週刊俳句時評・第45回
総合誌の時代の終焉? これからの俳句とメディア
神野紗希
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日曜日の夕方、久々に「笑点」を見た。落語家たちが大喜利をするテレビ番組なのだが、驚いたのは、答えの半分以上が、互いのキャラクターを前提にした上でのものだったことだ。たとえば、圓楽さんは腹黒キャラ、昇太さんは独身でお嫁さんがほしいキャラといったように、それぞれの落語家のキャラクターが共有されていて、それを知らない私には、答えの意味がわからないものも少なくなかった。
以前にそういう内輪ネタの答えがなかったかといえばそうではなく、林家菊扇さんの経営するラーメン店を「不味い」と揶揄する言いぐさなどは、当時からのテッパンである。しかしながら、あの頃は、もっと開かれた答えが多かった。落語家のキャラクターを知らなくとも、日本語やニュースの一般常識さえ押さえておけば、たいていの答えに膝を打って笑えたものだ。
私自身、講演を頼まれてトークをする際、金子兜太さんと稲畑汀子さんの舌戦の話を挟むと、必ずウケる。もう、「トウタ」という名前が出た時点で、爆笑なのである。すごいことだ。しかしもちろん、俳句について知らない人たちは、トウタと言っても何のことだろうとなるわけである。「笑点」でも、笑点を毎週楽しみに見ている視聴者にとっては、吉本新喜劇でチャーリー浜が「ごきげんよう」と入ってくるとみんなずっこけて笑うように、圓楽さんが歌丸さんにかみつくパフォーマンスが、とても面白いのだろう。しかし、笑いを提供する側が、そうした熱心な視聴者のニーズに答えて、内輪ネタの答えを増やしていくと、たまたまチャンネルを回して「笑点」を見た人には、よく分からない番組になってしまう。確実なファンをつかむ代わりに、新しい視聴者を獲得しにくい構造が出来上がるのだ。内輪ネタで盛り上がる笑点を見ながら、私はなんとなく、テレビの時代の終焉を感じていた。
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テレビは公共の電波なので、テレビで流れるコンテンツは公益性があり、また、テレビ局によって多少の主義の違いはあっても、ニュースで流れることは本当のことなんだと、これまでは、ぼんやりとではあるが信じていた。しかし、ここ数年で、テレビの何かが変わりつつある。内輪ネタで盛り上がるのは「笑点」に限ったことではない。島田紳助さんの番組では、出演者が「紳助ファミリー」と名指されて互いのプライベートの暴露で盛り上がり、深夜番組では、若手芸人の飲み会を隠し撮りした映像を流して、当の若手芸人同士が互いの交流について語りあう。ドラマなどの番組宣伝も、以前はつつましさがあったが、この頃はあからさまに、バラエティ番組内で宣伝したいドラマ名を連呼している。そもそも、バラエティ番組のゲストが、今ではほぼ映画やドラマの出演者なのである。もはや、宣伝のためにバラエティ番組があるといってもいい。
とみに最近、メルトダウンを隠してきた原発関連のニュースや、フジテレビの韓流偏向姿勢によって、テレビというのは決して視聴者のための公正で開かれたものではなく、実際にはスポンサーのための閉じられたものだということが、白日のもとにさらされることとなった。その大きな要因のひとつには、インターネットの存在がある。実際、原発やフジテレビの件で真実を教えてくれたのは、twitterやブログをはじめとするネットのソースだ。ネットがなければ、今でも「少し怪しい」と思いながら、個人の感覚の気の迷いかもしれないと片付けていたことだろう。ネットは、真実から真っ赤な嘘まで、情報の信憑性の振れ幅が大きいが、それでも現代は、テレビが嘘をついたとき、これまでは見えなかった真実がネットによって明らかになるという時代になった。
テレビ局とスポンサーの関係について言えば、お金を出した人に逆らえないというのは、経済原理で考えれば当たり前のことなのだが、しかし、以前のテレビには、そうした構造を感じさせないような、公益性を持とうとするある種の志があったように思えた。それも、インターネットのようなメディアがなかったことによる、幻だったのだろうか。経済原理に服従してしまえば、テレビ局は、メディアの発信者ではなく、文字通り、メディア=媒体になりさがってしまう。
新聞やラジオがそうだったように、これからもテレビはなくならないし、テレビ番組もさらにたくさん作られるだろう。しかしこれまでのように、テレビが公器であり続けるかといえば、もう、そういう時代ではないのかもしれない。
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さて、ひるがえって、俳句はどうだろうか。
この秋、「俳句研究」(現・角川マガジンズ)の休刊が決まった。突然のことだったようだ。冒頭ページ「休刊のお知らせ」では、定期購読者への購読料返還について言及してあるし、各連載も次へ続くかたちで筆が擱かれていて、これで終わりだということは意識せずに書かれている。「俳句研究」は、これで事実上の終刊とみる向きが多い。一時期は「総合誌の時代」というキャッチコピーまで叫ばれたが、その一翼を担った「俳句研究」の終刊は、「総合誌の時代」の幕引きと考えられなくもない。
俳壇において、ながらく公器の役割を果たしてきたのは、おそらく総合誌のほかにない。今、俳句の世界ではなにがポピュラーで、どんなことが話題になっているのか。その言説を作り出してきたのは、間違いなく総合誌だった。
総合誌の役割とは、なんだろうか。それを考えるためには、ほかのメディアと総合誌との違いを確認しなくてはならない。
現代における、総合誌の対立軸としてのメディアといえば、結社誌、それからインターネットサイトだろうか。
結社誌は、現在、全国に1000前後あるといわれている。できるだけ目を通したいとは思うが、毎月膨大な量の結社誌が発行されるため、そのすべてを読むのは難しい。その結果、一冊の結社誌の読者は、大幅に限られることになる。そもそも結社の中には、購読のみの申し込みは受け付けておらず、読みたければ結社の会員にならなければいけない、という会も少なくない。媒体としての利点を挙げれば、購読者数が決まっていて、なおかつ会費制なので、ロスが少ないことだろうか。
インターネットにおいては、週刊俳句をはじめとして、俳句のプラットフォーム整備が進んでいる。ネットという媒体の利点は、なにより、作り手側も受け手側もコストがかからないことだ。だから、誰でも発信者になれるし、受信者もたいがいの情報は無料で読むことができる。しかし、だからこそ、その情報は玉石混淆だ。
公器として機能するためには「みんなが読んでいる」ことが条件になる。ここでいう「みんな」とは、俳句に関わっている人たちみんな、というくらいの緩い定義だと思ってほしい。結社誌はさきほど述べた理由で「みんなが読む」ことを期待はできないし、インターネットサイトにしても、俳壇を形成している人々の中でインターネットユーザーの比率がどのくらいあるのかといえば、まだまだだろう。
みんなが読むためには、みんなが手に入れることが可能でなければいけない。そのためには、流通力が必要だ。その点で、全国の書店への流通ルートがある総合誌は強い。もちろん、ブランド力が強ければ強いほど、置いている書店も増えるわけで、その点で角川書店の「俳句」は、より強い。
そのように考えると、総合誌に代わる公器は、俳壇にまだ存在しない。インターネットにも可能性はあるが、まだブランド力・読者層において総合誌に劣っている。もちろん、「俳壇なんていらない」「ただ好きで俳句をつくってるだけ」(ここでいう俳壇はイコール総合誌とは限らない)といってしまえばそこまでだが、俳句に関わる人間がみなそのようにひらきなおったとしたら、そこで俳句の表現史は頓挫し、本当に、俳句は遊びの道具になってしまうだろう。外部から俳句を眺めたときにも、いったい何が起きているのかわからなければ、ジャンルとして取り残されていってしまう。
では、公器だからこそ総合誌ができることとはなんだろうか。ネットでも結社誌でもなく、今、総合誌しかできないこととは。
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ひとつは、新人の発掘・育成やスター作家のプロデュースだろう。「俳句研究」という名前から思い出すのは、高柳重信が編集長だった時代にもうけた、50句競作という新人賞枠だ。受賞者には、大屋達冶、沢好摩、攝津幸彦、宮入聖、藤原月彦、林桂、夏石番矢、西村我尼吾、久保純夫、黒田杏子、辻桃子、中田剛、長谷川櫂など、現在でも旺盛に俳句創作を行っている面々の名が並んでいる。
「俳句研究」は近年でも、鴇田智哉、高柳克弘といった、年に一度の「俳句研究賞」受賞者(中でも若い俳人たち)に、紙面上での執筆の機会を積極的に与えていた。特に、高柳については、「俳句研究」によって育くまれた作家といってもいいだろう。コンスタントに作品を発表する機会に加えて、俳人の青年期の作品を中心に取り上げた評論「凛然たる青春」も「俳句研究」に掲載され、のちに同出版社から書籍化もされた。若手俳人としては異例の待遇だ。
現在は角川学芸出版の「俳句」でも、この4月から、新人20句競詠と題して、毎月2人の若手作家の20句作品を掲載している。それまで、若手俳人に与えられる依頼の句数は、ふつう5~8句だったから、これも大きな転換だといえる。
高柳重信編集のころの「俳句研究」に話を戻せば、その役割は新人発掘のみではなかった。毎月、作家特集が組まれ、物故俳人のみならず、三橋敏雄や赤尾兜子をはじめとして、現在活躍している、注目すべき俳人を次々に特集した。現在では、没後の俳人も含めて、一人の作家に焦点をあてた特集自体、ほとんど見られなくなっているが、古い「俳句研究」の紙面をめくっていると、作家たちの息づかいや熱気が伝わってきて、胸が躍る。
こうした新人発掘や作家プロデュースは、いくらインターネットで頑張っても、まだ「そこそこ」にしかならない。若手は、俳壇に承認されてはじめて、発掘されたことになるわけだが、その俳壇がイコール総合誌である以上、インターネットに新芽を見つける力があっても、最後はやはりブランド力のある総合誌の力を借りるしかない。
もうひとつ考えられるのは、良質な評論を世に出していくことだ。
大学で文学研究をしていると、かならず必要になってくるのが、論文探しである。論文に限らず、評論やエッセイにしても、何か文学作品について書こうと思ったときには、その小説や俳句に関する先行研究(私より先にその作品について論じている文章)に目を通してから書くようにしている。これはマナーみたいなものだ。
その論文を探すためには、みな、主に国会図書館に行く。国会図書館にはデータベースがあって、国会図書館が所蔵している書籍のデータがすべてデータベース化されている。そこで、たとえば検索wordに「山口誓子」と打ち込み、過去の論文や評論を探すのだが、国会図書館に所蔵されているのは、基本的に流通している書籍のみだ。結社誌は流通ルートにのらないので同人誌扱いとなり、国会図書館には所蔵されていない。だから、データベースに検索をかけると、出てくる資料は、主に「俳句」や「俳句研究」といった総合誌の評論になる。
俳人協会が奮起して、俳句文学館の図書館で、結社誌掲載の論文をデータベース化でもしてくれたら、狂喜乱舞して喜ぶのだが、おそらく実現しないだろうから、やはり総合誌に期待するしかない。未来の人が、過去の評論を参照したいと思ったとき、データベースに掲載されている可能性の高いのが、総合誌の評論なのだ。だからこそ、総合誌には、良質な評論が掲載されていてほしい。通信販売に切り替わってからの四年間の「俳句研究」にも、魅力的な評論がいくつも掲載されていた。途中で打ち切りになってしまうのだろうか、現在も連載中の、堀切実「俳文のすすめ」や大石悦子の「師資相承」、小川軽舟のロングエッセイ「かたまりかけてこんなもの」など、愛読していたものも多い。
新人発掘・作家プロデュース、それから良質な評論の掲載。これは、まだ現在、「みんなが読む」可能性のある総合誌でしか、十分には実現できないことなのである。
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しかし、現実には、そう理想通りにはいかない。
さきほど結社誌の資金繰りのロスの少なさや、インターネットのローコストについては言及したが、総合誌は流通にのせる分、コストがかかる。どれだけ編集に志があっても、企業が販売している商品である以上、売れなければ成立しないという側面があるのだ。角川源義がそうだったように、企業の文化事業だと思って、赤字でもほかの分野の収入の余剰で良い俳句雑誌を出そうという奇特な人がいれば、本が売れなくてもやっていけるのだが、バブルがはじけて、かつ斜陽の出版業界においては、文化事業なんて言ってられないのも現実だろう。赤字であれば廃刊を免れないので、「売れる俳句雑誌」を目指さなくてはいけない。
そのために、総合誌は読者のニーズもよんで、企画を考える。その答えが、誌面を占領するhow toものなのだろうか。
俳句の作り方なんて、藤田湘子の『二十週俳句入門』とか、角川学芸出版の『名句に学ぶ俳句の骨法』とか、たくさん書籍化されていて、すでにバイブルと呼ばれているものも多いのだから、そちらを読めば事足りるじゃないかと思うのだが、現実の誌面に入門講座の要素が多いところを見ると、「みんな」の意見はそうでもないのかもしれない。
そもそも、総合誌の想定している「みんな」とは、売れるものを作るという観点からいえば、イコール購買層であるはずだ。購買層へ向けて、彼らにうける企画をうっていくのは確実な方法だが、しかし、熱心な購買層のニーズに応えていると、テレビ番組「笑点」のように、いつか閉じられた媒体になってしまわないとも限らない。
「俳句研究」最終号(2011年秋号)の編集後記「編集室から」で、編集長の石井隆司氏は、次のように書く。
「わたし」は不特定多数から認証されるのではなく、目の前の、呼びかければ答える「あなた」がいるからかろうじてその存在を実感できるだけのはかないものなのだと明確に自覚できる歳になった>(南木佳士『生きてるかい?』)▶この「わたし」は「俳句」と言い換えてもよい▶そして「俳句研究」もまた、読者である「あなた」が目の前にいることを実感できたからこそ、今日まで生き延びることができた。その「あなた」に向けて、今号で最後の秋の号をお届けする。読者としてこんな嬉しいことばはないと思いつつ、ふと、「わたし」と「あなた」、つまり、総合誌と読者の関係について考える。この二つの単語を借りていうならば、「わたし」より「あなた」の存在感のほうが大きくなってしまうと、「わたし」は「あなた」に奉仕する立場となってしまい、「わたし」の意志は次第にうすれてゆく。おそらく、二者の関係では、ときに「わたし」が「あなた」を誘導していくような、力強さも必要になってくるのだろう。公器というのは、ニーズの欲望を反映し、満たすだけでなく、新しいニーズを作り出していく機能を担ってこそ、その役割を果たしたといえるからだ。そして「俳句研究」の誌面には最後まで、そうした「わたし」の志を感じる記事があった。
「あなた」は大切だが、私は同時に、「あなた」に比重が置かれすぎることを恐れる。総合誌は、公器である以上、「わたし」の強い意志で、ときに「あなた」=「みんな」を誘導してほしい。これは誘導されなければ私たちが動けないという意味ではなく、誘導する力を一番もっているのは総合誌なので、ぜひ、その力をフルに生かしてほしい、という意味である。もちろん、あまりに強い編集の意志は、偏よりすぎた雑誌を作り出し、「あなた」の意見を聞きすぎるよりも閉鎖的になってしまうかもしれない。しかし、「わたし」にはトレンドを作り出す、ブランド力・流通力がある。その力に、これからも期待したい。
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最後に、では、これからの俳句メディアは、どうあるべきなのだろうか。
その問いに、ひとつのモデルを提示してくれているのが、出版社ふらんす堂のメディア戦略だ。
ふらんす堂は、主に詩歌関係の書籍を扱う出版社だ。彼女たち(スタッフはみな女性だ)は、句集をはじめとする自費出版を主な収入源として、その収入の余剰で企画出版を打つ。言ってみれば、自費出版の収入の余剰の集積が、企画出版のパトロンとなっているのだ。企画出版にはいくつかのシリーズがあって、たとえば「ふらんす堂文庫」という薄く小さな本は、古今の作家の俳句をコンパクトにまとめて文庫化したものだ。句集はもともとの発行部数が少なく、手に入りにくい上に、古書価格も高いため、安価で手軽に読める本があることは、読者である我々にとっても、その俳人にとっても、幸せなことだろう。最近では、「自句自解シリーズ」「自句他解シリーズ」など、俳句がつくられる創作工房を明らかにするような、スリリングな書籍が企画出版されている。
また、書籍だけでなく、インターネットにもいち早く進出していた。インターネットの自社サイトでは、5年以上前から、毎日更新の記事を年間三本用意している。たとえば、ひとつは「花の一句」(花に関係する句を毎日紹介して鑑賞する)、ひとつは「俳句日記」(俳人が毎日、俳句作品を発表する)、ひとつは「短歌日記」(歌人が毎日一首、短歌作品を発表する)というように。この記事を楽しみにふらんす堂のサイトを訪れる人も多い(私もその一人だ)。そして一年の連載が終わったら、記事を最終的に書籍化する。インターネットのデータコンテンツを、書籍という物質に変換することで、インターネットを見ない俳人たちにも読んでもらえる。より多くの人の目に触れる可能性が出てくるのだ。
最近では出版記念と題して俳人の座談会などのイベントを企画したりもしている。角川学芸出版の「俳句」も、誌面の合評鼎談コーナーの公開収録を京都で行うなど、雑誌の中にとどまらない企画力で、そのフィールドを展開しようとしている。ここには、手売りの販売力に可能性を感じているという共通点も見いだせるだろう。
おそらくこれからは、雑誌だけ、ネットだけ、書籍だけでは、その影響力が限られてくる。雑誌の購読者もいれば、ネットユーザーもいて、そのどちらでもない人たちもたくさんいるからだ。企画に応じてメディアを選び、メディアに応じて企画をつくる。その中で、必要な資金を捻出できるように運営する。そうして作られた、できるだけたくさんの人が訪れる可能性のあるクロスメディアのプラットフォームが、新しい時代のひとつのモデルになり得るのではないだろうか。
交差点であるためには、どうあるべきか。俳句の公器を目指すためには、どうあればいいのか。もっとシンプルにいえば、読んでもらうため、読み継いでいってもらうためには、どうすればいいか。今、俳句メディアに関わる人たちの志が、問われている。
(了)
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