商店街放浪記47
大阪港吟行(3)
小池康生
大阪港を観光で訪れる人の動線はだいたい決まっている。
駅から天保山ハーバービレッジ、そして、海遊館。以上である。
あとは、遊覧船に乗るか、天保山に登るかくらいである。
大阪港という“出島”の真ん中を地下鉄中央線が走り、その線路より北側が観光地であり、南側に観光客が足を踏み込むことはなかなか少ない。
今回はその南半分をうろついたのだ。
そこに赤煉瓦の倉庫街がふたつある。
ひとつは現役の倉庫。
もうひとつは、金網で囲われ立ち入り禁止の倉庫街。
まずは、小規模な方の倉庫。
こちらは現役の住友倉庫である。
赤レンガさんが、つかつかと近づくと、入り口にいた倉庫の方と笑顔で挨拶。
「少し見学させてもらっていいですか?」
どうぞどうぞと案内される。
赤煉瓦倉庫と大阪港周辺の建築物を愛する赤レンガさんは、相当に取材を重ねているようで、界隈の人はたいてい顔見知りなのだ。
そのつながりで特別に見学させていただく。
年季の入った赤煉瓦の建築物である。
大正4(1915)年竣工。ということは、数年後には百年目を迎える。
今も現役の倉庫として使われている。
内部は、実によく整理され、海の倉庫らしく船舶に関係する荷が多い。
赤れんがさんのお知り合いは、気さくに親切に建物の歴史や用途を教えてくださる。
この軽妙さと親切さが本当の大阪テイストである。
倉庫内部は薄暗く、しかし、倉庫の奥に開いた扉の向こうから光が差し、そのコントラストに目を奪われる。
ここには船舶に使うワイヤーや、フックなどが置かれてある。
なんとも労働を感じさせる品々、モノに存在感や迫力がある。
その割には、この場面が俳句として誰も仕上がらなかった。何故?
この倉庫、海のそばで潮風に痛めつけられながらも、今も現役で使用されているところが凄い。内部は和風で、木製の梁がかけられ、そこにも荷が吊るされている。
倉庫の裏手に出ると地べたの一部に線路が残っている。
これが、引込み線と言うヤツか・・・。
これが大阪臨港線の名残である。
赤煉瓦さんは、今回、赤煉瓦倉庫とともに、この大阪臨港線をわたしたちに紹介しようとしていたのだ。
海岸通に線路が敷かれ、この倉庫の中に引き込み線が延びていたのだ。
大阪港が栄えていたときの流通形態である。
船が集まり、労働者が集まっていた時代の噎せ返るような日々が想像できる。
再び、倉庫の表に立ち、赤レンガさんが、建物の上部のマークを指さす。
住友のマークである。
「よく見てください。住友のマークの下に三菱のマークが見えるでしょう」
本当だ。三菱のマークが外され、その形が残っている。
「昔ここは、三菱の倉庫だったんです。住友の倉庫街に少しだけ三菱の倉庫があったんです。逆に別のところに三菱倉庫街の中に少しだけ住友倉庫がありました。そこで住友と三菱が倉庫を取替えっこして、こちらは住友倉庫街、あちらは三菱倉庫街にしたんです」
へーっ、そうなんだ。
でもどうして、そんなことを知っているのか。
赤煉瓦の建築物を愛してやまない赤レンガさんは、あるとき、この倉庫を見つめ、住友のマークの下に三菱のマークがあることに気付き、関係者を質問攻めにして、この事実にたどり着いたのだ。
ひとりの商業デザイナーが、築港という町を愛し、赤煉瓦の建築を愛し、なんでもかんでも調べ上げる。愛された町も建築物も幸せというものである。
倉庫の前の道は、海岸通り。嘘みたいにきれいな名前。
赤れんがさんが、地面を指差す。
「ここにね、線路があったんですよ。大阪臨港線の」
大埠頭に日本各地からの、海外からの船が着き、港湾労働者が荷を降ろし、
鉄道に乗せられた時代があった。
住友倉庫を過ぎて、しばらく行くと、三菱倉庫株式会社大阪支店築港分室にさしかかる。一階は駐車場、二階にアパートのような配列で部屋が並び、部屋の前がゆったりしている。
赤レンガさんの解説がはじまる。
「ここがね・・・昔、駅舎だったんです」
見過ごしそうな、質素な建物が駅舎?廊下は、プラットホーム・・・・・。
駅舎が、現在の事務所になる前、しばらく共同住宅であった。
そのとき、後に有名脚本家になる少人が住んでいた。
その名前を赤レンガさんが口にすると、京都句会の支部長が
「あぁ、あの女性の評価をノートに書いてた人・・・」
それで皆が爆笑。結構、を知っているのだ。
後に売れっ子脚本家となり、まぐわった女性をノートに記し、ご丁寧にその評価まで書いたあの脚本家・・・・お世辞抜きに名脚本家なのだが、このエピソードは相当広く知られているらしい。
海岸通りをさらに進むと、また赤煉瓦の倉庫。
その先に赤煉瓦。その先にも・・・・一大倉庫群が連なる。
ここが旧住友倉庫、大正12年竣工の築港赤煉瓦倉庫。
ここもまた、戦後に盛土がなされている。
七十六年間、使用され、今は網で囲まれ、立ち入れない。
地下鉄「大阪港駅」から徒歩10分の場所である。
金網越しでも眺める価値のあるものである。
海岸通り二丁目にある二つの倉庫。
現役の倉庫と、役割を終え大阪市に移管され次の役割を模索中の倉庫。
倉庫と廃線を、赤レンガさんは銀化の皆に見せてくれたのである。
しかし、なかなかこれが俳句に結実しない。
廃線は雰囲気がありすぎ、言葉にドラマがありすぎ、俳を邪魔する。
この築港南部では、色々な場所を案内していただいた。
その中には浪曲碑などという珍しいものもあった。
しかし、私にとって、築港南部は、二つの赤煉瓦倉庫と幻の臨海港線に尽きる。
もうひとつ、少しばかり気になることは、今回のエッセイ、「今回の商店街放浪記、商店街は、でてきてへんがな」とお叱りを受けるかもしれないということだ。
言い訳をすると、この金網に囲まれた旧住友倉庫街は、いつか壮大な商店街になると期待しつつ未来予測をし、商店街放浪記の一ページに記す次第でありまする。
流れ星船員手帳色褪せど 康生
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2011-08-14
商店街放浪記47 大阪港吟行(3) 小池康生
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