2011-08-14

〔10句競作を読む〕小川春休

〔10句競作を読む〕
存在感と心意気  小川春休


  造られて公園となるチューリップ  村越 敦

王様が裸であることを指摘した子供のように、公園が人工的なものであることを直裁に指摘している。それが良いとか悪いとか言うのではなくて、ただ、そういうものだと言っているのである。それまでぼんやりと感じていたことを結晶化させて、頭の中に残り続ける、少なくとも私にとってはそんな一句になりそうだ。

  松いびつ桜が咲けば人の出て  〃

松に永遠なるものを見、桜や人を過ぎゆくものと見る視点は、日本の詩歌の伝統に則ったオーソドックスなものだが、力強さ、生命力を感じさせる松のいびつさに着目した点が独自の視点であると思う。

十句の中には疑問符のつく句もあったが、それを補って余りある成功作の存在感の強さがある。


  桃色の干菓子を舌に梅雨の底  中村 遥

梅雨の底、的確に説明しようとすると難しいことばだが、気分としてはよく分かる。降り続く長雨の重苦しい暗さと対比されて、ほっと浮かんでくる桃色の干菓子のあかるさが印象的だ。舌の上の桃色の干菓子という一点を起点として、梅雨の底という大きく曖昧なものを実体化させているようでもある。この句に特徴的だが、十句作品の中には何句か、大きな自然(時間的にも空間的にも)とある一点(それは自分であったり鶏であったりする)との対比を描いている句があった。きっと書き手の意識が、そういう方向に向いているのであろう。十句を通して、作品の水準が粒揃いであることにも好感を持った。


  うっゲホゲホくっゴホゴホ仮病ですゴフッ  御中虫

この句の書き手の健康状態は存じ上げないが、私も重い仮病を患っている。一年で体重が十キロ弱落ちて体調不良が続いているが、人間ドックの受信結果はオールA、全く異常が認められないので仮病としか言いようがない状態だ。

そんな話はさておき。明確な表現上のテーマを設け、エンターテイメントとして作品を作り上げようという心意気を感じる十句作品であった。しかし惜しむらくは、「傘傘傘」「猫発情す」「仮病です」「新品のすかあと」「すりりんご」「膣」と、上五中七でオノマトペによる描写、下五にその対象という、似通った構成の句が六句も並んでいる。このあたりの構成がバラエティに富んでいれば、もっとオノマトペも活きてくるだろうし、もっと楽しめただろうになぁ、というのが一読者としての率直な印象である。


  家路なり多分梅酒の待つてゐる  小早川忠義

多分、この「多分」の一語が秀逸。家にある梅酒を誰かが飲み尽くしてしまっていなければ、多分、梅酒はあるのである。いやそれとも、切らしてしまった梅酒を同居人に買ってくるよう頼んでいたのかもしれない。そのようないろんな要素を勘案して、八十パーセント以上の確率で家に梅酒があるはず、「多分」とはそういう状態だ。この「多分」という不確定要素は一人暮らしではまず有り得ないことで、その不確定要素(良いこともあれば悪いこともままある)が受け入れられない人には一人暮らしの方が快適なのかもしれないが、不確定要素が生活に振れ幅を生み出してくれるのも事実。さりげない詠みぶりだが、その奥にこうした生活感を感じさせてくれるところが良い。


週刊俳句「10句競作」第1回
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中村 遥 微熱 ≫読む
久乃代糸 フド記 ≫読む
田島健一 明滅 ≫読む
御中 虫 おのまとぺ ≫読む
小早川忠義 百八 ≫読む

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