2011-08-28

朝日新聞 宇佐美貴子さんインタビュー「俳句は人間活動として面白い!」

朝日新聞宇佐美貴子さんインタビュー
俳句は人間活動として面白い!


聞き手:上田信治
(2011.8.25 朝日新聞東京本社にて)

──今日は、朝日新聞の、俳句担当記者である宇佐美貴子さんに、お話をうかがいます。よろしくお願いいたします。

私、まだ俳句担当になって、この10月でやっと一年で、私なんかの取材でいいのかな、と思うんですが。

──あ、そこのところから、まずうかがいたいんです。新聞には、将棋記者、映画記者、野球記者のような専門分野をもった記者の方がいると、聞いたことがあるんですが、それはどういうシステムになってるんですか。

朝日新聞の場合は、文化部がまずあって、そこに小説などもふくめた文芸というセクションがあって、7人くらいの記者がいます。

その中に、短歌、現代詩、俳句を扱う記者が各一人ずついます。その俳句担当が私、というわけで。

──それまでは、やはり文化部にいらしたんですか。

もともとは出版です。単行本の編集が一番長くて、小説・ノンフィクションを問わず、やっていて、その後、俳句担当になる直前は、社会部の東京版というところにいました。

で、前の担当記者が退職するので跡継ぎをさがしているという話になりまして。

──なるほど、一子相伝というか、受け継がれて、一度に一人ずつ俳句記者が生まれていくんですね。

一子相伝というほど、ちゃんと引き継ぎもないんですが(笑)。

──前の担当の方は、何年ぐらいやられたんですか。

5年くらいだったと思います。私は、いま42歳なので、できるだけ長くやれたらいいな、と思っています。

──それは、もう、ぜひ、そうしていただきたいです。内示を受けてから、じっさいにお仕事が始まるまで、どれくらいでしたか。

3週間くらいですね。勉強しなきゃと思って、角川文庫の歳時記の、その時ちょうど9月だったもんですから、秋の巻を買ってきて読み始めたんですが、これは……間に合わないな、と(笑)。

まあ、それからずっと、勉強しながらやらせていただいているという感じです。

──読者投稿の「朝日俳壇」の担当でもいらっしゃるんですよね。

そうなんです。毎週、入選句の入力をするんですけど、はじめは、季語や用字、送り仮名旧かなとかに戸惑うことが多くて。一と月ぐらいは間違いだらけで、ゲラが真っ赤になって帰ってきて、これはまずいな、と(笑)。

でも、まあ、そういうことはすぐ慣れて、しばらく入力を続けているうちにですね、俳句のリズムがすこーしずつ、気持ち良くなってきたんですよ! 

──おお。筆写は、身につくって、言いますもんねー。

また、その投稿句を、撰者の先生が選びやすいように整理するのも仕事なので、投稿句5000~6000句ほどを、毎週読んでるうちに、いったんリズムが体に入ってくると、だんだん読むのが楽しくなってきて、俳句おもしろいな、と。

それで、年末年始にはベーシックなものを集中して読んだり、NHK学園の通信講座なんかもやって、ほんと勉・強・中というかんじですね。

──宇佐美さんとは、あちこちのイベントでお目にかかるし、俳句のシンパでいらしてくださるので、嬉しいです。



──火曜日夕刊の「歩きだす言葉たち」の欄について、うかがいたいんですけど。

毎週火曜日夕刊に、自由詩、短歌、俳句の持ち回りで、俳句は3週に1回の掲載です。

──以前の、中堅ベテランの作家が主に登場するコーナーから、現在のような、若手中心の欄になったのは。

私が担当になる前の2009年4月からです。短詩形について言えば、俳句甲子園、短歌甲子園などで新しい書き手が生まれていましたので、文化面の一般読者にむけて、積極的に若い書き手を取り上げてアピールしていこう、ということになったと聞いています。

──あの……このたびは、ご依頼をいただきまして、ありがとうございました(上田が、「歩きだす」欄の依頼を受けたことをきっかけに、このインタビューは実現しました。掲載は8月30日夕刊(一部地域31日朝刊))

あの欄に自分が出る時、若手は、みんなツイッターを使って告知したりして、お互い、注目高いんですよ。ぼくは、若くない上にまだまだ初心の身なので、ぜんぜん資格がないのですが。


いえいえ。

──出がけに引き出しをさらったら、この欄の切り抜きがこれくらい出てきました(北大路翼さん、関悦史さん他、ざらざらっと)。以前は顔写真なかったんですよね。

はい、レイアウト変更でスペースが広くなったので、写真が入って、あと10句だったのが、15句になりました。写真は、ペンネームを使ってる方だと、男性か女性か分からなかったりするし、若い作家のアピールの場として、目立ってもらって顔を売ってもらおうということで。

──反響はどうですか。

編集部には、漢字が読めないとかそんな問い合わせが来るぐらいで(笑)あまりないんですけど、出た方への反響はかなり多いみたいですね。こういうの書くようになったんだ、とか、俳句のお知り合いの方から。

──多くの書き手にとって、発表の場ってそんなにないですから。ありがたいです。

句数的にも、これくらいの句数だったら、気軽に、でも、あるていど厳選して、ご自分の世界を表現していただけるかなと、期待しています。

──えーと、15句はですね、かなり多いです。

え!? みなさん、いっぱい書かれるから、手持ちの句だけでもけっこうあるのかな、と。

──いえいえいえ。期間もぎりぎり一カ月切ってましたし、多少ストックがあっても、賞の応募とかあって、前年のやつはだいたい出しちゃってますから。結社誌に属して先生がいる人なんかは、まず、そっちに一番いいのを出さなきゃいけないですし。

あー、そういうことがあるんですねえ。

──内輪むけじゃないメディアに発表する機会って、よっぽどの売れっ子以外は、たぶん年に一度もないですから、絶対いいのを出したいと思って力も入るし。今回、季節の変わり目だったんで、この夏、作った句はほとんど使えなかったっていうのも、あって、もう……

そっか、うかがえてよかった。そういうお話は、はじめて聞きました。

──あ、愚痴ですから、みなさんそんなに言わないと思います(笑)。でもですねえ、人にもよりますけど、そんなポンポン作れないですよー。スター俳人の方たちはね、毎日、依頼も句会もいっぱいあるんで、たくさん作られてるでしょうけど。

私の場合、いちばん身近に見ているのが、朝日俳壇の選者のみなさんなので。

──ああ、そりゃ!
なにかあると、その場でさらさらっと書かれたり。

──金子さんとか稲畑さんですよね(笑)、あの人たちは、いわゆるモンスターですから。

いいこと、うかがいました。これから、もうちょっと早くお願いするようにします。

──いや、ま、〆切りまで長くあっても、さぼっちゃうんで、一と月はちょうどよかったですけど。登場する作家の方は、どうやって選ばれているのですか。

純粋に内容では私は選べないですから、『新撰21』『超新撰21』のようなアンソロジーですとか、新人賞を取られた方、句集を出された方など、メディアへの登場から注目させていただいて、ということが多いです。

「地方でしっかりやってる堅実な俳人」にもっと注目しなきゃ、
と言って下さる俳人の方もいるのですが、それは、今後の課題ですね。

── 一般読者にむけての俳句の窓口、ということを、いちばん強く意識されていますか。

それだけ、というわけではないですね。バランスを考えて、伝統、前衛、一般読者にアピールしそうな方、文章表現として追求されている方、と、あと男性女性もありますけど、片寄らないようにしています。

──俳壇の内外を問わない読者と、作品の様々な出会いということですね。ぼくの次の番の人って決まってます?

じつは、まだ(笑)。



──俳句と短歌の現代における存在感というか、ここにそういうものがありますよ、っていうプレゼンスが、新聞に支えられてる部分って多いと思うんですよ。

穂村弘さんも、そのことは、囲碁将棋になぞらえて言ってましたけど、他にもアマチュアスポーツとか、けっこうそういう、ジャンルの命運を新聞が握ってるというケースってある気がするんですよね。

で、昔はプロレスの試合結果が新聞に載っていたけど、今は載っていない、というような変化は常にあるわけで……。


そこで、若干の心配と共にうかがうんですが、将来、新聞から俳句欄がなくなっちゃうことってあるんでしょうか。

うーーん。私の実感では、そういうことは、なさそうですね。

──そうですか!

はい。読者がなくさせないし、縮小をゆるさないんじゃないかな。

数の推移はあるんですが、今「朝日俳壇」には毎週5000~6000通の投句がありますし、そこに毎週必ず新規の投稿者がいて、もっと言えば毎週必ず「初入選」の方がいらっしゃるんですよ! そのことには、ちょっと驚いてます。

──毎週、何句入選されるんでしたっけ。

選者一人10句ですから、40句です。その中で多い時は10人くらいの初入選の方がいるというのは、すごいことだと思うんです。新陳代謝があるということでもあるし、この欄への強い期待があるということを感じます。

だからこそ、選者の方にも、週一度集まっていただいて、全投句に目を通していただく共選という形をとっているわけですし。



──もともと、宇佐美さんは、どういうものがお好きな方なんですか。

えーっと………漱石が好き、芥川が好き。

──はい。

宮沢賢治が好き。林芙美子も、やや娯楽寄りだけど好きだな、とか。金子みすゞも、すごいブームになっちゃったけど、ずっと密かに好きだったのに、とか。

──近代文学ですね! もちろん現代文学も出版局にお勤めのころには多く手がけられた、と。

そういう宇佐美さんから見て、俳句の、特異性のようなものを感じられることってありますか。

先生と弟子の関係というのが、私とか、まだよく分かってないかもしれないです。特に、目の前で直される添削はびっくりしました。

私から見ると、俳句の書き手も作家だし、作品は作家の内面から出たものだと思うので(先生のコピーになることが目標ではないはずなのに)、どうして、その添削を抵抗もなく受け入れられるのか、というようなことが、ちょっとふしぎなんですね。

「俳句の作家性」のようなものが、まだよく分かってないのかもしれませんが。

──伝統的なジャンルの師弟関係というのは、先生だけでなく、先生の先生の先生を通じて、はるか遠く、歴史的なものや俳句共同体的なものと繋がっている、ということかもしれません。

とか言って、ぼくも、先生いないんで、理想論かもしれないですけど。




──取材されたり、会われたりして印象的だった俳人の方っていらっしゃいますか。

はじめに取材して記事にしたのが、村越化石さんだったんですよ。

句集を拝見して、すごくいいなあ、と思って。句集の帯で、村越さんがハンセン病患者だと知ったのですが、読んだら、句自体が純粋に生を詠っていて「大きいな」と感じたんです。

で、療養所まで会いに行って、文化面で紹介させて貰いました。

 手に団扇ありて齢を重ねたる 村越化石
 故郷の山河まぼろしとろろ汁


──村越さん本人からは、どういう印象を受けられましたか。

頭の中はいつも俳句でいっぱいで、俳句が生活そのものでしたね。

ご自分でもおっしゃっていましたが、病気でもう故郷に帰れないという絶望の中で、自分が生まれてきたあかしを残したい、という気持ちで俳句を作り始めたそうです。その思いが強すぎると、できがよくない、と。とても哲学的な話だな、と思いました。

そういえば、村越さんは88歳なんですけど、4、5年前からやっと肩の力を抜いて俳句を書けるようになって、楽しいというふうに、おっしゃられてました。

──ははあ(嘆息)。

それと、同じようなことを、この間、金子兜太さんも言われてたんですよ。俳句は80になってからだよ、って。なにか「到達した感じがちょっとした」んだって。

──印象に残っている、この一句は。

朝日俳壇の大串章さんの選に入った句で「古書店の跡は居酒屋文化の日」という句があって、これは文明批評だな、と。今まで自分が、東京版で何十行を費やして書いていたようなことを、この一句は言っている、と思ったんですね。文章表現の、考えがかわった瞬間でもあります。

──「歩きだす言葉たち」に登場の作家で、印象にのこっている人はいますか。

うーーん、それぞれ面白いんですけど、15句まとめて、短編小説のように読めるというか、作者が見えてくるような作品が面白かったですね。そういう意味では、榮猿丸さんは特に印象的です。アパートの扉を開けて男の人が出てきそう(笑)、それがご本人かどうかは分からないけど(笑)。

 収納ケース積んで同棲鉄線花  榮 猿丸
 鎖鍵掛けて戸の開く薄暑かな
 バーの名のドアに直書き棕櫚の花




──俳句ジャーナリズムの、あるべき形についてどうお考えですか。あるいは、そこで、どういうことをしていきたいと思われますか。

現在行われている俳句の活動は、句集のような形では残るけど、一般の人の目に簡単にふれるものではないですね。でも、新聞記事になるということは、多くの読者にふれる機会が生まれるということと、データベースとして残るということに意味があるんじゃないか、と新聞記者として考えています。

2011年8月現在に、こういう俳句があった、あるいはこういう俳人がいたということが記録として残っていく。それが実は一番大事なことじゃないかな、と思うので、なるべく取材して書いていこうと思ってるんですね。

──その意義は、100年後から見て生じる?

そうそう、そうです。

──ああ、それは、考えたことなかったなあ! そうなると、何を記事にするべきかという基準も大事になってくると思います。宇佐美さんは、現在の俳句の状況をどう見られていますか。

うーん。この私たちが生きる「現在」というものを、反映した俳句が作られているとも言えるし、作られていないとも言える……というのが現状ですよね(笑)。

ただ、現在を生きる読者が「読もう」と思えるものを、今の俳句としてピックアップしていきたいと、考えてはいるんですよ。伝統とか前衛とか、作者が若いとか高齢であるとかに関係なく、そういう作品。

記事にする場合は、切り口というか、取り上げ方にもかかってきますね。

──つまり、現在の俳句としてビビッドなものを、作品としても現象としても取り上げていきたいということですね。

はい。それが、新聞における俳句ジャーナリズムの使命かな、と。

──スター俳人の人が、何年ぶりに句集を出しました、だけでは、ちょっと足りない?

たとえば、その俳人が今の人である、という手応え、今の作品であるという手応えがないと、会いに行けないんです。俳句の蓄積がないから、もっと勉強しないといけない、ということかもしれませんが。

──作家をとりあげるとき、いちばん意識されることは何ですか。

「読者」が、増えるようにということですね。俳句全体でもいいし、その作者でもいいし。俳句のおもしろさを読者に知ってほしい。



俳句はおもしろいし、俳句をやってる人もおもしろいです。小説家とも、だいぶ違う感じがするんですよ。

──より、堅気っぽいとか?

そうそう。ふつうに会社にお勤めしながら、すごい句を書いてたり。

俳句は面白いです。人間活動として面白い! 

こんなことが行われていると知ることができて、俳句担当になってラッキー! と思っています。



1 comments:

wh さんのコメント...

山田耕司さんが「詩客」俳句時評・第17回で、この記事を取り上げていらっしゃます。御一読を。

人間活動としての面白さをどう面白がるか