2011-09-25

空蝉の部屋 飯島晴子を読む はじめに 小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む

はじめに


小林苑を

『里』第2巻第46号・通巻94号(2011年1月号)より転載


襖しめて空蝉を吹きくらすかな  『朱田』

手元に少々薄汚れた『飯島晴子読本』がある。晴子の死の翌年、平成十三年十月に発行されたもので、全句集、随筆・評論、俳論抄などが収められ、巻末には永嶋靖子による詳細な年譜が付いている。まさに飯島晴子のすべてというべき一冊で、故人を知る俳壇の人々だけではなく、市井の多くの晴子ファンが購入したのではないだろうか。そうした一人として、発刊後すぐに、迷わず買った。その後、平成十五年には晴子の一人娘、後藤素子によってエッセイ集『葛の花』が出た。この二冊は、本も含め身の回りのほとんどを捨てて転居したときにも、残すべきものの中に入れて持って出た。

いつか飯島晴子と向き合ってみたいと思ってきた。俳句という定型詩の可能性を晴子から教わったという気がするのだ。俳句を作ろうと思うまでに、読んでみる時期があった。現代俳句に関する知識はなにもなかった。本屋で手に取った本をパラパラ捲る。面白そうなら買って帰る。琴線に触れる句があれば、つぎはその作者の句をまとめて読んでみる。幾人もの俳人に心惹かれた。現代俳句というものは、形式と格闘することで新しい表現を生み出してきたように思え、はみ出している句に魅力を感じた。その中で出会った晴子の俳句は、読むとドキドキするのだが、でははみ出しているのかというと納まっている。納まっているのに自在で、不自由さがない。

木村草弥は「飯島晴子の句を読んでいて、先ず感じることは切字『かな』で終わる句が、大変多いことである〔※1〕」と指摘しているが、晴子は俳句の形式のひとつである切字、詠嘆の終助詞「かな」を、詠嘆というより言い切るために機能させていることが多い気がする。そんな風に、晴子の句からは強い意志のようなものが伝わってくるのだが、それはどこから来るのか。

比較的遅く俳句を始めた晴子ではあるが(だからこそなのかもしれない)、憑かれたかのごとく猛然と取り組んでいる。やるからにはきっちりやらねば済まぬ人だったようではある。若い時に仕事としていた洋裁でも、ただ作って生計を立てればいいというのではなく、「洋服屋はお客に説教をするわけにはいかないから、布地と型を決める最初の段階から綿密に、だがさりげなく、たっぷりと時間をかけてこの服に自信を持たすように、この服の性格を信じ込ませるようにもっていくのも、洋服屋の技術のうちである」と言うのだ。そして「着る人次第という服のこの性格が我慢できなくて、洋服つくりをやめた〔※2〕」と言う。

この文章は、「そして俳句に乗り換えた」とつづく。洋裁も俳句も晴子にとっては同じであり、乗り換えた俳句は晴子を捉えて離さなかった。徹底してこの世でのあるべき姿に拘る完璧主義な性格とは別の面、この世は虚であり、滅ぶものだという思いをも俳句なら形にすることができたからではないか。

ようやく、揚句にたどり着いた。本稿のタイトルを「空蝉の部屋」とした。襖を閉めた薄暗い部屋で空蝉を吹いている晴子を想う。晴子自身がこの句について「心を閉ざした時空で、あまり人には見せたくない部分ではあるが、句集に残してしまったのだから今更引っ込めるわけにもいかない」と珍しく口ごもるような言いようで自解している。句のイメージを平安時代の姫君の物語として提示しつつ( このような物語性も晴子句の特徴のひとつだ )、「私はお姫さまには遠いが、放っておくと、襖をしめて、何日でも何年でも空蝉を吹き暮らして一向にかまわないところがあるので、用心しなければと思っている。それでも、襖しめて空蝉を吹きくらす滅亡の世界は、たえず甘く囁きかけてくるのである〔※3〕」と結ぶ。この晴子の中にある部屋を覗いてみたいというのが、本稿の目的でもある。

この句の空蝉には季節感がない。強いて言えば、永遠につづきそうな夏の気だるさ、夏なのに閉じられた襖が尋常ではない場面を引き出している、ということになろうか。がらんどうで半透明の茶色い抜け殻。吹いたら乾いた音がするであろう。吹いているのは晴子である。吹いている姫君となって句は作られている。

空蝉から連想されるものとして、晴子なら源氏物語があったはずだ。拒むことで光源氏の忘れ得ぬ人となった女性は、晴子の美意識の真ん中に座っているようでもある。凛としていること、これが晴子の矜持だと思える。 

こうした美意識を形成したものとして、その時代を振り返ってみる。大正十年生まれ。私にとっては母の時代である。古いものと新しいもの、伝統的価値観と西欧的価値観とがぶつかり融合する中で、女たちはどう生きようとし、どう生きたかったのか。その先頭に晴子はいたようだ。

生前の晴子をよく御存知の方も多いだろうし、書かれたものも少なくない。晴子の句が好きだと言うだけで、どこから手を付けていいのもわからず、誠に心もとないのだが、私なりに晴子の句を読んでいきたい。どうなることやら。


〔※1〕 『K-SOYA POEM BLOG』ニ〇〇四年 「俳人・飯島晴子のこと」
〔※2〕 『鷹』一九八一年初出 洋服屋の頃・『葛の花』に再録
〔※3〕 『自解一〇〇句選 飯島晴子集』一九八七年・『飯島晴子読本』に再録