2011-10-02

〔週俳9月の俳句を読む〕杉原祐之

〔週俳9月の俳句を読む〕
楽しい一句

杉原祐之


私の所属する「夏潮」10月号の座談会で本井英が「俳句は愛国詩である」旨発言していた。
簡単に紹介したい。
「俳句というのは一種のは愛国詩だと思っているんです。(中略)この列島に起こるさまざまのこと、山川草木、鳥獣虫魚。
さらにはこの列島に暮らす人々、それらを訪れる春夏秋冬の季の廻り。
つまり「風土」と言ってもよいが、それらのことをしっかり見つめ、賛美し言葉に詠みとることが日本を愛することだと思うのです。」

一方、「現代俳句の新しい波」を特集した「ユリイカ」10月号の角川春樹氏のインタビューも「魂の一行詩」「盆栽俳句」など刺激を受けた。共に読んでみて結局自分は何を表現したいのか深く考えないで、小手先の技術ばかりを追求していたのではないかと内省した。

花鳥諷詠とは何か、何を詠んでいくのか、もう一度見つめ直したい。

さて、「週俳9月の俳句を読む」だが、どの方も面識の無い方ばかりであるが、私の句の読み方で鑑賞させて頂きたい。


「天の川」  藤崎幸恵

七色のハープの弦や水の秋

何とも不思議な句。季題は「水の秋」。
川であろうか湖であろうか。風が起こり波が立ちそこに光の加減で七色が一瞬走った。作者はその漣を「ハーブの弦」と詠んだ。
その例えに賛成できるか否かの句だが、如何にも秋のすがすがしい気分が伝わってきており面白かった。

鰯雲水の動かず挫折感

季題は「鰯雲」。鰯雲から水に視点が移しておきながら、下五の「挫折感」。唐突感が否めない。
強い言葉でインパクト与えようとしながら「私的過ぎる」点で成功していないのではないか。



「役目」  岡田由季

西瓜切る役目もつたいぶつてゐる

季題は「西瓜」。西瓜を切る役目の人が包丁を持ちながらどこから切り込んでいくか迷っている。
それを作者は「もつたいぶつてゐる」と感じてそのまま詠んだ。
素直に言い切ったことで、西瓜とそれを取囲む人々の大らかな気持ちが伝わってる。

水中のペンギン速し秋に入る

水中のペンギンと、立秋がどのように結びつくのか、やや分り難かった。
敢て指摘すると、中七の「速し」が効いていないのかもしれない。



「月姿態連絡乞ふ」  佐山哲郎

中秋の名月前後の様子を十態十姿で詠み込んだ連作。
「季題が効いている/いない」より発想の面白さを楽しむべきなのかもしれない。

あら今宵ちよいと居待よ俥屋さん

季題は「居待(月)」、十八日の月。俥屋と言う道具立てが実に巧み。
ご夫人と俥屋の会話で一句をなしているが、かなり冷え込む夜であることが想像できる。
居待月の欠け方と、軽い口調のリズムがマッチしていると思う。

罪つくりそこねて臥待月の駅

この句は「臥待月の駅」を置いただけの感じがします。



「回文子規十一句」  井口吾郎

凄い才能ですね。感心しつつも楽しく読んだ。

子規の忌の禁煙延期軒の棋士

季題は「子規忌」。回文俳句にチャレンジするのであれば、どうせならこれくらい諧謔を効かせた俳句が楽しい。
「き」の音が随分出てきます。苦し紛れっぽい「軒の棋士」で俳味が増した。

聞きしに勝るホモ掘る様に子規忌

この回文俳句は流石に苦しい。



「死角」  嵯峨根鈴子

鳥渡るひとかたまりに靴脱いで

季題は「鳥渡る」。鳥たちが「ひとかたまりに脱がれた靴」の形で隊列をなして渡っていく。
同時にその隊列を見上げている、地上側の様子~グラウンドで見上げる学校の生徒たち、渡り鳥を見るべく一斉に上履きを脱ぎ散らかして外に出てきた生徒たち~の様子も浮かんでしまった。
舌足らずな下五が妙に余韻として残り、連想がひろがる一句。

ひよこ売る銀河のはづれといふところ

ちょっと作意が見えすぎてしまっています。
下五もったいぶらない方が良かった。



「猫になる」  赤羽根めぐみ

団栗を振れば脳みそが答える

季題は「団栗」。団栗を拾い振って音を鳴らしてみるとからからと乾いた音がした。
その音とリズムを聞いていると、脳がそのリズムに和して動いているように思えた。
太古からの団栗と人の係わり合いに連想が及ぶ楽しい一句。


秋雨と妄想兼用の傘

字足らずにしてまでの効果が出ていないと思う。
これも自分自身の妄想と言う卑近なところに題材を寄せ過ぎていると思う。


第228号2011年9月4日
藤崎幸恵 天の川 10句 ≫読む
第230号2011年9月18日
岡田由季 役 目 10句 ≫読む
佐山哲郎 月姿態連絡乞ふ 10句 ≫読む
井口吾郎 回文子規十一句 ≫読む 
第231号2011年9月25日
嵯峨根鈴子 死 角 10句 ≫読む
赤羽根めぐみ 猫になる 10句 ≫読む


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