えるようになってしまうタイプの作家なのではないか。

ほんとは、とてもキュンキュンしてる人なのではないか。

信治  えーw でも、ほら、作品化して、すくいあげないと、自覚すらされないような心なのよ。

ふつうの日常に、心も感情も、そんなにないってー・・・いうのは、自分にひきつけすぎか。

文香  もしそうなら、こんな平凡に見えてとても気分を押し殺しているような「あとがき」をあえて書くはずがないと思うの。

信治  でも、心がない系の句もすごくいいですよ。

文香 「心がない系の句」とは、たとえば「春昼の鳥の卵の図鑑かな」「玄関ロビーに建築模型冬日射す」「毛糸玉全能にして無能なる」あたりですか?

信治  「春昼」と「毛糸玉」には、ぼくは高さを見てしまっているのです。「水門の上に部屋ある四温かな」とか「校門に棕櫚高くあり冬休み」とかが、心がない系。ああ、いいなあ。

文香 「高さ」と「心がない系」の関係は?(あたまがわるくてすみません)

信治  あ、ごめん。鳥の卵の図鑑の句に、宗教性を感じてしまうのは、完全に、ぼくの勝手読みなんだけど。

思いとか心とかと関係なく(自然はいいねえ、とかもなく)、エクスタシーを取り出してみせましょうという句が、心がない系です

岸本尚毅さんがよくあげる「梅雨の海静かに岩をぬらしけり 普羅」とか。あ、とりあえず写生ってことか。

文香  岸本さんのそれが心がなくてエクスタシー取り出してるのはわかる。

信治  季語とか、関係ないでしょう。

文香 「春昼」と「毛糸玉」は宗教性をかんじて、「水門」や「校門」は写生で別系統、という理解であってます?

信治  はい。高さ、って言ったのは、ときどき、唐突なほどの精神性を見出してしまうから。ああ、なんか、自分もしっかり、言葉になってない。

(追記:鳥の卵の図鑑って、全ての鳥の卵が一個一個把握されてる状態で、しかも春の昼でなべて世はこともなし。神様でしょ、これ。毛糸玉の句は、母なるものと、神なるものを重ね合わせてる)


前、小説みたいな句じゃない句、っていう話したじゃない。

「帰省」の句とか(おでこもそうかな)、そういう小説みたいな読後感を与える句ももちろんこの句集にはあって、それぞれいい句なんですけど、それとまた、違うレベルにある心映えが、現れてる句がいいなあ、と。

文香 帰省して賞状額に映る顔」?

信治  そう。でも「賞状額」の句は、けっこういい小説かも、ですね。昔の自分、今の自分に対する思い、親に対する思い……。

文香 この句は、5句に入れるか迷いました。あと、いま見つけた、「雨の日の晴れの夜のねこじやらしかな」というのも好きです。

信治  「ねこじやらし」は、いい。

文香  なんというか、岸本さんとの違いは(別に岸本さんと比べる必要はないんだが)一定の具体物(または言葉)へのフェティシズムを、結局季語がエクスタシーに仕立ててるってとこじゃないかなぁ、写生よりも、心が入ってるって気がするのだけど。

信治  「ねこじやらし」は、かなり俳句的情緒によりそった句ではある。

文香  「雨の日の晴れの夜の」は、うたいあげたいところではないか。あと自選12句を見てみると、かなーり心はいってるのを自分で選んでる

信治  あ、ほんとだ。じゃ、かなり思いの深い人であるということは認めようか。

文香  一句一句の鑑賞ならば、もちろん信治さんの言う「心のない系」にも佳句は多いのだけど、どういう作家かをこの一冊から考えるとすれば、この人は、自分の心の動きを無意識に(または意識的に)覆うような出力の仕方をしているのでは、と。

信治  覆うとは。

文香  さっき言った、>ドラマチックじゃない日常の「とほほ」が季節感やある種の具体物と結びつくことで、作者にとっては限りなくキューンとうたいあげたいものになるんだけど、それを、やっぱり易しくひらいて提示する、その「易しくひらいて提示する」過程で、俯瞰と愛とが必要になる。

っていうのの、「やっぱり易しくひらいて提示」というところかな。

切ないのを「せつないーーーーーー!!!」って言うんじゃなくて、ある意味ただしく、わかりやすく書き込むというか……

海胆針の中のうつろを真水過ぐ」とか、「手影絵の鯨を祖父に持ち帰る」あたり、いったんわき起こった何かを、とても沈静化させてるような書き方に見える。

信治  その、切なさって、あるけど、ないものっていうか。

俳句の形になってはじめて見出されるものでしょう。あるものを沈静化させるというより、「はじめから覆われた形」で見出されるものなのでは。

文香  そうなの? ふつうはそうなんですか?

私は、さきに切ないけど。←実作者的な意味で

信治  ふつう…はどうなんだろう。こんど隆さんにあったら、二人で聞こうよ。

文香  そうしよう。

メアド交す葬りの友等梅雨の靴」なんて、これ、どうにかどうにかしないと、ってかんじが。ああ「街」らしい切迫感なのかもしれないけど。

信治  梅雨の靴、いいですね。視線、下、なんだね。

文香  そう。しかもこの、梅雨がまた、いい。

信治  だから、多彩って言ったじゃない。

文香  いや、季語の力って意味で。

信治  ああ、それって季語の力なの? 

他人の葬式って、ほんとこんなかんじだよなあと思ったんだ。いきなり、死んだから葬式やりますって、連絡が来るからさ、困惑がベースなんだよね。で、知ってる人と会うから、わさわさするしさ。

文香  これ、「梅雨の靴」が虚構でもいいんだし。

信治  革靴が悲しいんだよ、梅雨で。

文香  そうよ。

信治  俳人じゃない「ふつうの人」が書いてる、という、なんつうの、徳みたいなものがある。

文香  ええ? わからん。ああ、まぁ状況設定としてはそうか。

言葉からいくと力任せの俳人技かと。

さっき言った、「結局季語がエクスタシーに仕立ててるってとこ」が、もし写生じゃなかったとしても「写生よりも、心が入ってる」ように感じられるというか、さっきの「思いの深い人」だという文脈で考えれば、句の出来上がりを、その句の季語に念じてる感じがする。

信治  そうかなー。季語ってそうなのかなー。

文香  「貝寄風や象に褒美の角砂糖」の「貝寄風」とか、魔術だと思う。

信治  ああ、そう言われるとねえ。どこの町の動物園かサーカスか、と思うね。でも、この人、あんまり季語に凝らないことも多いんだよ。

文香  わたしは句集しか知らないですから。「食卓は椅子に囲まれ鳥の恋」の「鳥の恋」とか、「春風や仮設便所を積んで去る」の「春風」とか、本気に思える。写生じゃない。

信治  あ、だから、その「春風」とか。わりと分かりやすい象徴性とか、状況設定で、ぱっと付ける。「水門の上に部屋ある四温かな」の四温おもしろいよね。四角い小さな部屋にいる気になってる。

文香 うーん、少なくとも、ぱっと付けられる作家であるってのを、押しだしたいわけじゃぁないでしょう。四温は面白い。

ぱっと付けるのは、舞台裏であって、ぱっと付けられたものと思って鑑賞するわけじゃないから。わたしはこの人はわりと、季語を信じてると感じる。

信治  奥坂まやさんが、季語への供物としての俳句、って思って作るっていう話を、かなり不思議な思いで考えるのだけれど。

それって、結果的に、季語に捧げているようになる、とか、結果的に、季語に念じたようになる、という順番なのではないかなあ。

季語を、あらかじめ信じてしまったら、読者にしなだれかかるような句になっちゃわない? 結果的に季語を信じたようになる、そこに投企したかのような作品がのこる、ということではないか。すくなくとも、そこは、原因と結果が入れ子になってるんじゃないか。

でもおもしろい。文香さんとぼくと、対称的な作家像を見出してる。


文香  んと、句集一冊のみで作家を慮るとすれば、何を自分の句として選んで見せるかというところが一番肝要だと思っていて、

偶然おいた季語がとてもよかったとして、その句を代表作として残すというところに、第一読者としての作者の、季語への信頼を見て取れる、とでもいうべきか。

信治  あ、凝らない、っていったのは、ぼくが自分のチェックした句を見返して、この人凝らないなあ(ややこしい季語がなくて、日常の目に入ってきそうな季語やムードっぽい季語を、状況設定として置くことが多いなあ)と思ったから。じっさいは、考えに考えて、そうされてるのかもしれないです。

食卓は椅子に囲まれ鳥の恋」いいよね。裕明の代表作に、二つ、鳥の恋の句があったけど、同じくらいいいと思う。

文香  わかるように伝える装置としての季語、というか、だから凝らない、凝る必要はない。

信治  俳人じゃない「ふつうの人」が書いてる徳、と言ったら、わからん、と言われるわけだねえ。

文香   徳なのか??とw

信治  うん、ありがたさ、立派さ。

文香   心配りと徳や立派さは別だと思う。「春夏秋冬の順に句を並べ、そのまま四分割しただけの何の工夫もない句集です」(あとがき)と言ってのける、その工夫のしなさ加減にも、心を砕いてる人なのではないかと。まぁ、考え過ぎかもしれんが。

信治  心は、そりゃ配るし、砕くよね。でも、きっと俳句くさいのはいやだと思ってるんじゃないかな。

文香 いやだと思ってたら、自選12句のラストを「紐育より編み始めたる毛糸かな」とか「鬼やらひ面の絵具の匂ふなり」で終わらないのでは?

信治  ふふふ。じゃ、こう言い直す。さっき、口ごもるときに声が出る、と書いたのは、ある意味、ワザ化したアマチュアリズムをそこに見ていたから。この人の美質は、「ふつうの人」の生活(あるいは生活以前の)感情を、俳句が書き尽くしたところ以外から、すくい取れるところだと思う。

だから、あまり俳人らしい句を、自撰しないでほしいなあw

文香  俳句クサいのがいやなのではなく、じつは自分が俳句をつくること自体に、疑念を抱いているんじゃないか。

信治  本人を存じ上げていると疑念はいかにもありそうと思ってしまうけど、作品から読みとれる?

文香  まずはあとがきの、「この十年のあいだ、何度も俳句を放り出しては、そのたびに、多くの方からの温かい励ましをいただいて、なんとか俳句を続けることができました」というところから。

信治  自撰とか、あとがきから、作家の心情を読むのは、ちょっとずるw

文香  でも、今、句を読んでるんじゃなくて句集を読んでるんじゃないの?

信治  句集というパッケージは、そんなによく見てなかったなあ。

文香  小説とかを本で読むのとの違いは、そこだと思ってた。句集という作品。

信治  でも、あとがきは、作品の肝ではないよな。

うがったことを言えば、文香さんはプロ俳人という自意識で、ぼくはプロアマチュアという自意識でそれを通して、作家を見ようとしていたっていうことかな。

文香  そうですね。

ぶらんこの子の顔が飛ぶ日暮かな」には、驚いた。

信治  これは描写の句ではないの? 

文香  顔だけ飛ぶことはないでしょう。ホラーだ。

信治  日暮れだから、顔だけビュンビュン飛んでいる「ように見える」ってことかと。

文香  これは、俳句への疑念に感じられた。それに、この書き方は「ビュンビュン」じゃないぜきっと。

信治  ああ、おもしろいな。それはきっといい読みだ。

文香  子供はひとりだよ。このぶらんこのある公園全体に、この子しかいない。

このホラーを、ぶらんこ(春)且つ「日暮+かな」でいかにもフツーの一句と同じように見せてるあたりが、ヤバいと思う。この人は、俳句きらいなんじゃないかと。

信治  これは世間話だけど、舫さんと隆さんは、ときどきグロい。

文香  あはは。

信治  でも、プロっぽく、季語に重心をかけて読んでもイケてるっていうのは、いいですね。

文香  春の日暮の、もう月が出かかってる時間帯の、夕焼けと夕闇の混じる時間の、ぶらんこの……ホラーだよ……

信治 土壁の中に竹ある朧かな」も、いいでしょ。壁が崩れて竹の芯みたいなものが見えてるのか。あるいは茶室とかで、装飾として壁に埋まり込んでる竹のことを言ってるのか、あいまいなんだけど。

文香   いい、いい。前から読んで一番さきにしるしつけた。

信治  朧っていうのが、ほろほろ崩れてく(とまず取った)壁および世界、ってかんじでさあ。

文香  なんにも派手なこと言ってないのに、とりわけ惹かれましたよ。

あと、「わが影を遠く地に置く露台かな」とか「羽蟻降る宿の敷布の眩しさよ」とか、完全クロウトでしょ。こんな巧い句つくるのにさ、まぁ信治さんが言う「多彩」なのかもしれんけどよ、「ハンモックの前にスーツで来てしまふ」って言っちゃうあたり、俳句っぽいのがいやなんじゃなくて、俳句を信じてないんじゃないかと思った。

信治  今井さんの、いい影響が。

文香  今井さんの序文には、驚いたけどw

信治  長島有さんに「革靴で公園にいる○○○」っていう句があったな。

文香  「革靴で公園にいる冬の昼 長島肩甲」 http://www.koshinfu.com/.html

信治  あ、それそれ。冬の昼か。凝ってねー。

今井さんが序文に書かれていた、感動が先にあるのではなくて、っていうのは、ぼくも同意見。あなたの言う「さきに切ない」っていうのと、それは両立するんだけど。

文香  感動する人かどうかと、感動を詠う人かどうかは別で。

アタシとて感動を詠うわけじゃないす。感動させるために書くわけでもなく。

信治  うっすらしてたり、水のようだったりしてても、それも感動だ、っていうのもありますよ。ひどい場合には、じぶんで気づいてなくても感動している、という。

文香  うーん、感動についてはどうもうまく言えない。

これを言い出すと隆さんの話じゃなくてふつーに実作者同士の会話になるな。

信治  だから、隆さんに会ったら「隆さんは人として私たちのどっちに似てますか」みたいな話になるw

文香  今、私もそう思ったw

信治  取り合いだ。

文香  私は、人の心が分かるよw !

信治 俺だって分かるぜ!

文香  隆はわたさねーぜ!

信治  二人同時にスリッパで頭をはたかれるレベルの会話だな。

文香  「ハイクマシーン各位 次回、仮名句会には、自分がはたかれる用のスリッパを持参すべし」

信治  はは。このへんでオチでいいっすw

文香  おつかれさまでしたー。ここまで、意見がわれたのは、ハイクマシーン史上例を見ない。w

信治  でも、魅力的な人にはそれだけ多面性があるってことだよなー。

文香  わたしはこの対談によって隆さんを落とせると思うね!w (違

信治  ほんとに違うよw 



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