〔週俳8月の俳句を読む〕
やがて消えてゆく
近恵
雨に月溶けて枕となりにけり 湾 夕彦
ぼんやりとしている。そのまま読むと月が雨に溶けて枕になるんだから、なんとも湿気の多いでろでろとした枕なんだが、これがちとヒンヤリとしていて心地よさそげに思えてしまうあたり、いささか自分の感覚に不信感をもってしまう。とろけたチーズが冷えた感じというか。なぜか心地よさそげに思ってしまうというのが、必要以上に想像力を働かせながら読むというという俳句ならではの読み方をしているからなのかもしれない。あるいは俳句に書かれていることは心地よいと思いたい自分の願望からそういうことになっているのかもしれない。
えぞにうや小屋を覗けば海ありぬ 陽美保子
最初「えぞうに」と読んでしまい、おお、蝦夷馬糞ウニ!じゅるるっと思ったのだが、よく読んだら「えぞにう」だった。見たことがないので調べてみたら、「蝦夷にゅう」で写真を見つけた。沢山の韮の花のようなのが花火のように沢山広がっている。大きさを想像すると大迫力の花である。これだけで存在感が充分なので、その後の小屋を覗いた時にある海は本物の海でもポスターの海でもいいような気がしてしまうが、本物の海であれば小屋の窓に切り取られて不意に海があるということに気付いたようでもある。えぞにうは主に北海道にある山野草ということなので、その迫力に気圧されて外にいるときには海の存在が薄くなっていたのかもしれない。それが窓枠に切り取られたときに「海だ」と意識をする。その瞬間に「えぞにう」の存在感が更に重さを増すようである。
部員倍増と大文字の薪に 前北かおる
大文字といえば送り火。今年は3月の震災で被害を受けた陸前高田の松でこしらえた薪を五山の送り火で燃やすとか燃やさないとかで話題になった。なんともやり切れない気持ちになった一件だった。そんなときに大文字の薪にかかれている言葉が「部員倍増」なのだ。先の一件がなければ微笑ましいとも思ったかもしれないが、なんだか今では残念ながら素直にくすっと笑えないのである。
風死してアラビア糊の気泡かな 奥坂まや
アラビア糊の気泡!実に瑣末なことである。仕事では領収書を糊付けしたりする事がままあるのだが、アラビア糊にはもう25年以上お世話になっている。アラビア糊がいいのだ。他の糊も試したが、やはりアラビア糊が一番使いやすいのである。そして確かに気泡が入ったりするのだ。それが糊の容器を立てたときにゆっくりとゆっくりと上にあがって来る。ここを見ていたか、やられたなあと思った。きっと作者も数ある糊の中でアラビア糊が一番気に入っているに違いない。「風死す」という季語が過不足なくその糊の気だるい感じを表現していてとても好きな一句である。
月光に蝕まれたるごとく座す 藺草慶子
月光には不思議な力がある。日光とは違う力。冷たくて胸の奥まで入り込んできて静かにしてくれるような静の力。蝕まれるという言葉は日光には似合わない。やはり月光でなくてはならない。そんな月光に蝕まれたるごとく座っているのだ。妄想するに、縁側で月光を浴びながら、何にも考えず何にも思い浮かばず、いた、いろいろな思いが湧きあがっては消えてゆき、ぺたんと座ってしまいなんだかもう動けないのだ。座禅を組むときに「湧き上がってくる思いを追いかけてはいけない」と言われたことを思い出す。そんな無に包まれているような気分になる。
第224号2011年8月7日
■湾 夕彦 蒟蒻笑ふ 10句 ≫読む
第225号 2011年8月14日
■陽 美保子 水差し 10句 ≫読む
第226号 2011年8月21日
■奥坂まや 一部分 10句 ≫読む
■前北かおる 蕨 餅 10句 ≫読む
第227号 2011年8月28日
■藺草慶子 秋意 10句 ≫読む
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