2011-10-23

林田紀音夫全句集拾読187 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
187



野口 裕



刻々と老いてラムネに玉の音

昭和五十二年、未発表句。すでにラムネがコーラへと移り変わった時代の句。パーキンソン病(巻末、福田基氏の文より)に伴う病み疲れがあったのか、老いといっても、知命の半ばにも達していない。このラムネ玉の音は幻聴だろう。なんだか、軽やかに鳴っている。

 
骨の木の光域に雨落ちてくる

昭和五十二年、未発表句。光と雨が出会う骨の木がえらく素晴らしいところに見える。涅槃だろうか。

 

秒針の孜々と連つくられる

昭和五十二年、未発表句。「孜々」に「しし」とルビが振られているので、五五五の形になる。句帳自体に、ルビがあったかどうかは不明ながら、自身の書いた字を読み間違えることはよくあるので、後日の誤読を防ぐ意味があったかも知れない。語の意味は、「愚直に営々と」ぐらいのことだろう。「連つくられる」が、変わった表現。時間の作る因果の連なりを想定しての表現だろう。「針」と「孜々」の音の重なりも印象的。ただし、句の意味を観念的と考えると、音の重なりもうるさいと取られることもあり得る。書いてはみたものの、作家自身がそう感じて、五七五に整えることもせずに未発表となったか。

 

さくら孵化するジュースの壜立って

昭和五十二年、未発表句。究極のトリビアリズムと呼びたくなる。蕾膨らむを「孵化する」と動物のそれに置き換えることで生命横溢の季節を強調するとともに、人間の身勝手な放埒をジュースの壜で象徴する、などと言ってもあほらしい。さくらとジュースはたまたまそこに居合わせただけだろう。

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