〔週俳8月の俳句を読む〕
ぎらぎらと俳句
馬場龍吉
いつのまにか俳句をやるようになって、いつのまにか熱中することもなく、たんたんとした日々が続くようになって来ているように思えてくるのだが、それはぎらぎらとした俳句に出会っていないせいでもあるのではないか。
と、人のせいにして。
今月の作品を読ませていただいて、ちょっと持ち直したようだ。
水面みなきらめきときめきありて夏 湾 夕彦
水の流れは四季を通して変わらないのだろうが、速度は折々で
違うのかもしれない。ここでは景色に触れて流れゆく水の面を
言っている。水が人に触れる機会が最も多いのが夏。「水面」
を人に置き換えて読んでも、きらめきとときめきの夏があるよ
うに思う。「きらめき」のリフレインとしての「ときめき」の
一語がいい。
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ひとつかみ草落ちてをり盆の路 陽 美保子
この草にはさまざまな想像を生む余地というものがある。父母
に連れられての墓参を兼ねた帰省の子供が道草をしながら路傍
の草を毟り取っていく姿も垣間見られる。さみしい道だが、ひ
とつかみの未来を感じさせてくれる道でもある。
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ぎらぎらと炎天がいま孵化しさう 奥坂まや
「ぎらぎら」は「炎天」にもっとも近い言葉で俳句を長くやっている人には使えない言葉だろう。奥坂氏はすべて承知のうえで下五の「孵化しさう」に繋げていった。
つまり「ぎらぎらと孵化しさう」「炎天がいま孵化しさう」と詠んだ。
〈あふれやまざる白桃をむさぼれる〉白桃のしたたる果汁、香りがあふれてくる。連作としての抑揚の付け方も惚れ惚れするほどに上手い。久しぶりに連作の妙味を見せていただいた。
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天神の広前の梅筵かな 前北かおる
天神の梅は当たり前の景だが、梅筵は神だけでなく人が見えてきて面白い。
〈よく冷えし蕨餅かな船遊〉は吟行句だろうが、目を見張るさまざまな船遊びの景色も蕨餠には勝てない。喉を通る冷えた蕨餠は実感としての涼だ。
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水漬きたるものより秋の立ちにけり 藺草慶子
夏から秋へ地から天へ。この十句にすべてが網羅されている。掲句はおとなしめの作品だが昨日まで夏だった水辺の景色に秋を見出す。ここに藺草氏の立ち位置があるようだ。〈蜻蛉のつらぬく水のひかりかな〉水の光をつらぬく蜻蛉。これを言った
俳句がいままでにあっただろうか。
第224号2011年8月7日
■湾 夕彦 蒟蒻笑ふ 10句 ≫読む
第225号 2011年8月14日
■陽 美保子 水差し 10句 ≫読む
第226号 2011年8月21日
■奥坂まや 一部分 10句 ≫読む
■前北かおる 蕨 餅 10句 ≫読む
第227号 2011年8月28日
■藺草慶子 秋意 10句 ≫読む
2011-09-11
〔週俳8月の俳句を読む〕馬場龍吉
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